赤ちゃんと過ごした12週間
8週3日で心拍停止してから、あれだけ辛かった悪阻が日に日に軽くなり、すっかりなくなってしまった。
悪阻はなくなってしまったが、まだ赤ちゃんはお腹の中にいて、何の症状もない。
ポジティブM先生は1ヶ月の猶予をくれた。1ヶ月待っても出てこなければ手術しようと。
私はどうしても手術は嫌だった。どんな手術になるのかは知っていたし、赤ちゃんに機械的な処置を加えたくなかった。出来るだけ自然な形で、本来通るべき自然な道で外に出してあげたかった。
いつ出血するかもわからなかったが、私自身の力で、どんな姿でもいいから手に取ってあげようと思っていた。
私の日常は変わらず、普通に仕事にも行ったし、買い物にも行った。今思うと空元気だったかもしれないが、できるだけ普段と同じ生活をしていたかった。そして妊娠している時以上に赤ちゃんに声をかけ、お腹に手を当てて赤ちゃんを感じていた。心臓はもう動いていなかったが愛おしかった。
そして、住んでいる家の周りの景色、今日の天気、私が作る毎日の食事、主人との会話、日常の些細な事も伝えてあげたいと思った。
また帰ってきたいと思ってくれるかな。こっちの世界は楽しいよ。それがまだお腹の中にいる赤ちゃんにとってせめてもの償いだと思っていた。
そして3人で思い出を作ろうと、主人が旅行を計画してくれ、急遽清里へ1泊2日で旅行に行った。天体観測ができ星が綺麗に見えると評判のホテル。
あいにくその日は一日中曇りで、天体観測の時間も曇っており、肉眼で星を見ることは出来なかったが、テラスに出た途端に雲が晴れ、テラスにいた人から歓声があがるほど、綺麗な星が空一面に見えた。
お腹の赤ちゃんも喜んでいるかのようだった。お星様をこちらの世界から見たかったのかな。
そしてまた私達夫婦の元に帰ってきてくれるような予感がした。
1週間毎に病院にも行き、状態を診てもらっていた。赤ちゃんはだんだん形を失ってきていたが、結局1ヶ月待っても出てこなかった。
M先生は世間の病院がお盆休みに入る前に手術をした方がよいと言った。どこかで何かあっても対応できないかもしれないし、もし手術となった場合、違う病院で手術されるのが不安だと。自分が今後のためにも子宮内膜をできるだけ傷つけないように手術するからと言ってくれ、そこまで考えてくれているのならと手術をする事にした。
M先生なら安心だった。
赤ちゃんの事も、私の子宮の事も考えて手術をしてくれるだろう。
そして手術当日。
朝から無性にイライラしていて、直前に主人と喧嘩した。手術に対する不安がなかったといえば嘘になるが、それよりも赤ちゃんがお腹からいなくなってしまう事に対して気持ちがついてきていなかった。そしてこの気持ちは男には分からないと主人に辛く当たっていた。
赤ちゃんの心臓が止まっている事はとっくに理解出来ていたし受け入れていた。しかし理屈ではない感情が押し寄せ、赤ちゃんが私のお腹からいなくなる事が受け入れられなくなった。そして手術台に上がった途端、声を出して泣いてしまった。
M先生は見るに見兼ねたのだろう。
すぐに「麻酔!」と声がしたと思ったら、気づいた時には手術が終わってベットの上だった。
M先生が瓶に入った赤ちゃんを見せてくれた。赤ちゃんの姿はなかったけれど。
こちらの世界楽しんだかな。
赤ちゃんは小さな小さな瓶に入れられ、姿は見えないけどふわふわ浮いてた。
12週間一緒に過ごしたね。
楽しかったね。ありがとう。
また来てね。