百姓の生き方
百姓という言葉をご存知でしょうか?
歴史の授業で聞いた事があるかと思いますが、今回は百姓についてお話ししたいと思います。
<リスク分散>
私がここで言う”百姓”は、百の生業を持つ人のことで、たくさんの収入源があることの人をいいます。
百姓という考え方は、天候に左右されやすかった農業だけを生業としていると、一嵐で食料も収入も無くなってしまうリスクがあるため、収入源を分散して、一つの収入が途絶えても他で稼げるようにしようというのが始まりでした。
この考え方は、昨今でも重要であると思います。
時代の流れがだんだんと早くなっていく中で、あらゆる仕事が淘汰されたり、感染症リスク、災害リスクなども踏まえると、収入源を一つに絞った働き方はリスクが高くなります。
例えば、会社に属して、毎月の給料を当てにした暮らしをした時に、その会社が突然倒産したり、リストラに遭ったときに、今まであった収入源は突然0になってしまいます。
シルクドソレイユでは、興行収入がなくなり、約960億円の債務返済困難となり、3480人の従業員が解雇となりました。これは全体の95%であり、その苦しさがうかがえる数字だと思います。
このように、コロナ禍で多くの会社が経営危機に陥り、個人飲食店なども至る所で潰れてしまっています。
もちろん、保険や生活保護のような防波堤はありますが、収入源が複数ある人にとっては、リスク分散ができて一つの収入源がなくなることに焦ることもないことが強みです。
<飽き性な人>
百姓は一つのことに没頭することができない人にはオススメです。
一つのことに膨大な熱量を注げる人というのは一種の才能だと思います。
そしてそれは、みんながみんなできるものではないと思います。
ちなみに私はできません。学生時代から色々なことに手を出して暇を埋めていました。
自分は飽き性で何やっても続かないな…と思う人は、いろいろ手を出し続けることもありだと私は思います。
<多様な視点を持てる>
いろいろなことに手を出すということは、いろいろな経験ができ、多様な人と出会える機会があると思います。
そうすると、自ずと多様な視点を持てるようになると思います。
百姓はその機会を得やすいと思います。
専門家はその専門分野に長けている一方、考えに偏りができてしまっているケースもあるような気がします。
もちろん、悪いことではないと思いますが、あらゆる事象がより複雑に絡み合うようになってくる今後の社会においては、多様な視点というのは大事になってくると思います。
例えば、環境問題について考えるときに、環境面の視点だけでなく、経済的な視点、社会文化的な視点、倫理的な視点などあらゆる方面から見ていく必要があると思います。
リスク分散ができ、飽き性な人にオススメ、そして多様な視点が持てるようになる。
以上、百姓という生き方についてでした。