【考察】我々はなぜニセ明に安堵するのか

ニセ明が好きだ。

というか、ニセさんを見ているとなぜか無性に安堵する。
今日はそんなニセさんを考察してみたいと思う。


ニセ明、という存在

ニセ明とは何者か。
星野源のライブで突如顕現した存在で、星野源に似ているようだが一応別人ということになっている。
布施明さんのオマージュであり「君は薔薇より美しい」を歌いたい源さんのために生まれたとか言われているが、基本的に設定そのものがテキトーだ。
初出演が2014年2月6日のライブであったことからファンがなんとなく「2月6日はニセさんの誕生日」とか言ってたら2014年星野源ANNで源さん自身も「ニセさんの誕生日は2月6日」とか言ってたので、たぶん公式情報になったらしい。
あと年齢は70代という話があったが、あちこちで話が変わっていたりする。
「細野晴臣さんと同世代くらい」というのが直近の情報だと思う。

というくらい、基本的にふんわりとした存在である。

そんなわけで、ニセさんには基本情報が存在しない。
というか毎回テキトーなことを言っているし、なにもかもがその場のノリで決まっている。
それなのにニセさんは星野源ライブの常連だし、星野源ANNで箱番組を持っているし、「Real」という楽曲もお持ちだし、先日とうとう「ニセ明のオールナイトニッポン」を2時間やり遂げ、星野源を差し置いてアクスタまで発売している。

ニセさん、大人気である。

ふんわりしたもの、それはニセ明

ニセさんは存在する。
けれどもニセさんには「こうであるべき」という基本情報が存在しない。
基本情報そのものが404 not foundなのだ。
だから例えライブで山口百恵張りにマイクを置いて立ち去っても、次のライブで「ニセ明でーす!」とか言いながら普通に出てきたりする。
ニセさんはそれが許される存在であり、なんとなくファンもそれを当たり前のこととして受け止めている。
老若男女揃えば一人くらいは「けしからん」とか言う人も居そうなものだが、少なくとも私はそんな非難の声を聞いたことが一度もない。

私はこの「設定のない存在」というのがニセ明の真骨頂なのではないかと思うのだ。

形のないもの

形あるものは、当然のようにその形に囚われる。
例えば星野源という存在は「星野源らしい」とか「星野源らしくない」とか勝手な人物像を持たれた上で、勝手に肯定されたり否定されたりする。
たぶん芸能人に限らず、数多の人は多かれ少なかれそんな「らしさ」に囚われたことがあると思う。
それは承認欲求を満たす程度のものならば害はない。
けれども度を超えると簡単に強固な手枷足枷となって、本人をこれでもかと縛りつける。
しかも本人の都合なんてお構いなしで、言われる側に防ぐ方法などない。

しかし、ニセ明は違う。

ニセさんには何もない。 
あったとしても、次に聞いたらその話が変わっている可能性がある。
ニセさんにとっては「ふんわりしている」のが基本なのだから、それでいいのだ。

そう、ニセ明はいつだって、何をどうしたって、ニセ明なのだ。
千変万化で普遍的、それがニセ明である。
だってニセはニセだから。


自由の女神っぽい何か(かもしれない)

ニセ明はそんな感じでふんわりしているので、ある意味「いいかげんな存在」である。
その一方で、今の世の中はとにかく窮屈だ。
決まり事や制約に縛られ、そこから一歩でもはみ出ようものならば四方八方から「正義」という名の暴力で叩きのめされ、否定され、晒される。
そんな空気は常に蔓延していて、どこか窮屈に感じることも多い。

それでも、ニセ明はいつだってふんわりしている。
何者にも縛られることなく、ただ存在が自由なのだ。
ある意味「自由の女神」っぽいというか…いや、「自由の妖精」くらいだろうか。
ニセさんは全てを赦し、全てを受け入れてくれる。
そんな存在そのものの寛容さに私は惹かれ、心の底から癒されているのかも知れない。
現世の息苦しさをニセさんは拭い去ってくれるような気さえする。
だからこそ、老若男女とんでもない数のファンを生み出してしまったのだろう。
だってニセさんだから。

そんな何の根拠もない、ただの妄想を繰り広げるうちに、ふと「いのちの車窓から2」のあるページが目に止まった。

ホラー映画はいい。だって嘘だもの。

いのちの車窓から2(星野源)より


…そうか。
嘘が良かったりするのか。
それってもはやニセさんにも言えることではないだろうか。
まあニセさん自身は「ニセは嘘が嫌いだから」とか言ってた気はするけれども。
ニセさんから溢れ出す事象はまあまあ嘘になっちゃったりもするし、そこらへんも含めてのニセさんである。

ニセさんには、これからも全力でふんわりしていただきたいと願うばかりである。
それが人類の未来を支えてくれることになる。


…かも知れない。
ならないかも知れない。
まあいいのだ。
だってニセさんは、いつだってニセさんだから。

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