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考えられる範囲内に他人がいない(自閉ってつまり、こーゆーこと)

じへーは自己中だと言われることが多々あります。しかし、じへーにとってその言い方は心外なのです。いつでも至って真面目に物事を考えているのです。決して、自分を中心に物事を考えているわけではないからです。

考えられる物事の半径が狭くて、自分以外の人のことまで考えられないというのが、的確な答えなのではないかと思います。

他人を無視して自分の都合のいいように考えることを「自己中」と言われても仕方がないです。しかし、じへーは他人を無視をしているのではなく、思考の中に他人のことまで入ってこないために、相手の都合や迷惑を考えず行動をしてしまうのです。多くの場合、思考の中に相手のことが入っていないという自覚すらないのです。だから自己中と言われると、心外に感じるのです。

しかしこの言い分も、じへーならではです。

「自分には悪意がないのだからとにかく自分は悪くない。」そんなことを言い出すか、もしくは表面上謝っておいて腹の中で思っている。それがじへーです。

相手にとって、じへーであろうがなかろうが、かけられた迷惑は同じです。理由がなんであろうとまず迷惑をかけたと認めてくれないと話が進まない。

相手の身になって考える力が備わっていたならば、自分が悪いか悪くないかよりも先に、迷惑かけちゃったなぁ申し訳ないなぁという気持ちになるでしょう。それをカバーするにはどうしたらいいか、具体的な解決策もすぐに考えはじめるでしょう。

それなのに「自分が悪いか悪くないか」に拘ってしまうのは、思考範囲の壁に閉じ込められているからなのです。壁の中は自分しかいないので、考える材料も自分しかないのです。



「逆自己中」という現象もあります。

自分だけが犠牲になればいいんじゃないかという考えです。

たとえば、仕事だとこんなことです。自分だけサービス残業すればいいんじゃないかとか、経費で落ちない物は私が買っちゃえばいいとか、お菓子を配る時に数が足りないから「あんまり好きじゃないんで・・」とか言って遠慮しようとか。安易に自分が犠牲になることで解決しようとする現象です。

自分が犠牲になる分には誰にも迷惑をかけないと思ったら大間違い。周囲の人がそれを知ってどう思うか、どんな風に感じるかに考えが及ばないのです。

一人で自営業ということでもない限り、仕事は誰かと関わりながらしていくものです。一人がサービス残業していて、他の人がそれをどう捉えるか。「いいのよ、私が好きでサービス残業してるんだから」と言っても、他の人が残業時間を勤務として付ける時、気持ちよく付けられるでしょうか。

会社で使う物を自費で買ってくる人がいれば、それなりに周りも気を使いますよね。結果、周囲の人にも出費させることにならないでしょうか。

頂きもののお菓子を好きじゃないと言って遠慮するより、半分こするとか、次に配るお菓子は一個多くちょうだいねとか、公平感が感じられるほうがみんなが気持ちよくお菓子を頂けるのではないでしょうか。

安易に自己犠牲を払うより、もう一歩先に進んで相手がどう感じるかを考えるところまで行けば、選択する行動は違ってくるはずです。


いやしかし。それができれば苦労はない。だってじへーなんだもん。思考範囲の壁が狭くて硬くて越えられないんだもん。


そんなあなたに朗報です。

世の中に、じへーはめっちゃたくさんいます。じへーじゃなくても変わった人、困った人はたくさんいます。みんな一見普通ですが、みんなそれぞれどこか欠けているのです。あなただけが欠けているわけじゃないんです。

欠けていることを、そのまま認めましょう。そしてこう言ってみてください。

「ごめんね、わたしってそうなんだよね。迷惑おかけします」

世の中のだいたいの人は、こうやって生きているんです。悪いところがあっても、なんとかやっていけるのです。清く正しくなくても、悪いところがあるままやっていけるのです。悪いなという自覚さえ持てれば。

しかし、人間関係を壊すのは悪いところを認めないこと。自分は悪くないと思う気持ちから、相手の言うことに耳を貸さないこと。

そんなことをしていると、「じへー」が「自閉」になって、自らコミュニケーションを閉じることになってしまうので、お気をつけください。


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