デイビット・ゼム・ヴォイドの記憶方法から読み解く、ミクトランの物語の裏テーマ【2部7章ネタバレ】
この先、2部7章ネタバレ注意です!
ORT強過ぎだろ(絶望)。
…というのが、今回の1番の感想だった。
なにあれ。どうしようもない絶望って感じでビビったんだけど。1部の7章の時よりも絶望を感じたんだが。。。
と、まあそんな話はさておき、みなさん7章は終わっただろうか。
すごい物語だった。そして、素晴らしい物語だった。
6章も面白かったが、7章もスケール的にもバトル的にも物語的にも、とても面白かった。いろんな謎は残ったが、それは考察班にでもお任せしよう。
僕は物語を解釈してみんなとお喋りしたい人間だ。そんな僕が今回、一つの疑問をみなさんに持ってきたので、みなさんと一緒に紐解いていきたい。
僕がこの物語で一番疑問だったのは、デイビット・ゼム・ヴォイドの異常な記憶方法だ。
デイビットの記憶の方法については、このように述べられている。
さて、諸君らに聞きたいのだが、これってどういう意味だと思うだろうか?
これ、一見して僕は意味がわからなかった。なぜなら、複数の解釈があるからだ。
これ、どっち?どういうこと?と。
今回のnoteは、デイビットのこの特殊な記憶方法が、彼にどんな異常性を与えて、そしてどのように「彼の結末」に繋がったのかを考察するものだ。
「デイビット・ゼム・ヴォイドとは何者だったのか」。
是非最後まで楽しんでもらいたい。
① デイビットの記憶と、立ち絵の謎
まず、彼の記憶方法の謎についての僕の回答を先に述べよう。
その疑問に対する答えを探していく中で、こんな記述があった。
こう述べられていたのだ。
ということは、きっと彼の記憶法は、正しく解釈すると
ということだと思われる。
おそらくだが、彼の体感としては、1日が24時間なのはおそらく変わっていない。
ただ、振り返ったときに、1日=5分分の記憶としてしか残らないし、残せない。
24時間経験した上で、5分の記憶を選別して、あとは捨て去る。無駄な記憶を全部捨て去って、合理的に「覚えておかなければならない5分」を記憶し、それ以外は記憶に残らないようにする。これを毎日繰り返しているのではないだろうか。
デイビットの立ち絵の謎
彼の立ち絵の謎も、これで解ける。
彼は、最終局面に至るまで、横を向いた立ち絵しか用意されていなかった。主人公を直視することすらしなかった。インド異聞帯の時も、一瞬しか主人公を見なかった。
これは、記憶の選別を行なっていたからではないだろうか。
主人公を見てしまえば、必然的に主人公を記憶してしまう。だから、直視していなかったのだと考えられる。
直視してしまえば、記憶の容量をそのまま取られてしまう。なので向き合わない。そういう選択を彼がしていたのではないか。
こっちを向いたデイビット
そして、彼が主人公を直視したのは、最終局面で、もう記憶の容量なんて気にしなくていい状態になってからだ。
この時点では、あと1分しか記憶は残っていない。それでも彼は、最後だからこそ、主人公と向き合って、言うべきことを言ったのだと考えられる。
もっと詳しく、このプロセスを説明しよう。
例えば僕らが昨日の記憶を思い出すときに、「ああ、昨日はFGOのこのシナリオ読んで面白かったな」「Aくんともこんな話をしたな」という記憶は残っている。それらはきっと24時間すべてではないにせよ、6時間なり、10時間なりではあるはずだ。
それが、デイビットにとっては5分しか残っていないということだ。
7章前半で、あまりにデイビットのコミュニケーションが唐突かつ突飛かつせっかちで「こいつRTAでもやってんのか?」とユーザーから言われていた。
だが、実際は「5分以上は記憶できないから、1日のうち重要で明日も覚えておかなければならないことを5分以内に収めていた」のだと考えられる。
(ちなみに蛇足だが、アニメの情報になるが、マリスビリーは死の直前、デイビットに「5分遅刻だ」と言っていた。これを指して「デイビットが5分遅刻するってことは、デイビットにとっては1日分考え込んだんじゃね?」と界隈では騒がれているわけだが、これはちょっと違う気がする。彼の5分と我々の5分が異なるということはない。)
さて、この説をベースにすると、7章の物語は違った見方ができてくる。
②ミクトラン=デイビットの3つの特徴の象徴
デイビットが、24時間のなかで5分しか記憶できないとは、どういうことを意味するのか。
僕は結論として、デイビットは、ミクトランで登場した様々な人物たちと同じだと言えるのではないかと思う。
例えば、「合理的に物事を判断してしまう」というのはディノスと同じだ。無駄な記憶をすべて捨て去らないとやっていけないからこそ、無駄なことはしないし、できない。
例えば、「記憶を忘れてしまう」というのはカマソッソと同じだ。どんなに大切に思っているものでも、過去を忘却せざるを得ないという点において、状態としてはカマソッソに近いと言える。
例えば、「与えられた命題に忠実にならざるを得ない」というのはククルカンと同じだ。彼は「人間は善いことをする」という命題に縛られているから。
そして7章とは、このデイビットの性質・デイビットが「5分しか記憶できないが故に得ていた天才性」をすべて否定する物語だったのではないかと思う。
結論として、デイビットは主人公に負けた。
でもそれは、当たり前のことではなく、主人公がデイビットの3つの特性のすべてを否定したからだと言えるのではないだろうか。
合理=ディノス
まずはディノス、これは分かりやすい。あの種族はみんな、「デイビットみたいなやつら」の集まりだった。
あの種族は、無駄なことは一切しない。無駄なことにエネルギーを使うことに対して意味を見出せない。テペウがサッカ大会から棄権したことなどは最たる例だろう。
デイビットもそうだった。
例えばキリシュタリアが殺されたことに対して、ペペロンチーノは報復に行ったが、彼はなんの感情も動かしていない。
それどころか、彼のAチーム評が酷すぎる。
……なんだこれ。
いくらなんでもみんなかわいそうだろ。「無駄死」「野垂れ死」って。
でもこれ、確かに感情を無くして合理的に考えるとこうなるのである。
カドックは置いておいて、今までのAチームメンバーは死んだ「甲斐」があんまりない。
その中でもベリルは、愛するマシュにシリウスライトを埋め込むのをブロックして、愛の告白をして死んでいったので、まあ確かに一人勝ちである。
ただ、あまりにも合理的。この合理性こそが、彼の記憶の仕方から続く彼の特性だったと言えるだろう。
「おまえのように他人と信頼を築けない。」
まあ、確かにそうなのだ。
しかし、ORTに主人公が勝てたのは、紛れもなく「みんなと仲良くなったから」である。合理的でなかったから、主人公はデイビットに勝ったのだ。
数多くの英霊と仲良くなり、テペウと仲良くなり、ディノスと仲良くなり、オルガマリーと仲良くなり、ククルカンと仲良くなり。
そうやって数多くの人と信頼関係を築いたから、主人公は勝つことができた。
デイビットの合理性に打ち勝った。
オルガマリーもそうだ。
「私がなぜお前たちを助けに来たかわかるか?」と言われて、「友達だから」と返した。
これはつまり、デイビットには作れない他人との関係だったと言える。
要するに、合理に非合理が勝ったというわけだ。
忘却=カマソッソ
カマソッソとデイビットも似ていると言っていいだろう。カマソッソは、「忘却」の人類悪だった。
何もかもを忘れて、自分に命を捧げた者たちのことを忘却して、やっと自分を保っていた化け物だった。
まさに、デイビットの記憶と同じだ。
1日5分以外全て忘却してしまえば、1年なんて30時間に等しい。600万年だって、せいぜい200年程度の話にしかならない。
600万年は無理でも、200年なら耐えられる。
忘却とは、それだけの力を持っているのだ。
だからカマソッソは忘却した。忘却して、過去を忘れて、今を永遠に続けていた。
デイビットとカマソッソはとてもよく似ている。
デイビットにとっても、人生は今しかない。1年は30時間分の記憶でしかなくて、我々にとっての1日ちょっとでしかない。彼らにとって、人生とは「今しかない」のである。
そのカマソッソを、主人公は倒した。今しかないものを、過去を思い出させることで勝利せしめた。
記憶はなくても、記録は残っていた。
彼は今しか生きられない怪物だったが、そんな彼でも、「過去」は確かに意味を持っていたのである。
使命=ククルカン
ククルカンとデイビットも似ている。
デイビットも、「人間は善いことをする」という信条にある種とらわれていた。虫が光に向かって集まるように、デイビットは「善い行い」をする指向性を押し付けられていたと言っていい。
ククルカンも、ミクトランに縛られてしまっていた存在だった。ミクトランのことを優先し、たとえ助けたいと思っていたとしてもカルデア一行を殺そうとしていたほどだった。
使命に対して忠実で、使命を投げ出すだけの理由を持たないし、持てない。そういう、「悲しい存在」だったわけである。
もちろん、ミクトランパでは彼は目的を聞かれて「お前と同じ、やりたいからやっている」と答えた。だがそれは、おそらくミクトランパだから出たセリフだろう。あの場所でなければ、彼はきっと使命を使命として捉えて、「運命」と語っていたはずだ。
ディノスの合理と、カマソッソの忘却と、ククルカンの使命。
デイビットは、ミクトランの登場人物のいろんな要素を持っていた人物だと言える。
③デイビットの敗因は、デイビット自身にあった
しかし、デイビットは、この3つに最後まで順ずることができていなかった。
有り体に言って、これ自身が彼の敗因だと言える。
彼らしくない3つの行動
デイビットは、ORTを生み出して自分の計画を着々と進めた存在でしかなかったわけだが、振り返ってみるとかなりカルデアの味方をしてくれていた。カドックに話をして、主人公に冥界を進む手段を提供して、次に進む指針を示した。
それを彼は、「機会は均等であるべきだ」「キリシュタリアとの取り決めだ」と言っていた。
が、これはククルカンがテペウの要請を受けてやっと動けたのと同じように、「使命の範疇を超えずに使命に反する行為をする」行いだったと言えよう。
「使命」に反することを彼はやっていたのだ。
また、「合理」に反することも、彼はしている。彼はペペロンチーノとカルデアをインドで助けてくれている。
「お友達感覚」なんて言っているが、彼の方向性を考えれば、それはかなり不思議というか、彼らしくない言動だ。
しかしこれって、オルガマリーがカルデアを「友達だから」と助けてくれたのと同じだと思える。
そして極め付けは「記憶」だ。デイビットは、ペペロンチーノの本名を覚えていた。
ペペロンチーノの本名。彼が「5分しか記憶を残せない」人物であるのなら、彼の記憶は我々の300倍の価値があると言っていい。
彼は、重大な記憶容量の一部を使って、「妙蓮寺鴉郎」という名前を覚えていたのだ。
合理・忘却・使命。
この3つを、他ならぬ彼自身が、破っていたわけである。
結局、彼が破れたのはこれが敗因だった。彼がもし完全に合理的で、忘却し、使命だけを追うものであったのなら、彼はきっと主人公に勝利していた。彼が破れたのは、彼が合理的でなく、無駄なことを忘却できず、使命に順ずることができなかったからではないだろうか。
④デイビットは全力だったから、逆に負けた?
そして、ミクトランパだ。
僕は、ミクトランパの彼をこう見ている。
彼は最後のテスカトリポカの領域ミクトランパで、「5分ルールから解き放たれていた」のではないか、と。
彼はミクトランパで、主人公に向き合っていた。
そして普段の彼では考えられないほど、軽口を言っていた。
極め付けはこの発言だ。
「幾度となくシミュレートした」?
そんなわけはない。
彼は、シミュレーションしても5分以外全部忘れてしまうはずだ。この発言は、いつものデイビットなら絶対にあり得ないんだ。
だから、僕はミクトランパで、テスカトリポカは、あの5分記憶の縛りは消し去ったのではないかと思うのだ。そうではいとこのセリフの整合性が取れない。
そしてその上で、真正面から、彼は主人公に向き合っていたのだ。(これは物理的にもそう)
そして、だからこそ、彼は破れたのではないだろうか。
デイビットは、天才だと言われていた。キリシュタリアにも並ぶ大天才だ、と。
そんな彼は、「マスターとしての技量ならそちらが上」なんて言っていたわけだが、はっきり言ってそんなわけはない。
デイビットは、主人公に勝てるはずの人物だった。全てを使って戦って、主人公に負けるはずのない人物だったはずだ。
でも、負けた。
それはきっと、彼が「5分ルールから解き放たれていたから」だと僕は思うのだ。
彼は全力を出した。テスカトリポカが言うのだからそれは間違いない。
でも、彼にとっての全力が彼にとっての足かせだったのかもしれない。カマソッソが忘却を解かれて負けたのと同じだ。
幾度となくしたシミュレーションを思い出し、5分以上の記憶を持ってしまったからこそ、彼はいつもの強さではなかったのではないか。
「普通の」マスターとして戦うなんて、彼は夢でしかやったことがなかったのではないか。
だから、彼は負けたのではないだろうか。全力を出してしまったから、逆にその天才性は失われて、主人公に負けたのではないだろうか。
テスカトリポカの最後のセリフ
最後にこの物語を締めくくったのは、テスカトリポカの「時間」の話だった。
彼がこの話をしたのは、僕はまさに、デイビットのことだったからなのではないかと思う。
デイビットは、自分の記憶の中では5分しか積み上げることができない人物だった。
でも、実際には24時間の行動があった。1年=30時間程度であったとしても、それは彼の中での話。
時間は、ちゃんと1年分あるわけだ。
デイビットにだって、5分以上の価値があったのだ。30時間以上の意味が、必ず存在していたのだ。
だって、デイビットのおかげでペペロンチーノは満足そうに死んでいったじゃないか。紛れもなく彼のおかげで、続いていくものがあったじゃないか。それを彼自身がたとえ5分の記憶の中に入れていなかったとしても、そこには必ず、彼の体感時間以上のものがあったはずなのだ。
デイビットは、確かに、時間を積み上げていたのではないだろうか。
まとめ
いかがだっただろうか?
デイビットは、合理的にもなれず、忘却もできず、使命だけに殉じることも、できなかったのだと言える。そしてだからこそ、主人公たちにバトンを渡すことができた。
彼の出番は、また来るのだろうか。
その時は、ミクトランパの彼と同じように、無駄なことをして、自分にとって特別なものを忘却せず、真の意味で自分のやりたいことをやる、そんなデイビットであって欲しいと願わずにはいられない。
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