帝国に挑む(9) ~志村けん~
女の子とは上手く話せなかった。
田舎の子供なんて皆そんなもんだ。
ボクは、緊張して話せない自分を隠す為に、「女の子には興味がない」と硬派を気取っていたけど、本当は同じクラスに気になっている子がいた。
その子は、いつも一人でいる。
楽しそうに喋っているところをあまり見たことがない。
昨日も、一昨日も、その前も、僕は、その子に話しかけることができなかった。
「勇気を振り絞って話しかけて、もし、盛り上がらなかったらどうしよう?」
そんなことばかり考える。
きっと今日も話せないのだろう。
昼休み。
ボクは教室の後ろにたまって、昨晩やっていたテレビ番組の内容を皆に話していた。
志村けんが、スットンキョウな形をした団扇太鼓を叩きながら「♪大丈夫だぁ〜、ウェウェウェ〜」と意味不明なお経を唱えるんだけど、こいつが面白くて面白くて。
その面白さをクラスの友達に伝えたくて、できもしない「志村けんのモノマネ」に果敢に挑んだところ、クラスの皆と…
あの子が笑ってくれた。
そして、向こうから話しかけたくれた。
面白いことをすれば、話しかけてもらえるんだ。
テレビの世界を意識したのは、その日だ。
それから、毎日テレビにかじりついた。
テレビの世界には他にも面白い人はたくさんいたけど、志村けんは、画面に登場するだけで世界を掌握していた。子供のボクでも分かるほどに。
圧倒的だったな。
それから20年が経った、ある日のこと。
ボクは志村サンと二人でリハーサルをしていた。
『はねるのトびら』に、志村サンが出てくださったのだ。
志村サンはリハーサルに時間をかける人だった。
芸人には珍しいタイプだ。
番組のレギュラーメンバーがスタジオに集まる前に、二人でリハーサルをした。
志村さんが片っ端からボケていって、それにボクが突っ込んでいく。
リハーサルというか、「スパーリング」に近い。
あの日、ボクを教室のヒーローにしてくれた人との打ち合い。
これほど芸人冥利に尽きることはない。
まもなくレギュラーメンバーがスタジオにやって来た。
レギュラーメンバーは、自分達よりも先にスタジオに入っていた志村さんを見て驚いていた。志村さんは、メンバーが気を使わないよう、1度目のリハーサルのことを伝えなかったのだろう。
レギュラーメンバーを入れて、2度目のリハーサルが始まった。
ボクは、一度、手合わせをさせていただいたので、どのタイミングで下がって、どのタイミングで打てばいいのかが分かっていた。
リハーサル終わり。
志村さんが、スリッパを片方だけ持って、ボクのところに駆け寄ってきてくださった。
そして、手に持っていたスリッパをボクに渡して、言った。
「西野君。ボクの頭を全力で叩いてね。キミならできるでしょ」
あの時の言葉は忘れもしない。
忘れられるはずがない。
「おい、教室の後ろで志村けんのモノマネをしているオマエ。オマエは、20年後、その人に仕事を託されるんだぞ。しっかりやれよ」
小学校低学年の頃。
志村けんが「こっちは楽しいぞ」とテレビ画面の中から手を引いてくれた。
テレビの世界に飛び込むことを決めるのは、ちょっと怖かったけど、あの人はいつも言っていた。それも、すっとボケた声で。
「大丈夫だぁ」
2020年3月29日。
ボクをこの世界に招いた人は、天国に行った。
最期は、あっという間だった。
世界は今、かつてない混乱の中にいる。
たくさんの人が悲鳴をあげていて、ボクの周りでも本当に多くの人達が、先が見えない不安に膝を抱え、震えている。
そんなタイミングで、このボクは、
たくさんの人達の想いや、たくさんの人生を背負う立場にある。
今度は、ボクが言う番なのだと思う。
「大丈夫」
この言葉を誰よりも強く、優しく、言えるようになりたいな。
志村けんサンへ。
大好きでした。
あの日、手を引いてくれたことをボクは一生忘れません。
明日も面白いことをしよう。