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【無料記事】お祭りの行列に並ぶ
AKISEN様の素敵なイラストを使わせて頂きます。ありがとうございます。
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お祭りは、共感を特に強く感じられる特殊な場である。
町にはいろいろなところにおいしいお好み焼き屋があるのに、お祭りに行くとそれよりも味の劣る屋台のお好み焼きをつい買ってしまう。
焼きそばも、もっと具が多くて手の込んだものは、町の中に山のようにある。
それでも食べてしまうのは、それが共感を呼ぶからである。
誰かと一緒にものを食べる、という行為は、共感を生むもっとも効果的な方法の一つだ。
「同じ釜の飯を食う」という言い方は、同じ仕事をする、一緒に働く、という以上の響きを持っている。
そこにはもっと強い結びつきが感じられる。
実際、仕事をした後に一緒に食事をすると、連帯意識は一気に強まる。
恋人同士が、機会があるごとに一緒に食事をするのも、このことを考えると当然のことだ。
お祭りの屋台で、みんながみんな何かを買って食べているのは、空腹だからではない。
そこで、他人と一緒に何かを食べることに意味があるのだ。
チョコバナナや綿アメなど、縁日以外では見たこともないような食べ物は、もはやお祭りの一つの記号であって、味がどうのこうのという価値基準からは外れている。
それは、お祭りに行ったら、食べなくてはならないものになっているのだ。
お祭りの共感は、時として価値観を逆転させる。
例えば、混雑した満員電車は強烈なストレスになるが、お祭りの雑踏はストレスにはならない。むしろ、混雑していることが高揚感を生んでいる。
同じ混雑でも、価値観はまったく正反対である。
行列に並びたがる心理にも、同じことが言える。
もう少し後に来た方が早く入れるのにわざわざ混んでいるその時間に並んでみたり、長い行列があるとどんなものかわからなくても並んでみたくなるのは、この祝祭性が関与している。
もちろん、大勢並んでいるのだから、きっと面白いアトラクションなんだろう、とか、長い行列だからきっとおいしいスイーツなんだろう、という推測も関係している。
けれど、それだけだとしたら、おそらくもっと効率の良い方法で、そのアトラクションやスイーツを体験することはできるはずだ。
それにもかかわらず並ばずにはいられないのは、大勢の人たちと一緒にいることが重要だからである。
大勢の人たちと一緒に体験して、共感を味わいたいからである。
すでに予約していて、完全に手に入るということがわかっていながら新しい iPhoneを買うのに徹夜して並ぶ、ということも、まったく無駄で理解できないことだ。
けれど、これは iPhoneの発売という一大事に、それを買いたい見知らぬ大勢の人々と、その気持ちを共有するという、非常に大きな意味を持っているのだ。
これなどは、完全にお祭りの一つの形と言ってよいだろう。
どの行列にも少なからず、このようなお祭りの側面があるのだ。
行列の時間は、退屈で不毛なものと考える人たちもいる。
けれど、行列はそれほど完全にネガティブなものではない。
共感を求めて自主的にできてしまうものであることを考えると、並んでいる人たちはある程度の楽しみをそこで得ているということになる。