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「起業したい」を成功に導く思考法

看護師歴30年以上
今も現役
自分らしく働くためにデイサービスを起業
先を見つめて会社株売却
本業と副業で社会貢献したい


私が伝えたいこと
それは、今看護師として頑張っている方へ
私の経験が少しでも役に立てばと言うことです

頑張っている看護師さんへ

どんな思いで看護師になりましたか?
憧れもあるとは思いますが、資格のある仕事で安定した収入を得たい
そんな思いからなる方も多いかもしてませんね

そして、女性が多い看護師の仕事
結婚・出産・育児を経て
さぁ仕事にウエイト置いて頑張るぞ
そんな矢先に親の介護や自分の体調不良などがヒシヒシと

でも、一度きりの人生
看護師大好き
自分らしく看護の仕事を続けたい

ふと、起業しようかな
なんて思う方もいるでしょう

私の起業までの道のり

私は、祖父母・両親・妹2人の7人家族です
祖父は宮内庁、父は警察庁の国家公務員でした
母の口癖が「女も手に職をつけなさい」で
中学生くらいの私は地方公務員の婦人警官に憧れていました
でも、肝心の運動神経がなく無理だなぁと諦めます

高校生のある日
これは本当に突然で舞い降りると言う感じだったのですが
「自分は看護師になる」と進路が決まりました

当時、私の通っていた高校は
短期大学への進学か就職の二者択一で
専門学校への進路指導はほぼありませんでした

自分なりに調べて
1年間会社勤めをして入学資金を貯め
19歳のときに病院に住み込みで働きながら准看護学校へと進学しました
准看護学校を卒業し看護学校へ入学して看護師の国家資格を取りました

「手に職をつける」と言う目的でなった看護師
最初は、なかなか馴染めませんでした
「結婚して子供が出来たら辞めるんだろうな」くらいのモチベーションで
働いていました

30歳を前にふと自分を見つめると
結婚はしたものの子供は出来ず、ずっと正社員で働き続けていた私は
なんだか知らないうちに役職がつき
中堅ナースと成長していました

20代の私は、病棟で夜勤をこなしたり管理当直で24時間勤務をしたり
救急外来や手術室などでいつが朝で今日が何日か分からないような
ハードスケジュールをこなしていました
結構、好きでしたね
この忙しい感じ

30代で訪問看護の立ち上げに関わることができて
その時期に介護保険制度が始まりました
その頃から、患者さんをその方の歴史や家族も含めて関わりたい
と思うようになってきました

今の私で出来るのかな?
そこで、働きながら大学に社会人入学して心理学を学びました
介護支援専門員の資格も取得して
患者さんの人生を支えていきたいと想いが明確になってきました

ところがどっこい
自分が42歳の時に、先天性の心疾患が見つかり
手術にはちょっと手遅れかもと言う状態になってしまいました
一応、手術は出来そうだとなりましたが
「社会復帰は無理だろうな」
看護師の私はそう感じていました

少しづつですが、体調も戻り
もう一度、看護師として再スタートしたいと思いました

どうせ1回死んだようなもんなんだから
看護師人生ラストスパート
自分らしく行ってみますか!

自分らしく?

なんだろう?

ちょうど、東日本大震災から2年が経過していた時でした
自分らしく働く
自分らしい
なんだろう?

やっぱり、困った人に寄り添うことかな
困った人って誰だろう?

福島の人たちかな

今、考えればとても安易な考えだったかも知れません
その時の私は、東京で被災し毎日のように震災の映像をテレビで見ていました
2年経ち福島の人たちは地震の被害もさることながら
原発の影響でこれから長く苦しむことになるかも知れない
自分1人くらいなら福島へ行っても邪魔にはならないかも知れない

起業を決意しました

起業決意から法人立ち上げまで

困っている人に寄り添う
それが、福島で看護師をすると言うことでした

どんな看護が自分らしいか?
「拒まない」看護がしたい

そう思いました

やはり起業を考える看護師の方は
今までの看護師経験の中で、患者さんやご家族に誠心誠意寄り添いたい
それが、雇われと言う形で組織の中にいると自分らしく働けない
そんな考えがきっかけになっているんじゃないでしょうか?

看護はチームプレイです
看護方針や看護計画があり、その中で具体的なケアが決まっていく
皆、同じやり方で患者さんに関わらなくてはいいケアができない
「なんかちょっと違うな」と思ってもなかなか自分の想いが通ることも
ない
チームとしてのまとまりがとても大事だとわかっているが故に
自分の看護感との間で「このままでいいのか?」
と違和感を抱いて日々看護師として働かざるを得なくなって
来ているのではないでしょうか

私の場合は、自分の病気がきっかけでしたが
発病前まで働いていた職場を休職せずに退職して
病気療養に入ったのは、1つは社会復帰できないと思った事と
もう1つは、これがいいきっかけになって自分らしい再スタートを
切れるんじゃないかと考えたんじゃないかと思います
(この辺は、病気がしんどすぎて記憶がありません^^;)

そんな自分が、起業を決意してまず最初にしたことが
起業研修への参加でした
自分らしさがすでに決まっていたので、どの研修に参加するかは
すぐに決められました

↑富山型デイサービス

共生ケアの富山型デイサービスを民家を使って行うことを決めることが
出来ました

これから起業する方で、在宅の介護事業所を考えている方は
利用者の定員が後々の会社利益にとても大きな影響を及すので
事業所選びは定員と平米数の関係をよく調べた上で行うことを
おすすめします

福島県で共生ケアの富山型デイサービスを民家で行う
ここまで順調に来ました

次は、法人格です
私の行うデイサービスは介護保険事業のため
開業するには法人格が必要となります
法人格は「株式会社」にしました
理由は2つです
1つは、銀行から融資を受けやすい
2つ目は、色々市場調査に伺った際に
NPOは私には合わないなと感じました
非営利と言う言葉の概念と実際のNPOの方たちから伺う話に
しっくりこないというか
なんかこう違うなみたいな感じを受けたからです

逆にいうと
これから起業をしようと考えている方は
法人格のそれぞれの特徴をきちんと学ばれると
私のように直感で選ぶこともなくなると思います

会社設立し開業へ

事業所が決まり法人格も得て
介護保険事業所の指定を取ります

私が立ち上げた時は、小規模デイサービスと言うことで
指定は県に申請する運びとなりました
(現在は、地域密着型通所介護となり市町村申請へと変わりました)

さてさて
ここからが、このブログを書こうと思ったきっかけにもなる
従業員採用です

私は自分の想いがあって起業をしましたが
デイサービスとしてスタートするため
従業員の採用をしなければなりませんでした
兎にも角にも決められた人数を採用で確保しなければなりません
東京から1人で福島へ来た私は
自分以外の従業員をハローワークで求人して採用する運びとなりました

採用

数だけ揃えばいいと言う考えでは
後々、作った会社を失うかも知れないくらいの大きな地雷が埋まっています

考えてみれば、雇われて組織の中にいるときに
自分の看護感がチームから逸脱しているような違和感を覚え
それが、自分らしくと言う気持ちに切り替わり起業へとつながって
行くのに採用を数だけで考えてスタートしてしまいした

それならそれで、自分の理念を強く発信して
従業員に刷り込んでいかなくてはいけません

私はたった1人で開業までなんとか漕ぎ着けたいと言う
焦りや不安から一番大事な
想いを共有する仲間作りをすっとばしてしまう大きなミスを犯しました

最初から仲間がいるからいいとか家族も手伝ってくれるからいい
と言うもんでもありませんんが
ほんと、最初が肝心です

でも、なんとか従業員が採用できて
開業するとこができました

会社理念と従業員育成

ほんとに今考えればなんですけど
想いが強ければ強いほど従業員への育成には力を注がなくてはいけません
私は若干マイノリティーな感じでしたので
最初から、二人三脚の足首の紐は結ばれていなかったんだと思います

従業員は、ベテランの介護職経験者や介護未経験者まで合計4人でスタート
しました
私は、早く利用者を増やしていかないと利益どころか融資を受けたお金も
すぐに無くなっちゃう焦りから
今居る利用者さんたちに途中で他のデイサービスに行ってしまうような
ことがないように利用者さんファーストになっていました

開業から居るスタッフに聞くと
この時から不安はあったそうです
実際の介護のノウハウは経験豊富なスタッフが他の2人に指導
する状況で進んでいきました

徐々に利用者も増え、営業日も増やし
従業員も1人また1人と少しづつ増えていきました
最初から上手にコミュニケーションが取れていなかった私は
個別面談をしても、ミーティングをしてもうまく組織をまとめられない
ところまで来てしまいました

コミュニケーション不足

大きな壁にぶつかってしまいました
私の生育歴も関係しているとは思うのですが
これはまずい!と思った私は
お金を払ってコミュニケーションスキルを身につけようと

コーチングの門を叩きました

時すでに遅し

遅かったです
完全に上司と部下の関係は再構築不可能でした
けれど、デイサービス自体は利益が出ており
なんだかんだ言っても、従業員は退職することなくきちんと毎日
いい介護を続けてくれていました
利用者さんも途中で利用を中断される方もなく
地域にも需要のある事業所へと成長もしていました

ちょうど立ち上げから8年が経過していました
10年目を考えて何をどうゆう風に改善しようか悩み始めました
コーチングを受けてメンターコーチもついていたため
自分でどうしたいかを手探りではありましたが
答えを出すために必死に考えました

当時、顧問契約していた税理士が助言してくれたのが
「会社を閉じる」と言うことでした
会社の利益も出ている
利用者さんにも喜んでいただけている
地域からの信頼も得てきている
職員の定着率もいい

会社を閉じなければならないのか
問題なのは私が従業員のマネジメント能力がない
それだけのことではないのか

復興支援の目的もあり起業したのに
仕事がなくなって私の会社に就職した職員もいる中で
私の能力不足だけで会社を閉じることなんかがあっていいのだろうか?

会社株売却

出した答えが、会社をマネジメント能力のある人に売るでした
何人もの人に相談していきましたが、なかなか話がまとまっていく
気配はありませんでした

何人かに相談していたある日
1人のデイサービス経営者に話を聞いてもらえることになりました
その方は女性で私と同じく1人で会社を立ち上げてデイサービスを
経営していました
その彼女は1ヶ月くらい考えたのちに私の会社の株を全て買う
ことを決意してくれました

いわゆるM &Aです

起業をすると、もうダメかもと言う危機や感情が波のように押し寄せては
引いていきます
繰り返しです

もし、これから起業をしようと考えておられれば
自分がイメージする働き方にワクワクする反面
上手くいかなかったらどうしようという不安で
1歩が踏み出さないと思います

でも、会社を売ってもまだその会社で看護師として働いています
しかも楽しく

利益が出ないこと
従業員のマネジメントが出来ないこと
経営が素人なこと
会社を閉じる選択肢に迫られること

これら全てが学びであり
失敗ではなく経験であること
なので、反省するのではなく改善して前に進む
それが、自分自身の成長へとつながっているのです

準備は必要ですが、何事もやると決めることからの
スタートです
上手くいくかどうかわからない
利益が出るかどうかもわからない
そんな不安に駆られて起業を躊躇っているのであれば
今、私は生きてきた中で一番充実しています

従業員との溝が出来コーチングに出会い
続けてきたデイサービスがやりたかったホームホスピスとして地域貢献できている
そして、そのコーチングを直接ケアをしない方々にも提供したい思いで
終末期コーチングを副業として開始している
さらに、コーチングだけでは自分のコミュニケーション不足は補えないと感じ
メンタルコーチの認定も取って見た

などなど
全部が自分自身を成長させています




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