追悼録~私を「お母ちゃん」と呼んでくれた人~
初めて会ったとき、彼は眉間にしわを寄せていらだっていた。
思い通りにいかない身体に、自分の話を聞いてくれない周囲に、そして
これからどうなるのかわからない不安に。
ときはコロナ禍まっただなか。
介護施設はどこも厳しい面会制限があった。
何とか面会の予約を取って話を聞きに行っても、ビニールカーテン越しに
制限時間はきっかり15分。
これからご本人がどうしたいのか?そのために私ができることは何か。
今後の人生に関わる大切なお話をしていても、無情にストップがかかる。
外出はダメ、ジュースもむせるからダメ、好物のフルーツもダメ。家に帰るのもダメ。
もちろん集団生活である介護施設に規則や制限があるのは当たり前だ。
でも彼には介護施設での生活が合わないのは明らかだった。
じゃあどうする?何度も何度も話し合った。
私は、彼の意思に沿って財産管理や手続きを行う代理人となった。
家に帰りたい
段差の多い自宅で車いすで暮らせる?また転倒したら?
地域の介護のサポート体制は?費用は足りるの?
いろんな人に相談して、可能性を探って、自由と安心の折り合いがつく場所を探した。
一緒に家に帰ってみてシミュレーションをしたり、住まいの内見にいったり、引っ越しも荷物の片づけも大変だったな。たくさんの時間を一緒に過ごした。
「西沢さんは僕のお母ちゃんだから、お母ちゃんが言うならそうしようかな。」
そんなある日、彼からの言葉に耳を疑った!お母ちゃん?娘じゃなくて?!
全てが思い通りでなくても、知らない場所で不安でも、お母ちゃんの言うことには耳を傾けようと思ってくれたようだった。そんな存在になれたこと、すごくびっくりしたけど、宝物のようにうれしい一言だった。
彼は新しい居場所を見つけた。
電動車いすを猛スピードで乗り回し、近くのスーパーで好物のトマトを買い、持ち前の創意工夫と器用さで、居室をカスタマイズし始めた。
子供が好きで、赤ちゃんをあやしたり、私の息子のために将棋の盤を作ってくれたこともあった。
管理される対象としてではなく、一人の人間としてのかかわりを楽しんだ。ときには頑固なわがままをとおし、ときには我慢もして、すべてが思い通りでなくても、彼らしい人生を謳歌できたのではないかと思う。思いたい。
お見送りのあと、いつも考える。
もっとできたことはなかったのかな?これでよかったのかな?
考えても仕方がないとわかっていても考えてしまうし、それでも考えることが大事だと思っている。
最後に会ったとき、声を振り絞っていってくれた「ありがとう。」と、第一印象とは全く違う優しい笑顔を忘れない。
これまでほんとうにお疲れさまでした。「こちらこそ、ありがとう。」
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にしざわゆみ司法書士事務所
司法書士 西沢優美
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