マイ・インターン

観た映画は大きく3つに分けられる。「おもしろい映画」「つまらない映画」、そして「許せない映画」だ。「おもしろい映画」「つまらない映画」はそのまんまで語ることもないので「許せない映画」の説明をする。

「許せない映画」は、脚本のテンポが良く、映像も綺麗で音楽も気持ちがいい。俳優の演技もキャラ立てもしっかりしていて、キャラクターの生き生きとした感情が伝わってくる。のだが、その砂糖菓子で包んだ極悪な思想により、観た人の心を蝕んでいじめる映画が「許せない映画」である。

今まで俺の映画リスト筆頭の許せない映画は「耳をすませば」だった。

ありもしない青春を甘い雰囲気とアニメ映画、そして10代の少年少女という設定を使い、現実にはありえない「あったかもしれないロマンス」を、特に映画を必要としていないような人々を対象にして世の中に出したのが許せなかった。

あんな設定「ありえない」と思うのだが、誰があの青春を、カントリーロードの歌を否定できる??? 映画を好きな感受性の高い人たちは、大手を振っての否定はできないだろう。

もし否定しようものなら、映画が無くても生きていけるような、社会性に富んだすばらしい方々が「ひねくれている」だの「暗い」だの言って、否定する人たちの「人格」を否定する(映画への感想として、ではなく)

結果、ありもしなかった青春をありありと見せられてしまった人は、自分にはそれが「ない」として、自分の人生を否定してしまう…

せっかく、現実とは違う映画の世界にいたのに。

そんなふうに俺は、「許せない映画」という分類を持っていた。



久々にテメーがそれだよ。「マイ・インターン」!!!!

これから僕が殴りに殴る作品の予告編はこちら。



さて、以下ではこの映画作品の何が害悪なのか、つらつらと語ることにする。

まず開始5分。主人公の70歳の老人ベン(ロバート・デ・ニーロ)が、人生をモノローグで語る。なんかいいことを言っている(ラストにも同じことを言うが、耳障りが良すぎて全部忘れた)。

だが、この主人公。たいした悩みを持っていない。妻に先立たれてはいるが、仕事をリタイアしたなりに、様々な趣味を持ち、たまには子の家族のところへ行き、孫と遊んだりしている。近所の人と仲もいい。ましてや、人生の"張り"のために、仕事をしてみようか、なんて前向きな意欲まである。

この人、俺がありていに思いつく幸せを、最初から全部持っているのだ。

これ以上、この人を主人公にして、何を発展させる? これ以上何を望む??

最初からわけがわからん。なんのドラマ性もないだろ?

何にも巻き込まれず、平和な世界を持ったまま、何か面白いことはないかと、非常に穏やかで善良な心に素直に行動しているのだ。

もういらねえだろ! 何も! いいかげんにしろ! こんな幸せの権化があってたまるか! てかむしろここまでの波乱万丈を映画にしろ! この野郎!

ここで俺はいったん観るのをやめました。

でも、なんか気になったし「もし良かったらどうしよう」なんて気持ちでまた再開。結果的に感動(心が動かされること)できたので良かったかもしれんけども。


さて、場面はもう一人の主人公ジュールズ(アン・ハサウェイ)のシーンに移ります。ひょんなとこから衣服の販売に目覚め、起業してから1年半で従業員200人以上。超モデル体型の美人で30歳くらい。まさに女性誌で理想とされていそうなバリキャリウーマンである。分刻みのスケジュール、社内は自転車で移動、専属の運転手をつけられるくらいには稼いでいる。後でわかるが幼稚園児の娘と専業主夫の夫がいる。

いい加減にしろ!!! ふざけるな! これ以上何がいるんだ! だから、ここに来るまでいかに大変だったかを描け! 

いい大人が少女のおとぎ話を綺麗に実写化するな! 毒だこんなもの!


しかもシニアインターンの導入が雑! 「いいらしいって聞いてるぜ」みたいな軽いノリで導入するな! 必然性が1ミリもない安っぽい導入すんじゃねえよ! これ今回の主題だろ!? 軽く扱うなって!

はい。ここまで開始10分です。

私はすでに「これは自分がターゲットの映画ではないな」という気持ちを抱きました。「ああ、俺向きじゃなかったか~。でも一応最後まで見るか」って感じ。

確かに、テンポはいい。

綺麗な社屋を中心にした映像はきれいだし、ベンはとても気立てのいいご老人なので、やっていることを見るのは単純にいい気持ちになれる。「イイハナシダナー」感がある。

しかし、これ、よく見ると「ベンが都合のいいように使われているだけ」なのだ。しかも勝手に動いている体なので、本来はきちんとしなければならないジュールズ(ベンはジュールズ直属の部下である)がなにもしてないが、誰からも責められない。誰かちゃんと怒ってやれや(ちなみにこの作中、ジュールズが怒られることはありません)。


そんなこんなで映画は進んでいく。よく気がつくベンは仕事の中でジュールズのプライベートも理解し、その中で彼女を尊敬していく。一方ジュールズは今までかたくなに守ってきたプライベートに入ってくるベンをうとましく思うが、徐々に支えられていることに気づく。


はい、ここで皆さん思ったでしょう。

これ、ラブロマンスか??? とね。

でも、ラブにはならないんです。

なぜならベンは老人で70歳であり、ジュールズはもう夫と子供がいるから!! 

なにしてんだテメー(監督)!!!! 


私はこの構造(70歳のベン=恋愛対象外)が徐々に浮かび上がるたびにキレていった。絶対にベンが30代、いや、50歳以下ならば、この映画は確実にオフィスラブロマンス物になるのだ。キャラクターと舞台設定の流れに従うと不可避なはずだ。

それを不可能にしているのが、「ベンは70歳」という設定なのだ。

更に残酷なことに、序盤では会社で雇っている妙齢のマッサージ師からアプローチをうけ、ベンが勃起するシーンがある。

わかります? ベンは70歳だけど男性だし、男性能力があることをちゃんと説明する描写があるんですよ。なのに、舞台設定のせいで、どれだけいい流れになっても、ベンが手をジュールズに出すことは許されないんです。

というか、許されないように作っている。

恋愛が不可能な理由をつけるために、ベンを70歳にしたとしか思えない。これが映画のやることか?? おい?

そして終盤、出張先のホテルでトラブルがあり、バスローブ姿の二人がベッドの上で横になって話をするシーンがあるんです。しかもこれ、ホテルの部屋まで送ったベンに対して「お茶でも飲んでいかない?」とジュールズが誘うんです。僕でもわかる。同年代なら間違いなくセックスの誘い文句です。

でも相手はベンなんです。

自分はイスに座るからと言ってベンをベッドに座らせた後に、自分も「疲れたから」と言ってベッドに横たわる。そして、自分の夫が浮気をした話をしだす。バスローブ姿なのも気にせず、心の弱い部分をベンにはっきりと見せていく。そして一通り泣いたあとに「テレビでも見る?」と言うのだが、このセリフ、「自宅のベッドで夫といる時と同じセリフ」です。これを言わせる作者の気が知れない。

あれ? これ不倫ラブサスペンスでしたっけ? 

しかしベンは手を出すことなく、適当につけたテレビをジュールズが止め、ラブロマンスが流れます。若い男女が安っぽい撮影セットの中、男が女に愛を告げるシーンが長めに流されて終わります。

はい。このシーンによって、ベンは去勢されました。

僕は怒りのあまり、一人で大笑いして奇声を発しながらじゃないと観れませんでした。何が嫌かって、このシーンはジュールズが男性としてのベンをナメてないと成立しないんですよ。

マジでこのシーンを作った監督の気が知れない。相当歪んでるだろお前。

ちなみに、この作品に登場する男性で魅力的なのはベンだけである。これもむごい。

ネタバレするが、ジュールズの夫は浮気をする。

だが、腐っても鯛。浮気しても夫である。

こいつのせいで、仕事でもそばにいて、誰よりも良き理解者になろうとしたベンに、人生のパートナーとしてジュールズの隣にいるチャンスは訪れない。しかもあまつさえ、ラストにはジュールズが「最高の友人だ」とベンに言うのである。これは完全に男女として決別するための言葉である。これ、今言うことか??

しかも最低なのが、その雰囲気を感じ取ったベンとジュールズが、なんだかさみしそうな顔をするのだ。ベンにもマッサージ師の恋人ができ、ジュールズは結局夫と別れずに幸せな家庭を持っているのに、である。いやマジでなんなんだよ。「友情」とかほざくならその顔を抜くな。カメラマン! カメラを止めろ!

さらに、浮気をした夫との和解シーンで言う「次からはハンカチを持っていてね」というセリフがあるのだが、これはベンが大事にしている紳士としてのたしなみのことである。ベンが作中で女性に差し出してきたハンカチを引き合いに出して、こんなセリフを言うのだ。なんだそれ。お前は自分の夫というポジションにいてくれる同年代の男を作り変えたいだけだろ。紳士のたしなみをもってほしい、なんてほざくなよ。他の男のいいところを自分の男に押し付けるんじゃねえ、反吐が出る。

と、まぁ、こんな感じで映画は終わります。主人公のベンは70歳であるが故に、お互いに尊敬し、理解しあえたジュールズと愛し合うことはなく終わるのでした。

これが「友情」???? ふざけんなよ!? 


描写でこれだけ男女の色を見せて、男性としての能力があることを強調しておいて、それでもなお結ばれることのなかったもの(「愛」と呼んでも間違いじゃないと思うほどのもの)を指して「友情」と名付けるのはありえない。友情に謝れ。

僕は男女間の友情は無くはないと思ってます。無くなりはしないけど、優先順位的にどうしても、より大切なものができたら、そこにかける時間や気持ちが減るものだとは思うけど。

だからこそこんな、性愛になりそこなった関係性を「友情」なんて名付けるんじゃない。


さらにこの映画の最低なところを言うと、「誰もたいして成長していない」んですよ。ベンは会社という居場所を見つけ、ジュールズはベンという理解者を手にしたけれど、この人らはそんなものなくても十分幸せに生活できてましたから。人間的に成長したところも特にないです。ベンは紳士らしくそのままだし、ジュールズも中身は変わってないです(元から性悪ではなかったので)。この作品に主人公なんていなかった…?

そう。この映画は、「2時間なんとなくテンポの良い映画を観たけれど、結局なんの進歩もありませんでした」って感じで終わる。特に途中、母親に誤送信したメールを消しに行くくだりなんて時間の無駄だった。なんでこんなに騒いで楽しそうにするのか意味が分からなかった。いきなり我に返ったようにB級コメディーするんじゃねえよ。この悪魔が。


最後にもう一つ。物語の中でジュールズは、あまりに忙しいため会社のサポート役として、外部からCEOを雇おうとする。その際にジュールズが「ファッションがギャルビジネスだって言われた」「男性は女性を下に見ている」などの発言をしますが、この作品全体のほうがよっぽど男性のことをナメて下に見ていますね。歪んだ思想を満たして満足するための周到な舞台設定が随所に感じられて、本当に厭らしい作品だと思います。


まあ、一言でまとめると「クソフェミ映画」です。一言で終わることを長々と語ってすみませんでした。


結論。

私は「耳をすませば」と「マイ・インターン」が嫌いです。

…いや待てよ。今思ったけど、「マイ・インターン」というタイトルにも悪意があるな? 対等な「友情」で結びついたはずの二人なのに、ベンがジュールズの所有物みたいな位置づけじゃないか?

訂正。

私は「耳をすませば」が嫌いだし、「マイ・インターン」は心の底から大嫌いです。

以上。反論は受けて立つので何かあればご連絡ください。思想のぶつけ合いをしましょう。

(6/4 追記)

原題はThe Intern なので、タイトルについては改題者が悪いと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?