【復刻版】核の黙示録・汚染された北の大地 【第4回 チェルノブイリ、危険ゾーンの中で】
【この記事は復刻電子版です。最新の記事・情報ではありません】1993年に取材。集英社・週刊プレイボーイで連載した記事を編集しました。
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世界中を震え上がらせたチェルノブイリ原発事故から7年。原発と30キロゾーンはその後、どう変わっただろうか。老朽化する「石棺」新しく設置されたゾーン、意外な放射性廃棄物の発見。訪れた取材班が目にしたのは、いまだ終わらぬ事故の光景であった。
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危険区域・ゾーンには7千人
「いまの石棺(4号機)は他の国の人々から見ると『原爆』のようなものです」
3年ぶり2度目のチェルノブイリ原子力発電所で、国際関係広報部のウラジミール・フェディノフさんは事故のあった4号機を『原爆』と表現した。
1986年にチェルノブイリ原発4号機が爆発。この事故は爆発と同時に多量の放射能を環境中に放出して世界中を震え上からせた。
事故を知った専門家たちがもっとも恐れたのは、核燃料が勝手に核分裂を始めて、制御不能な状態なることだったが、事故は幸いにもその一歩手前で収まった。
翌87年、放射能を放出し続ける4号機を環境中から遮蔽する工事が終了した。巨大な原子炉全体が厚いコンクリートで覆われている外観を見て、人々はこれを「石棺」と呼んでいる。
ウクライナ共和国の首都キエフから車で約3時間、たんぽぽが咲く美しい田園風景の終点に30キロゾーンの入口があった。ゾーンとは、原発を中心とした半径30キロの放射能汚染区域をいう。
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