人として
人と深く関わらない。
深く関わると嫌な面が必ず見えてきて、それを許せないと関わりすら消えてしまう恐れがあるから。
そんな信条を胸に生きてきた私が、ここ数年は少しそれに逆らい、ちょっと深く関わることを意識してきた。
その結果、一つの地域にがっつり関わることを決め、移住して、仕事とプライベートの境目も消し去って「人と人との関わり」だけを頼りにここまで生きた。
その中でいろんな判断基準と価値観を身につけた。初対面でちょっと危険な匂いがしたら近づかないこと。損益で判断すると後で後悔すること。関わると決めた人には真っ直ぐぶつかること。
そうは決めていても、地域の誰と誰がゴタゴタしているとか、この人のせいで話が進まないとか、そういう話は私の周りでも渦巻いている。
どこかで「上手く切り抜けよう」とか、「波風たてないようにしよう」と思う自分がいて、だんだんと地域に馴染む大人になってきたなぁと感じるタイミングもある。
でもやっぱり、絶対譲れないことが私の中にはあって、それを脅かす行動をする人には「私はこう思う」と言わないと気が済まない。
絶対譲れないことというのは、例えば、
・本気の人をバカにする
・周りの考えや感情に耳を傾けない
・裏でコソコソする
みたいなこと。
一見、感情を表に出さない超絶ドライな私が、内側でこんなことを思っているというのが繋がらなくて周囲を困惑させているのかもしれないが…
でも私は、これらを許して従うことができない。表面的に流して各方面に良い顔をすることも、自分が許さない。
「自分の芯を持ってて良いね」と言っていただくこともあるが、自分的にはただの頑固だと思っている。自分の芯を持ちながら、その芯を出したり隠したりして社会に適合していける人がいるのも確かだ。私はそうなれていない、未熟な人間。でも、曲げるよりはだいぶマシ。
さて、こんな私がこの先も一つの地域に根ざして生きていくことは可能なのだろうか。
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ここ数年で分かったことがもう一つある。
深く関わっても、嫌な面が少し見えても、大丈夫な人間関係が存在するということ。
これは私にとってめちゃくちゃ大きな発見だった。
たまに会うような関係から、一緒に何か取り組んだり共に仕事をする関係も徐々に増えていった。
もちろんその中で、「あ、ここまでがちょうどいいラインかも」と感じたらそっと線を引くようなこともあった。
でも、線をほとんど引くこともなく今日まで良い関係を築けた人が何人かいることも事実。
その人たちがいるから、「譲れないこと」があっても「私は違うと思う」と言える。人として、強くしてくれたのは自分ではなく他者だった。
そもそも私がこの地域に住もうと決めたときも、一緒にコンテストに向かってアイデアを練って形づくった仲間ができたからだった。
こんなことが出来る人がいる地域なら、深く関われそうだと思わせてくれた。
一度深く関わることになった人間関係を戻すのは難しい。今の距離感をちょうど良いと思える器を手に入れるか、無理矢理切り離すことしかしてこなかった。
出来れば、じりじりと後退りしてしれっと良い距離感を保つくらいの器用さが欲しいところだが、それはなかなか身についてくれない。
無理矢理切り離すことを、数年前までの私は極端に恐れていた。2年前に会社を辞めたあの日から、私は自らの意思で自分の立つ場所を決められるようになった。
周りがこうなったら私はどうなってしまうんだろう、とかは考えずに、周りがどうであれ私は私、と割り切れるようになった。
それはさっきも書いた通り、私が私であり続ける限り、誰かがちゃんと見ていてくれるという自信がついたからだった。
この先私がとんでもないことを犯したり、すごく身近な人が離れていったりしたときに、今のこの考え方は変わるのだろう。
逆に言えば、そんなことが無ければ多分、私は大丈夫だと思う。私の周りには、ちゃんと人がいる。