生きる意味が分からなくなったときの私に宛てた処方箋
✢2023年12月に書いた文章ですが、その後いかなるタイミングで読み返しても自分で頷ける内容だと気がついたので、今さら投稿してみます✢
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昔から時折、なんで私は生きてるんだろうと考えることがある。
死んだら悲しむ人たちは、何人かはいてくれるだろうし、別に死のうと思ってるわけじゃない。でも、生きてる必要があるか、私はこの世に必要な人間か、と問えばどうも頷けない。
生きてるだけで地球を汚し、ものを消費する人間という生き物。特に守る家族や動物がいるわけでもなく、社会的に大きな責任があるわけでもない。
私がいない世界は、私がいる今の世界と同じようにまわり続ける。
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世の中には、生きたくても生きられない人、生きてるのが辛いから死にたいと思う人がいる。私はそんな人たちとあまり身近に生きていないから、こんなことが言えるのかもしれない。
少し前に、飢餓で命を落とした人が最後に自分の便を食べていたという話を聞いた。生きたい、と思う気持ちは、食べるという行動に現れるらしい。
逆に言えば、死のうとしている人にスープを一口でも飲ませたら、生きる時間が長くなるとも聞いた。栄養が入れば、身体は生きようとするのだ。
私は毎日当たり前に何かを口にして、食べるのが面倒だからとご飯を抜くときもある。
とても贅沢なことをしている。
生きたくても生きられない人の分まで、精一杯生きろよ、と言われるかもしれない。
だけどどうしても、生きてるだけで丸儲け、という言葉を消化できない自分がいる。
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ひすいこたろうさんの「あした死ぬかもよ?人生最後の日に笑って死ねる27の質問」という本を読んだ。
27個の質問に沿って、自分の「死」と向き合うことで自分の本心に気付こうという流れ。いま死んだとして、何に後悔するか、人生最後の日にどうありたいか、などの質問に一晩かけて真剣に向き合い、読み進めてみた。
夜が明ける頃、私は絶望する。
どれだけ自分の死を想像してみても、何に後悔するのかも、自分が何をしたいのかも見えてこない。
だからと言って、明日死ぬ誰かと身代わりになって死んで来い、と言われたら嫌だと言うだろう。
昔、誰かに言われた「死ね」という言葉で傷ついたことを思い出した。なんて傲慢で我儘な人間なんだろうか。恵まれた環境で育ち過ぎたのだろうか。
今まで、贅沢な暮らしを目指したり、推し活をすることに熱量を注ぐ人たちを少し冷めた目で見る自分がいた。
でも、その人たちは私よりもはっきりとした理想の未来を描いている。
私はどうだ。
熱狂的に好きな人もものもなく、欲も特になく、涼しい顔をして生きている自分が少し嫌になった。
そんなに「生」にこだわりがないのなら、いっそ死んでしまえばいいのに、と思いそうになったので
ずるい私はいったん本を閉じて、死について考えることをやめた。
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本では「あした死ぬとしたら」という視点で考えているが、私は「どうせ生きてるんだったら」という視点の方が向いてるかもしれない、と思った。
どうせ生きてるんだったら、誰かの役に立ちたい。
どうせ生きてるんだったら、この先に生きる人たちに迷惑がかからないように生きたい。
どうせ生きてるんだったら、楽しく過ごしたい。
せっかく生きてるんだから、少々無茶をしてみようか。
せっかく生きてるんだから、私の生き方とやらを探してみようか。
「生きる」か「死ぬ」か、どちらか選べるとしたら「生きる」を選んだ方がなんか楽しそうかもしれない。
とりあえず、自分の「生きたい」という最低限の意思を確認できて満足した私は、「死ぬ」を選ぶかもしれない人の理由が知りたくなった。
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今いる環境がつらくてしんどくて、「死んだほうがマシ」だと思っている人。
一人で黙々と生きていて、「自分が生きてる意味なんてない」と思っている人。
自分が生きるために周りに迷惑をかけていると思っている人。
・・・もっとたくさん、人の数だけあるんだろう。
具体例を挙げた上の3つは、私も昔、当てはまっていた時代がある。
私は偶然、楽観的な人間だった。
死んだ方がマシだと思ったら環境を変え、
自分が生きてる意味ないと思ったら、せめて意味のある人生にしようと思い、
周りに迷惑かけた分、私も迷惑かけられる方になろうと思った。
偶然ポジティブだったから、都合よく生きる方に舵をきってきたけれど、それができない人はどうなるのだろうか。
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生きることに強いこだわりがない私だからこそ、
ポジティブに生きる理由をつくれる私だからこそ、
生きてる意味が分からなくなって絶望している人たちに、それでも生きる意味を伝えたいと思った。
せっかく生きてるんだから、いきいきと暮らしたい。
どうせ生きてるんだから、誰かに「生きてて良かったな」と思ってほしい。
せっかく同じ時代を生きる人たちがいるんだから、「同じ時代に生きられて幸せだ」と思われる人になりたい。
どうせ顔を合わせるのなら、「出逢えてよかった」と思ってもらえる人になりたい。
やっぱり私は傲慢で我儘な人間だ。
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昔から興味の幅が広く、特定のジャンルに強い関心を持たない自分が、中途半端で好きじゃなかった。
ヲタクになれる人に憧れ、こだわりを語る人が羨ましいと思っていた。
推しが持てない私は、「生きること」くらいにしかこだわりを持てない。
生きることにこだわり、生きることの素晴らしさを誰かに伝えるために、私は私の人生を「意味ある人生」にしてみたいと思う。
だから私は、せっかくなら自分なりのベストな人生を送りたいと願い、今日を真剣に生きる。