働くこと、暮らすこと、選ぶこと
会社説明の類の話を聞くと大概、「働く時間」と「プライベートな時間」は区切られたものとして語られる。フレックスタイムとか時短出勤とか、そんなシステム的な話じゃなくても「週末にアウトドアを思いっきり楽しむために平日働く」とか「帰宅後の一杯目のビールのために集中する」とか。
遊ぶために働き、働き続けるために適度にリフレッシュをする。それが「生活」なのだと、2年前までの私は、どこか胸に引っかかるものを感じながらもそう思っていた。いや、社会人として生きるにはそう思い込むしかないと思っていた。
昨年の5月頃だったか、noteで偶然読んだ記事に導かれるように筆者にメッセージを送り、自己分析を手伝ってもらったことがある。そのときは「仕事」「人間関係」「余暇」「成長」の4分野について自分がどうありたいかを問いながら、次に起こすアクションを考えていった。
そのときの記事がこれ↓
この自己分析をうけて、私は「仕事」「人間関係」「余暇」に共通して同じような環境や気持ちをもとめていることが分かった。いや、正確には当時はそんなことは全然思っていなかったが、今読み返すと「好きな人たちと好きな場所でいきいきと暮らすこと」をひたすら求めていたことが伝わってきた。
そんな分析の効果もあってか、1か月後となる6月末に当時働いていた会社を離職することになる。当時、やめた後のことは何も決めず、ただただ「やめることを決めた」だけの状態だった。
そのときも記事を書いていた。
やめるという選択
やめるという言葉はとてもネガティブなイメージがある。何かが失われることで自分を構成する数値がゼロとかマイナスになるように思えて怖い。
そう思っていたときは、やめるなんて選択はできなかった。ただでさえ自分に自信がないのに、仕事を失ったら自分は何者でもなくなってしまう。
現状に満足している訳ではないけれど、ここから出来るのは「増やすこと」だけだと思い、それまでは引きこもっていた休みの日に近所のカフェやイベントに出かけた。
そうこうしているうちに、おそらく日々の暮らしの満足度の上限があがったのだろう。いつしか、これ以上の満足度を求めるには時間が足りない、という状態になった。平日は会社にいって、帰宅後に文章を書いて、週末には出かけたり人と話したりする。いつのまにか社会人として充実した暮らしができていた。
「やめる」選択ができたのは、その暮らしができるようになってからだった。満足度の総数が低かった頃は、これ以上どん底に落ちたくない、という気持ちにしかなれなかったが、ある程度暮らしが充実してくると「何かやめても大丈夫かもしれない」「むしろ何かやめないとこれ以上何もできない」と思えてくるのだ。
休職して「時間の余白」をつくるという手もあったが、「肩書きを外す」ことにより出来るゼロ状態の自分になりたい気持ちがあった。
そんないろいろな気持ちの後押しやタイミングが重なって、6月には「会社をやめる」という大きな決断をした。当時はやめた後のことはあまり考えず、周りから無鉄砲と言われた。
不思議と自分自身に焦りはなかった。
距離感を選ぶ
会社をやめてからの一番大きな選択は「移住」だ。
大阪で20年以上を過ごした私が、大学進学・就職を機会に滋賀という地域と出会って数年が経っていた。(大学は大阪から滋賀に通い、就職を機に滋賀の彦根へ引っ越していた)
そんな私が会社をやめるときに唯一決めていたのは「滋賀にいる」ことだった。滋賀という地域が好きで、ここで暮らしたいという気持ちだけを明確に持っていたので、会社をやめてからは県内のいろんな地域へ足を運び、地域の人と話し、店やイベントを訪れた。
しだいに居場所と呼べるような場所も増えてきた。
そんな動きをする中で、コミュニティコーピングというボードゲームの体験会に誘われて参加した。何のご縁か、体験会は甲賀市と湖南市で行われていた。
「コミュニティコーピング」とは、人と地域資源をつなげることで「社会的孤立」を解消する協力型のボードゲームである。
そのゲームを体験した2日後の私のSNSの投稿を抜粋しよう。
もともと自分が苦手な、浅く広い人間関係を築くことに時間を割いてきた数か月を振り返りながら、このボードゲームをきっかけに改めて「地域・人との距離感」というものを考えるようになった。
ちなみにこの衝動から私はコミュニティコーピングのファシリテーターの資格をとり、活動を続けている。
ちょうど同じ頃、私は甲賀市で行われる「若者政策アイデアコンテスト」にエントリーした。私以外のチームメンバーは全員甲賀市民。オンラインではなく対面で会議に参加するため、メンバーが行うイベント等に参加するため、甲賀市へ足繫く通うようになる。
甲賀との距離が少し縮まって1か月と少しが経った頃。既に私は、甲賀市への移住を考えていた。「この場所ならもっと深く関われるかもしれない」「住んでみないと分からないことを、知りたい」という気持ちと、彦根のアパートの保険の更新時期が差し迫っていた事情が私の背中を後押しした。
何かに導かれるように、2022年11月に甲賀市に移住。
移住という言葉は「移り住む」と書くが、このときの行動は私にとって「地域との距離をより縮めてみる」という選択だったように思う。地域とは、すなわち、その場所に住んでいる人。「よく訪れる人」と「近くに住んでる人」では、会う頻度は同じでも心の距離感が違うように思えたから、その違いを実感したかった。
地域に暮らすこと
甲賀に移住してから、早くも9か月が経とうとしている。引っ越したばかりの頃、「夢ノート」なるものに「甲賀市・湖南市で人々の暮らしが豊かになり、笑顔を増やせる仕事をする」と書いたのが、現在そのまま叶っている。
いま私がしている仕事はほぼ全て、風のように舞い込んできたものだ。いや、実際にはその風は周りの誰かが吹き起こしている。ありがたいことに、仕事の担い手が必要なときに私の顔を思い浮かべてくださる人たちがいる。
お金をいただいている「仕事」ではあるが、感覚的にその時間はプライベートでもあり、私の暮らしそのものになっている。
近所のカフェは、仕事を頼んでくれるお客さんでもあるし、ふとコーヒーを飲みに訪れる憩いの場所でもある。そこで出会ったお客さんは友達でもあるし、次の仕事を紹介してくれた人でもある。
近所のカフェに行くときの私の気持ちは、「仕事を忘れてリフレッシュしたいな」でもなく「新しい出会いがあると良いな」でもなくて、ただただ「コーヒー飲みたいな」とか「オーナーさんと久しぶりに会いたいな」みたいな感じ。この気持ちは、仕事もプライベートも関係なく、私が安心してこの地域で暮らせている証拠だといえるかもしれない。
去年の秋頃感じていた、距離を縮めることへの怖さはすっかりなくなった。
私がこれから関わるのは、はっきりと見えない「地域」ではなく、顔の見える関係の人たちだと思えるようになった。
直感に素直にしたがう
「人生は選択の連続」という言葉は私にとって少し重たい。
今この瞬間の行動が未来につながるんだよ、と急かされるようで焦ってしまう。無駄にゴロゴロしてしまった昨日の自分に対して怒ってしまう。
だけど、目線を少し先の未来に移してみると、あまり焦りが生まれなくて済む。明日を豊かに暮らしたいな、と思っているだけで何となく今日の自分もいきいきと暮らすことができる、気がしている。
甲賀に暮らすようになってから、昔からの知り合いに「明るくなったね」と言われるようになった。そんな第三者からの確固たる証拠を得ると、ますます嬉しくなってしまい、私はこの地域を選んだ自分自身に「ありがとう」と伝えたくなる。
離職と移住は間違いなく「直感で下した選択」だった。理屈なんて度返しで、気持ちに従って選んだ道を歩んでいると私の暮らしが豊かになってきて、それに伴いだんだんと自分の直感を信用できるようになった。
あのとき自分の気持ちに従ったから今の自分がある。
昔は素直な人間に憧れていたが、憧れる時点で「素」じゃないからと、いつしか諦めていた。だけど自分の気持ちに耳を傾けると正直な心の声がちゃんと聞こえてくる。私は、私の心を信用できるようになってきたから、その心の声に素直に従えるようになった。
ありがとう、この道を選んだ私。あと、もう一つ。
noteに自分の感情を残しておいてくれてありがとう。おかげで今、自分の変化と成長に気が付いて自信がつきました。
あとがき
この記事は「会社で働くのは違う」とか「田舎暮らしは良い」とかそういうことを伝えたいんじゃない。あくまでも私の場合はこうだった、という話だ。
個人にとっての「生きやすさ」はそれぞれだからこそ、世の中の正解なんて求めずに自分の心が望むものを選んであげたい。
「自分の心に従うなんて我儘じゃないか?」と問う、1年半前の自分には「自分の心に背きながら、心を込めた仕事なんて出来ないでしょ」と言ってやりたい。
誰とどんな仕事をしても良いからこそ、私は「これからも一緒に遊びたい人と全力で一緒に働く」ことを意識している。この人は仕事でしか会いたくないとか、この子は遊ぶ友達だから仕事の話はしないとか、そういう器用なことは出来ないから。
今の私は、この先どんな暮らしをしていきたいのだろう?
あなたの心は、どんな豊かさをもとめているのだろう?
その暮らしを、豊かさを選びやすくするために、そして私とあなたが自身の心の声に向き合えるように、私は今日も遊ぶように働く。