なぜ週刊少年ジャンプを刻んで仏像を彫ろうとしたかについて
前2回の記事で、現代マンガ図書館がどういう場所だったのか、そしてどういう経緯で大量の少年ジャンプを手に入れたのかという話をしました。
ジャンプを切り刻む理由
前回、現代マンガ図書館では蔵書にならない重複本を中古販売用在庫に回すことで、捨てずに再分配を行っていたという話を書きました。
ならば私もジャンプをそのようにするべきではないのか。
引き取ったジャンプの中には現在プレミアとされる号もあります。調べてみたら最高で20万円の価格がついていました。
マンガが傷まないように細心の注意を払いながら保存業務を行っていた人間が、せっかく救出した雑誌を切り刻んで読めなくしてしまうのは矛盾ではないか、
内記館長の理念に反するのではないか。
他の誰よりも自分自身がこの矛盾に一番わだかまりを覚えており、しかしこの矛盾に対して納得のいく説明をこの数年間試みては上手く説明できておらず、自問自答を繰り返すまま今に至ります。
(TARO展のパンフレット原稿も、直前で納得が行かなくなり全部書き直してしまい、お手数をかけて申し訳ありませんでした)
西がマンガ図書館にいたことは分かった。
仏像を彫っていることも分かった。
だからマンガで仏を彫ったんだ、という説明は簡単ですが、私の中ではそうした単純な帰納だけでとどまれない、あえて本を刻まなければいけなかった切実な理由があります。
現代マンガ図書館の理念を表現するために仏を彫ったのではなく、現代マンガ図書館という「事件」を西個人のフィルターに通して見た結果、出てきたものがジャンプ仏という作品で、とりわけ「切り刻んだ」という点が一番大事な要素です。
芸術作品なので、「理由を上手く言葉で説明出来ないからこそ作品にして表現している、感じてもらうしか無い」と言ってしまえばそれで終わりなのですが、
ここまでnoteで詳細に作品のバックグラウンドを書いておいて、肝心の作品説明だけ「あとは実物を見て感じて下さい」と言うのは不誠実だし、自分でもこの葛藤とできる限り向き合いたいので、おこがましさを感じつつも書いてみることにしました。
前置き、長いですね!
亡くなった父親の作品を処分する話
現代マンガ図書館で今も忘れられない出来事があります。
ある日、図書館に一本の電話がありました。
聞けば、電話の主はとあるマンガ家さんのご子息で、父が亡くなったので著作やイラストを描いた掛け軸など、大量にある遺物を引き取ってもらいたいとのこと。
そのマンガ家さんは貸本時代(昭和30〜40年代)に活躍した方ということもあり、現在の知名度はほとんどありません。しかし多数の著書が図書館にもあり、息子さんの仰る遺物は間違いなく全て貴重な保存対象です。当館で引き取り、大切に保存させていただきます、と回答しました。
しかし、息子さんの望みは寄贈ではなく買い取りでした。現代マンガ図書館では寄贈しか受け付けていない決まり(お金が無いから)なのでそう答えると、
「別にこのまま捨ててしまっても構わない。お金にならないんだったら意味が無いので、どこか買い取ってくれそうな所を教えてほしい」
と言われました。
考えた結果、「古書専門店を紹介しますが、おそらく書籍以外は買い取り対象にならないので、その場合は売れ残ったものを処分せずにこちらで引き取らせて欲しい」と答えました。
出来ることなら書籍も含めて丸ごと引き取らせて欲しかったのが本音です。マンガ図書館で一括で引き取れば、現存資料が少ないお父様の仕事の全容が網羅され、データも残り、半永久的に業績を残すことが出来るからです。
古書店を否定する訳ではなく、文化保存の観点から言うと古書販売は資料が散逸してしまうので、保存に向いていないのです。
(古書店で購入した個人がいても、その人が興味を失って断捨利したり、死去して遺族が廃棄してしまう可能性が高いです)
結局予想通り、古書店で買い取られたのは一部の書籍で、残りの掛け軸などは図書館で引き取らせてもらえたのですが、この一件はいろんなことを考えさせてもらうきっかけとなりました。
おそらく息子さんにとって、お父さんの作品は文化的保存の価値が無いものだったのでしょう。もしかしたら家では愛すべき父親では無く、血縁者の複雑な心情として捨ててしまいたいものだったのかもしれません。
と、今では冷静に想像もできますが、当時はこの息子さんとのやり取りを通して、マンガ文化を保存するという活動の理解されなさに愕然としたものでした。
知名度の低い作家の作品は保存価値も低いのか。
有名誌に載った作品は保存するに値して、そうでない雑誌に載っている作品は保存する必要が無いのか。
読み終わったばかりの雑誌は「早く捨てろ」と言われるのに、何十年も経ってから捨てようとすると「価値があるんじゃない?捨てるの勿体無い」と言われるのはなぜか。
どれだけ時が経とうと同じ雑誌ではないのか。
私はこの全ての問いに「NO」と答えるために、引き取った少年ジャンプをセドリ(売って利益を得ること)したくありませんでした。
マンガ図書館の面影が残るものに価値(値段)や優劣をつけたくなかったし、私の仕事は本の価値を数値化することではなく、全てのマンガを「等しく大事に」保存することだったからです。
いま自分ができること
「自分の仕事はマンガを保存すること」と書きましたが、図書館との雇用契約が終わった時点で、それは私の生業とは言えなくなりました。
その現実は、図書館から少年ジャンプを引き取った日にはっきりと実感しました。
個人でマンガを守ろうとしたところで、私には六畳和室分の雑誌すら全て持ち帰れる覚悟も持てなかったし、その上、その中からより分けてジャンプを打算的に選んでしまう人間で、内記館長の足下にも及ばない器の小ささを思い知ったのでした。
今まで内記館長の壮大な夢にぶら下がることで純粋にマンガを保存できていた自分はもうどこにもおらず、何者でもない卑小な人間がそこにいました。
勢いだけで引き取った数百冊のジャンプと、マンガ図書館職員ではなくなった自分に何が出来るか。
マンガ文化のために自分がすべき仕事は何か。
そう考えた時に自然と浮かんだのが
「少年ジャンプで仏を彫る」
でした。
人間の業、彫刻の業
ここまで長くにわたって現代マンガ図書館の話を書いてきましたが、彫仏のエピソードもひとつ話します。
今まで私の手がけた中で一番大きい仏は、銭湯の軒先に生えた6メートル程の桐の生木に彫った仏です。
彫ったきっかけは、台風のたびに枝が暴れて邪魔だから伐ろうと思っている、という話を銭湯の店主さんから聞いたことです。その木に愛着を持っている住民の話も聞いていたので、「伐る前に仏を彫らせて欲しい」と店主さんに頼んで、彫らせて貰いました。
今思えばブルーシートなんかを目隠しにしておけばよかったのかもしれませんね。
眉と鼻だけ彫り、のっぺらぼうのようになった状態でその日の作業を終えた私は、汗を流すために銭湯に入ろうとしました。
すると脱衣所で常連と思われるご婦人方が大きな声で桐の木の話をしていらっしゃる。
「あんな気味悪いものを彫られて、夜が怖くて道を通れないわよ!」
「大体、生きてる木に刃を入れて、木が可哀想よ!痛そうで見てられないわ。あんなことをして、作ってる人はきっとたたられるわよ」
たたられる張本人が目の前にいるとはつゆ知らず、ご婦人方は感じたままを歯に衣着せず話してらっしゃいました。
その会話を番台から聞いていた店主さんは「気にしないでいいよ」と慰めてくれました。が、店主さんは店主さんで、知人である私のやることだから応援してくれているだけであって、仏像や芸術には関心の無い人でした。
「なんでわざわざあんな大変な思いをして仏像を手で彫るのか解らないな。今は3Dプリンタもあるんだからそれで作ればいいのに」
と言われたことは今も心に残っています。
仏が誰にも望まれてなさすぎて心が折れかけましたが、わずかながら優しい声をかけてくれる人もいたお陰で、なんとか生木仏は彫り上がりました。完成すると一転して仏の姿を有難がる人が増え、「反対側にも彫ってほしい」と言われたので結果的に両面に仏面を彫りました。
この生木仏の経験から学んだことがいくつもあります。
想像以上に日本人は、樹木に対してデリケートな感情を持っている。だから、その繊細さを大事に扱わなければならない
生えている木にデリケートな一方で、仏という外面が出来ればそれを愛でるし、伐られてしまえば思いは消えて無くなる。そういった感情の曖昧な移ろいを、まとめて人間の業と捉える
3Dプリンタや最新技術であらゆる立体が誰でも簡単に作れる時代だからこそ、何に彫るのか、なぜ彫るのか、が重要な意味を持つ
私は、生木に対する人々の反応と、古いジャンプへの反応に、共通するものを感じました。
だから、ジャンプで仏を彫ろうと思いました。
かつて自分も捨てたであろう「マンガ」が仏になって目の前に現れた時に、いろんなことを感じると思います。
本能的な違和感か、尊さか、或いは単純に勿体無いとか意味が分からないとか、人によって様々だと思います。
それら全て引っくるめてジャンプ仏を鑑賞してもらえれば嬉しいです。
終わりに
未だに自分の中で整理がついておらず、こんなにたくさん書いてもまだ上手く伝えられている自信があまり無いのですが、
とりあえず、ジャンプを使って私にできることが「仏を彫る」一択しかなかったことだけでも伝われば幸いです。
次回で「ジャンプ仏」の制作に至った経緯の話は終わりです。
最後は、岡本太郎現代芸術賞に展示する作品の具体的な解説を書きます。ジャンプ仏に興味を持っていただいた方が読むと、より作品を楽しめるような話を書きたいと思っています。
現代マンガ図書館のくだりで暗いことばかり書きすぎてしまったので、そのうちマンガ図書館のおもしろエピソードも書きたいものです。
noteを始めてから、記事に「スキ」をいくつも頂けて嬉しいです。
読んで下さってありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。