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GHQ焚書図書開封1_ABCD包囲網の悪辣性と対米開戦の必然性 (西尾幹二)
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パール判事が言われた通り、アメリカは自分達の悪辣な行為を正当化するには日本に全ての責任を転嫁し、日本人に罪悪感を深く植え付ける必要がありました。
その為にGHQが行った姑息な占領政策の一つ、それは連合国側にとり不都合な真実を隠す等の目的で、日本の書籍に綴られた真実を『焚書』しなければならなかったのです。
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これについて西尾幹二先生が過去200回ほど動画で解説して下さいました。
●GHQ焚書図書開封 第一回 ABCD包囲網の悪辣性と対米開戦の必然性
ABCD包囲網について日本側は、全て知り抜いていた。
相手の兵力までも細かく。
大切な点は、この対日包囲網が持っている手強さと、強固さと、
それが持つ恐ろしさを日本政府は知っていたという事です。
この包囲網が如何に堅牢としたものであるかを百も承知しておりながら、
日本人は実に悠然と構えていました。
当時、日本側に怯えがありません。
「四つに組んで堂々と戦うぞ!」という覚悟があります。
しかも余り興奮もしていない。
この本は昭和18年(1943年)に出ているのですから
戦争たけなわでした。
しかも当時の包囲網の実態を、軍事力や配列など全てつぶさに調べていました。
よく観ていた。リアリズムなのです。
敵を見くびっていません。
全く正反対です、傲慢にやっているのではないのです。
「勝てないと分かっている戦争に、自暴自棄になって飛び込んで行っている」
わけではないのです。
そのどちらでも無い事が、この文面から伝わってきます。
合理的で、戦略的で、現実的な目で書かれているのです。
それでいて、事柄の困難さをよく見抜きながら「遣らざるを得ない」と言っているのです。
この時の心の強さは謎であります。
しかしそれは歴史の現実として、
私たちの過去にあった事実として動かないのであります。
これを軍国主義であるとか、私たちの犯罪の歴史だという事は、微塵も私は考えておりません。
歴史は、起こるべくして起こった必然の流れの道を歩んで滔々とここへ来た。
以下、GHQ焚書図書から、ABCD包囲網について
「米英挑戦の真相」大東亜戦争調査会研究報告書(発行1943年6月1日)
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「対日包囲網の悪辣性」259頁より
■国立国会図書館
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1459212
上の動画で西尾幹二先生が読み上げて下さっています。(45:10-)
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(以下、文字おこし)
米国が日露戦争直後より今次開戦直前に至るまで、或いは排斥、或いは圧迫、果ては弾圧など、我が国に加えた侮辱と非礼とは、世界四千年の国交史に稀なるものであり、また英国が明治維新前後より日清戦争まで、そしてワシントン会議より今次開戦直前まで我が国に対してとった態度も、これまた米国と何れか鳥の雌雄を知らんやの類で、ただ米国の如き暗愚下劣なる露出症的態度でなかったというに止まる。過去幾多の英米の対日外交振りを見れば、その内容の暴慢なるは勿論、その態度や傲岸、その言辞や横柄、なすところは悪辣非道筆舌を以て形容し難きものがあり、顧みて、よくもわれわれの先輩はこれを堪忍して来たものだと、その自重の裏に潜む萬斛(ばんこく)の血涙を、そぞろに偲ばざるを得ない程である。
かかる米英の対日非礼史、侮日史は他の分冊に譲って、ここには単に軍事上から、この対日包囲陣の持つ戦略的敵性を指摘するに止めよう。これほどの悪辣なる戦略は、歴史上未だかつてなかったと敢えて断定して憚らないのである。
(この言葉の背後にある事情は本全体を参考にしてください)
彼等が我が国を軍事的に包囲するに先立って、我が国をまづ外交的に孤立無援にしてしまおうと企図したこと、この外交包囲にも満足せず、更に我が国の窮乏、衰微を策して、我が国に対する卑劣な経済圧迫をつづけ、我が国をして経済的孤立に導かんとしたことは、前に記した通りである。彼等は日本民族の移民を完全に排斥し、我が国製品の輸入や、彼等の日本への輸出品をば、彼等の本国と属領とから、意の如く制限したのみならず、他民族の国からまでも日本排斥を策し、謀略を以てこれを実行せしめた。即ち我が国を完全に“はねのけもの”にして貧乏人にしてしまおうという策で、この排日、侮日は、ついに悪辣なる経済包囲、経済封鎖という目的のために手段を選ばざる結果を招来した。
彼等の企図したところは、
我が国を丸裸にし、丸腰にした上で軍事包囲をして我が国を袋叩きにしようとしたのである。
就中(なかんづく)我が国への油道の切断こそ、その悪辣性の最なるものであった。油道を切断して我が国の艦船、飛行機、機械化部隊が動かなくなれば、我が国を刃に血ぬらずして武装解除し、少なくとも我が国の軍備をして、日本国産の油で維持し得る程度にまで制限したのと同様である。こうしておいて、我が国を袋叩きにして打ちのめそうとしたのである。譬えを以ていうならば、ギャングの親玉がその配下を語らって、善良なる一人の少年を取り巻いて袋叩きの気勢を示しつつ、侮辱、罵言し、難題を吹きかけ、聴かねば打ちのめすぞという構えの姿勢、それがこの対日包囲陣であったのだ。
開戦前の包囲陣は包囲陣に非ずして攻囲陣であったことは前述の通りである。凡そ何れの国に於いても、自国防衛のため必要なる防備をなすのは当然のことであり、勿論仮想敵国との交戦の場合を十分に考慮のうちに入れるのも当然のことであるが、それは内容に於いても、外観的にも、守勢的であるべき筈である。袋叩き的構えたる攻勢包囲陣を作って挑戦し、相手をして起たざるを得ざらしめ、起てばこれを袋叩きにして打ちのめそうというような戦略は、世界史上未だ見ざる悪辣なる戦略だと断言することができる。
我が国史を見ても、世界史を見ても、戦端を開いた後、敵の城塞を攻囲し、糧道、水道を絶ち切って攻め立てることは、戦闘の常則であり、別に不思議はないが、開戦前から、敵を包囲し、その糧道及び水道と同様である油道その他軍需資源の道を絶ち切り、袋叩きの攻勢的構えをなし、これを以て傲慢無礼極まりなき外交折衝の後拠とした例は、古来ただ大東亜戦争開戦前の米英中心の対日軍事包囲陣あるのみである。
かかる悪辣性の包囲陣である。いわば挑戦そのものであったのだ。起たざれば我が国は自滅するか、袋叩きにされて落命するか、であったのだ。俄然、我が国がその自立自衛のために立ったのは、いわば当然の帰結であったのだ。
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