コラム 柏原奈穂さん②
日本声楽家協会が定期的に発行している会報には、毎回声楽家や講師の先生方より様々な寄稿文をいただいております。このnoteでは「コラム」と題しまして、以前いただいた寄稿文をご紹介します。
今回は2012年8月号-9月号より日本声楽アカデミー会員のソプラノ歌手、柏原奈穂さんの寄稿文を掲載いたします。
「私の一曲~さくらさくら」
柏原奈穂 ソプラノ
私の初舞台は、4歳から始めていた箏の門下発表会で「さくらさくら」の弾き歌いでした。緊張していたからなのか、舞台から客席に伯母を見つけて、手を振り、それから弾き始めたそうです。
さくら さくら、やよいの空は、見わたす限り、かすみか雲か、匂いぞ出ずる、いざや いざや、見にゆかん
「みにゆかん」を、「にみゆかん」とよく間違えていました。初舞台は大成功。終わった後に受けた拍手にニッコリ。きっと歌うことに味をしめてしまった瞬間だったのかもしれません。箏の練習は正座をしていると足が痛くなるし、弦を押す指は水ふくれになるし、嫌だ、嫌だと言って親を困らせましたが、発表会の前になると急に練習を始め、そして本番では大きな声で弾き歌いをして満足していました。
小学校では合唱部に入り、ますます歌うことが好きになり、自然と箏より歌うことの方に力が入っていきました。中学、高校でも合唱部に入り、高校3年の夏、大学受験を考えた時に、箏の先生からは邦楽科の受験も勧められましたが、歌の勉強をしたいと伝えて、それからイタリア古典歌曲やアリアを勉強し始めました。
自分では箏を弾き歌いする時の歌い方も、合唱で歌う時の歌い方も同じだと思っていましたし、特に変えているつもりもありませんでした。当然イタリア歌曲を歌っていてもその点では何も問題を感じずにいましたが、実際は邦楽特有の歌い方の癖が西洋の歌を勉強するのに邪魔をしていたようでした。そしてしばらく箏の弾き歌いをお休みしようということになりました。
さらに感覚の問題ですが、東洋の音楽と西洋の音楽の違い、ということにも目を向けることになりました。私にこの違いを気づかせてくれた恩師が、歌のレッスン中や、大学の講義では声明などを用いて、詳しく説明をしてくれました。楽譜の形態が違うとか、こぶしがあるとかないとかくらいの違いしか認識していなかった私には衝撃的で、とても貴重な時間でした。
もう、箏を弾き歌いしていた頃の歌い方の感覚は残っていません。でも「さくらさくら」を歌ってみると、平均律の音階とは違う音程になっています。そしてそこにはメトロノームのような刻みはなく、ただ、ゆらゆらと揺らぐ時間を感じるのです。
今、イタリアに住み、歌の勉強を続けていますが、ここでは私が外国人であり、日本人であることを意識させられます。習慣や価値観の違いに毎日のように驚かされますが、音楽に関しても、西洋の人にとっては当たり前の感覚を日本人である私の感覚で紐を解く、それがいずれ私の音楽の個性になるのかなと思っています。
この原稿を書きながら、ふと、いつかコンサートで箏の弾き歌いで「さくらさくら」を熱唱!・・・そんな企画も楽しいかなと思いました。でも指が水ふくれになるのは嫌だなぁ・・・