星を紡ぐ子どもたちと旅する大人──言葉の捨てられた地
前回までのあらすじ──様々なフレンドとの出会いや別れを経験し、私は“チャットが苦手”かもしれないと思い始める……。
書き切れていないエピソードも多々あり(いつか番外編も書いてみたいなぁ)チャットの善し悪しについて考えずにはいられなかった。Skyをリリース当初からされているYouTuberさんの動画で、昔はチャット機能がなくエモートだけでコミュニケーションをとっていたと聞く。それは“今の”私には羨ましく思えた。
ふたりの“早朝ちゃん”──そんな愛称で呼んだ内の、のんびり雀が翌日の夜にもログインしていた。この時間に!? 驚きと嬉しさからすぐにワープすれば喜びのエモートを見せてくれる。草原のキャンドル集めからのウニ焼きまで、私はエモートを駆使して“おもてなし”をする。
しかし、ウニ焼きの途中で早朝ちゃんのフレンドさんがワープしてきたようだ──火灯しとお辞儀の挨拶。ベテランさんだと分かる背格好と、行き交うチャットの「……」にウニを追うふりでそっと離れた。
翻訳機能も実装されて、より身近になればなるほど会話の面白さや言葉選びのセンスを問われている気がする。そして“もう二度と”言葉の温度を感じるのは嫌なのだ。
ウニ焼きのあとで勝手に、このフレンドさんと遊ぶだろうとバイバイした私のネガティブを知ってか知らずか……翌日とそのまた次もワープしてきてくれた早朝ちゃん。
もうひとりの早朝せっかち雀(海外の方)は光らないから余計に思う──というか、ログイン時間ほぼ一緒だな……? そして遂に早朝ちゃんのメッセージキャンドルを発見する。
「日本人かーーーいっ!!」
リアルに叫んだ。
そんな早朝ちゃんは、出逢った日の印象通りにたくさんのフレンドができているようだった。だから、フレンドさん達と「……」と話している様子を眺めながら余計に不思議に思う──未だエモートだけで意志疎通を図る私と、手を繋ぎ空を楽しんでくれる。何てことない私のおふざけにも笑ってくれる。気付けば毎日のようにワープし合っていた。
言葉が簡単になった今でも“こんな関係”を楽しんでくれる人がいるのか──。
後日、試練へ向かうに確認したいことがあり椅子で「はじめまして」の挨拶はする。チャットは苦手だと伝えれば理解と共感もしてくれて、必要に応じて互いに椅子を探すようになった。いつの間にか、それさえも分かるようになる──
「凄い! 椅子探してるって分かったんですか?」
「精霊さんの家(?)でキョロキョロするんだもの!」
「爆笑」
「爆笑」
そんな関係がひとり、またひとりと増えていく。
峡谷で出会った海外フレの“きょこ”はフレンドエモートのクマハグが大好きで、そんなきょこが連れてきた“きょこフレ”はエモートでふざけていると含み笑いをしてくれる大人しい星の子で、ホームで出会った“ホム太郎”はチャット解放こそしたものの絵文字を楽しんでいた。
もちろんチャットが楽しいことも知っている──私自身、女神や神フレに笑わせてもらった大事な思い出があるのだ。
私たちが少数派だろうと、無口で無愛想に見えようとも私たち“星の子”には教わった大切な感情表現がある。今日も大切なフレンドたちへ大きく手を広げてハグを、逢えた喜びへ投げキスを、元気だよとリズムに乗り踊ってみよう──言葉と同じくらいに想いは伝わるはずだ。
次回、最終章!!
星を紡ぐ子どもたちと旅する大人──私と世界と書庫と
──あとがき──
この頃から女神は事情によりSkyを休んでいる。必ず戻ってくると言っていたが、“私にも”何が起こるか分からないのが未来だ。だからあの日の、ひとりぼっちの私と手を繋いでくれた感謝はしっかりと伝えた──うんうん……やっぱりチャットは大事だなぁ。