英国取材に集まった3人。予想外の事実でトラブル続出
ロンドンに集合した3人。予想外の事実
海外取材は、手間とコストがかかるので、事前の準備が必要だ。
いつ、どこで、誰に、何を、どのように取材するか、
事前に決めておかなければならない。
その役割はすべて記者が行う。
その国の通信社やコーディネーターに取材の約束を取ってもらう場合でも
取材計画を立てて、事前に日本と現地で打ち合わせをするのは記者。
これで大丈夫、となってから出張する。
現地では、通訳、コーディネーター、カメラマン(男じゃなくてもよい)、
必要な場合は車の運転手、そして記者が動くので、
3~5人のチームになる(雑誌の場合)。
全員、それぞれの分野のプロだから、安くはない費用が発生する。
取材の予約を効率よく入れて、安全に移動し、
取材に集中するためには、成田空港で飛行機に乗る前に
取材先は、ほとんど決まっている必要がある。
ただし、海外取材では必ず予定外のことが起こるので、
どこで、どのくらい余裕時間を作っておくかも、腕の見せ所になる。
何かが起きたら柔軟に対応することが大切だ。
英国取材で、そんな事前のハードな日々をクリアして、
私たちは、ロンドンに集合した。
通訳兼コーディネーター、カメラマン、記者の私たちは
ロンドンから特急列車に乗って、数時間、乗車して駅で降り
レンタカーを借りた。
ここから、レンタカーで湖水地方に行く。
予約していたレンタカー店で「誰が運転する?」と私は聞いた。
私は、移動中も資料を読みたかった。
それに弁当箱ほどの大きさの放射能測定器を持っていたので、
測定もしたかった。
「私、運転できません。免許ないので」と通訳。
「僕も免許持ってないです」とカメラマン。
えっ、ふたりとも免許を持ってないの?
英国在住の通訳、米国在住のカメラマン、2人とも
車の免許を持ってないという。
ちょっと嫌な予感。
それで、運転手は私になった。
じゃあ、助手席の人は地図を見てね。現地までは遠いからね。
どちらが助手席に乗る?
「私、地図とか見て案内できません」
「僕も、道路地図って初めてです。無理です」
えっ、道路地図を見たことないの?
しかも、この地図、ロンドンで買った英語の地図だから
ちょっとクセがある。
日本の道路地図のように見やすくない。
これからは、数日、ずっと車で移動する。
運転できない、道路地図を読めない、という日本人2人と一緒に、
車で行動しなければならないことになった。
2人には悪いが、私はこのとき、自分が人選ミスをしたことに気がついた。
これは大変なことになった。
そう思っているとき、レンタカー店の担当者がキーを渡してくれた。
「予約は小型車だったけど、こっちの車にしたからね。いい車だろ」
それは、ドイツのディーゼル・エンジン車で、ワゴン型の大きな車だった。
レンタカー店のサービス
日本で国際免許を申請して所持してきた私は、
3人で唯一の車を運転できる人だった。
通訳、カメラマンは二人とも、運転は自分の仕事ではない、と
考えているからか、呑気にしていた。
私は、このときまで海外取材を数回、経験していたので
その厳しさを知っていた。
これまでの経験に加えて、今回は運転手と道案内も自身でやることになった。
大変なことになった、きちんと取材ができるだろうか。
不安な気持ちのまま、全長5メートル近くある立派なレンタカーに乗り込んだ。
運転はひとり、地図を見るのもひとり、お客と勘違いしている2人を乗せて
目的地の湖水地方に向けて出発した。
すぐに問題が起きた。
ランナアバウト(日本語表記はラウンドアバウト:環状交差点)などの交通ルールがわからない。
環状交差点にも大小あるようで、小さな円の交差点は、他人がいれば待ち、
出るのを見てから、中に入って出ていくということなど、わからないことだらけ。
止まっては地図を見て覚えて走る、を繰り返しながら距離を走れるように
なったころ、また問題が起きた。
バックできないのだ。
レンタカーはマニュアル車だった。
だが、バックギヤに入れようとしても、どうしてもギヤが入らない。
レンタカー店では普通に走っていたのになぜだろう。
誰かに聞きたいのだが、郊外なので人がいない。
やっとパブを見つけて、車の操作を教えてくれないか、と頼んだ。
当時の英国車は、バックギヤに入れるには、
ギヤのレバーに付いているフックのようなものを上にあげながら
ギヤを操作する必要があった。
教えてもらって、へえ、そうなのかと驚いた。
車は、郊外から丘陵地帯に入り、道が狭くなった。
そして、日が暮れて、真っ暗になった。
ホテルに着いたとき、無事、着いたという安堵感と、
初めての国のドライブで疲れきっていた。
しかしこの夜、ホテルのレストランで人種差別(たぶん)を受けた。
ホテルは観光地にある大衆的なホテル。格式ある有名ホテルではない。
宿泊客としてレストランに入った。
案内された席は、どういうわけか、厨房と客席との通路に無理に置いたテーブル席だった。
厨房で料理を受けたウエイターがドアを蹴って出入りする通路、
そこに私たちだけのテーブルがある。
従業員の誰かが、ターゲットを決めて
ときどき、こんなことをしているんだろうな、と思った。
しかし、疲れていたので腹は立たなかった。
私たちの行先を聞いて、小型車から2グレードも上級の車にしてくれたのも英国人なら
セコイ差別をしたレストランの従業員も英国人。いろいろな人がいる。
翌朝、このホテルでの連泊をキャンセルして
B&B(ベッド・アンド・ブレクファスト/民宿)に宿泊することにした。
湖水地方は、日本の富士五湖周辺と軽井沢を合わせたような場所だった。
湖があって、丘陵があり、自然がいっぱい。
「ピーターラビットの物語」の舞台だった。
湖とその周辺を取材した私たちは、民宿に戻った。
明日は、丘陵地帯を越えて海岸側のセラフィールドへ行く予定だ。
その朝、また事件が起こった。
「こっちの大きい車にしておいたからな。いい車だろ」
レンタカー店スタッフの粋な計らいに、またもや感謝することになる。
一歩も動けないカメラマン
遠出をする取材日の朝、カメラマンが出てこない。
どうしたの?
「あの、動けないです」
えっ?
「ぎっくり腰みたいです。動けません」
昨夜、ビールを飲みながら寝たらしい。
その時の姿勢に無理があったのに、そのまま熟睡してしまい、
目が覚めたら、ぎっくり腰になっていた、という。
一歩も歩けないほど、痛みが激しいようだ。
それでは、取材は無理だ。
今日は、これから遠出になる。
取材対象者とも約束しているし、核の再処理施設にも行く予定だ。
写真は、私が撮影するから、君はホテルで横になっていた方がいいよ。
「そんなあ、アメリカからここまでやってきたのに、ホテルで寝てるなんて嫌です」
じゃあ、どうしたいの?
「車の後ろの席に乗せてください。歩けないけど、車にさえ乗れば、なんとかなるかも」
しかしね、写真を撮れないカメラマンを連れて……と言いかけてやめた。
幸いにして、大きなサイズのレンタカーだから、後席になら横になれるだろう。
「ホテルで寝ているのは嫌だ」というので、連れて行くことにした。
これで、私は写真も撮影しなければならなくなった。
動けないカメラマンを抱えて後席に乗せ、海岸に向けて出発した。
核の再処理施設で取材して、市民も取材して
慌ただしい取材もあと一人になった。
現地で市民運動をしている女性を乗せることになっている。
待ち合わせ場所で、取材対象者の女性を助手席に乗せた。
そして、ここで気がついた。
私は、運転手でカメラマンで記者の3役だけど、
全ての仕事を同時にはこなせない状況に直面したのだ。
その女性は、車に乗るなり、話し始めたのでインタビューが始まったが、
私は運転しているので、質問がおろそかになる。
また、彼女に取材現場に案内してもらっているので、
インタビューの途中で「この先を左に」などと指示がある。
そして、続けて市民運動のことを話し始める。
後部座席に移った通訳が、会話に対応できない。
そもそも彼女はオランダ人で、結婚して英国にやってきた。
道案内の英語は私にもわかるが、通訳は彼女の英語の一部を訳せない。
私は、運転しているのでインタビューのメモを取れない。
カメラマンは、後席に座っているだけだ。
車の中では、インタビューと道案内と雑談が会話されていたが
私には、落ち着いて取材ができない時間だった。
記者の仕事としては、メモが取れないのが致命的だったが、
そんな状況も、取材が終盤に近づいていることを実感して、
楽しくなった。
彼女を家の近くまで送って行くと
「景色のキレイな帰り道を教えてあげる。道が狭いけど、必ず着くから安心して」
というので、その道を選んだ。
今だから白状するが、夕暮れの景色は本当にキレイだった。
しかし、道が狭くて曲がりくねっていて、大きいレンタカーには無理がある道だった。
民宿に着いたときは、無事に帰ってこれってよかったあ、と力が抜けた。
私は2人に車を運転できるかどうか、事前に確認しなかった。
まさか、運転免許を持っていなく、地図も読めない、なんて考えもしなかった。
それが、連続して起きたトラブルの原因だった。
この後、ロンドンからフランスに移動して、
シェルブール近郊で取材活動をした。
カメラマンのぎっくり腰は、数日で治ったが
英国と同じで、取材対応、レンタカーの運転など、
すべて私の役割になってしまった。
いまは、20数年前の楽しい想い出になっている。
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