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「コミュニケーション」の意味を理解する

移住して2年半も経つのにまだ一度も鹿に遭遇したことのないシノキンことシノキユウコです🦌
早いもので、今年も残すところあと2ヶ月となりました🗓️
いつもこの時期になると、年の初めに立てた目標やビジョンを思い返し反省しています😞

さて今日は映画から得た田舎暮らしに必要なコミュニケーションについて書きたいと思います。それではいってみましょう!!

ドキュメンタリー映画 「心の棘」から得たもの

植物の棘は自分を守るためにある

私は音楽鑑賞・読書・映画鑑賞が趣味であり、どんなものを聴きたいか・読みたいか・観たいかで自分の心の状態を知ることができる精神状態のバロメーターでもあります。

自分が好きな映画を10作品あげて!と聞かれたら必ずランクインする「エターナル・サンシャイン」。
当時、ビョークダフトパンクなど世界で活躍するミュージシャンのミュージックビデオを手がけていたミシェル・ゴンドリーが監督した作品としてとても話題になりました。
公開から20周年を迎えた今なお、根強いファンが多く渋谷のBunkamuraでは10月から再上映されているほど。

そんな情報を目にし、先日、同監督のドキュメンタリー映画「心の棘」を見ました。この映画は片田舎で教師をしていた監督の伯母の過去を追ったドキュメンタリーです。
(ちなみにドキュメンタリーを観たいと思っている時は、心がモヤモヤしていたりする時です笑)

撮影当初の構成は伯母と元教え子たちを中心に伯母の教師人生を追うものだったが、元教え子の中に実の息子がおり、彼(息子)に話を聞くうちに映画のテーマが徐々に伯母家族の話へとシフトしていきます。
元教え子たちと久々に再会し、思い出話で盛り上がる。しかも何十年もの月日が経ったにも関わらず、元教え子たちは彼女から教わったことを鮮明に記憶しており、それを聞いた彼女は教師という職業がどれだけ人に影響を与え、社会貢献そのものであると語る。
しかしインタビューを重ねるごとに、教師という自分と1人の女性・母親としての葛藤・苦悩・後悔や家族の関係性が浮き彫りになっていき、ふと息子の父親でもある夫が亡くなった時のことを話し出す。
彼女は夫が亡くなる直前に息子と夫の関係が悪くなったことで、息子に対し不信感を抱いていたこと、一方息子は父親が亡くなったことに対する罪悪感をずっと引きずっていたと打ち明け、お互いが「心の棘」を抱えていたことを知る。

棘は刺されるものでなく、自分自身が刺している

何十年も昔のことなのに、まるで最近の出来事のように言葉に詰まりながらその時抱いていた気持ちを少しずつ語り、お互い刺さっていたものが少しずつ取れていく感じが伝わってきました。
そして「心の棘」と表現していたものは相手に刺されたものだと思っていたけれど実は自分で棘を刺しているのだと感じたと同時に、ただのコミュニケーション不足じゃんと感じました。

人それぞれ価値観は異なり、喜怒哀楽の対象や感覚も違います。
それはわかっているけれど、心の距離が縮まった時、自分の価値観を押し付けてしまうことがあります。田舎での生活は人との距離感もそうですが、物理的な距離が近いことが多々あります。

私は、田舎特有の人との距離感の近さはとても魅力的だと感じています。
しかし同時に厄介だとも感じています。
都会で暮らしていたら自分の生活の中に「近所付き合い」はほぼ皆無。
しかし田舎では物理的な距離が近いから、必然的に付き合いの距離も近くなる。だからこそきちんとコミュニケーションをとらないといけないし、コミュニケーションの意味をきちんと理解して実践しないといけないと痛感しました。

コミュニケーションとは「社会生活を営む人間の間に行なわれる知覚・感情・思考の伝達。情報伝達だけにとどまらず、意志疎通を図り、互いの心理や気持ちを理解し合ったときに成立するもの」

広辞苑より抜粋

言いたくないこと、言いづらいことを言わないのは、コミュニケーションが取れているとは言えないと再認識できたとてもステキな映画でした。

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最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
それでは、また!!







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