しなやかな刃 (1)
ブラックホールのような瞳だと思った。
11月某日。朝から、コートの下が汗ばむような陽気だった。まだ人のすくない新宿通り、可愛らしい赤の外壁を背にしてその人は立っていた。全身黒の茶色ブーツ、仰っていたとおりのいで立ち。
―お待たせしました、
声を掛け、駆け寄る。目が合う。瞬間、怯んだ。底なしの闇のような黒。
―坂爪圭吾です。
発する声は柔らかい。笑顔こそないが、人を拒絶するような風をまとっているわけでもない。瞳以外はごく普通の、センスの良い若い男性に見えた。
―ブレンドのM、と、
カウンターで先に注文をしかけた坂爪さんは、そこで言葉を切った。まずはお茶でも飲みながら、というお誘いにはずいぶん早い時間を指定してしまっていたので、そうか朝ごはんを召し上がっていなかったのだな、と思いながらぼんやりメニューを眺めていたら、
―あの、一緒に。
遠慮がちに急かされ、赤面するはめとなった。同じものを頼んでもらい、出てきたトレイはさっと横から奪われた。坂爪さんは、紳士だ。
1000日以内に武道館でライブをする。
その何日か前、全世界に向けて発信していた坂爪さんとは、熱海の別宅にお手紙を出したのが最初だった。当時お付き合いをされていた女性と別れたことをきっかけに住まいを失い、2年間ものあいだ見知らぬ他人の家を転々とした生活を綴ったエッセイがあまりに強烈で、別の記事に、手紙をもらえたら嬉しいと書いてあるのをつい真に受けた。
投函した翌々日、集合ポストに綺麗な封筒が入っていたのを見たときの気持ちを言い表すのは難しい。中を開いて、その思いはさらに強まった。ハンドメイドらしい布張りのノート、ドライフラワー、そしてなぜか大麦若葉の粉末。癖のある字で書かれた短いメッセージにはひとつも嘘がなく、小学生の男の子に手のひら一杯のどんぐりをもらったような、不思議な心持ちになったのを覚えている。
チラシやポスター、パンフレット、WEBに載せるデータでも何でも、絶対に間違えたくない大切な情報の校正ができます。武道館に行くにあたって、なくてもいい仕事かもしれませんが、もし必要になるときが来たらお声がけください。
思いきってメールを送信した2時間後に、新着メールを見つけたときの気持ちは忘れてしまった。嘘でしょ、と呟いたような気はする。やはり短い本文には一言も無駄がなく、坂爪さんが大変多忙な方だとしみじみ知るのは少し先のことになる。
自分は何を生業とし、校正とはいかなる作業であるか。そのメリットとは何か。つたない言葉を真剣に聞いてくださる坂爪さんの佇まいは、想像とはずいぶん違っていた。ふとそれを伝えると、それはどんな感じですか、と問われた。
―閉じてるように見えますか。
―いいえ、そうではなくて。
たしかに、相対している坂爪さんの言葉の少なさ、ご自分の思いを主張なさるより相手の話に全身で耳を傾けようとする姿は、手紙やメールのフランクさからは遠い。けれど、かたくなに自分の世界を守ろうとしたり、無意識に何とか目の前にいる相手より優位に立とうとするような、ある種の人たちとはまるで違う。
坂爪さんはしばらく考えて、
―俺は、場に集中しようとしているのかもしれません。
と仰った。今このとき、自分と相手がいることで生まれる場とそこを飛び交う思いの粒子のようなものを掴まえようとしている。(ここで両手を顔の横に立て、肘から上を少し倒して空間を区切るような仕草をなさった)もしかしたら、それがクローズドな雰囲気を醸し出しているのかもしれない、と。その言い方がすとんと腑に落ちた。
目に見えないものに意識を向けているから、いっけん相手を無視しているようだけれど、実は相手を含めた全部を受け入れようとしているので嫌な感じが全くしない。粒子とは、無意識と言い換えられるかもしれない。言葉以外で伝わる情報を丁寧に拾い上げたうえでレスポンスを返すから、ときに会話の文脈から大きく逸れたように思える話題でも、違和感なく続けることができる。大変に高度で、同時にご自身は、よほど消耗される会話術ではないかと思う。
また、これはその日別れてから気づいたことになるが、坂爪さんの他者に圧をかけない力量は相当なものだ。普段、人と会えば必ず、お開きのあとにくよくよ悩む。あれは言わなければよかった、あんな思い違いをして恥ずかしい。この日も飲み物の注文に始まっていくつも勘違いをし、追加の水から別れるタイミングまで坂爪さんにエスコートをさせ、ただへらへらと言いたい放題してきただけなのに、びっくりするくらい、帰り道の悔いと懺悔がない。それは相手を徹頭徹尾受け入れる寛容と、相手に言い訳をさせない厳しさによるものと思う。
初めて会った相手と沈黙を共有するのは気づまりなことだ。けれど、坂爪さんと話しているあいだは自然と言葉すくなになった。相手を喜ばせたいと言えば聞こえがいいが、実は単なるお調子者、いつも皮相上滑りなことばかり言ってしまうのは、何かをおそれていたのかもしれない。言いたくないことを無理に言っていたのとは違う。それでも、芯から湧き出たのでない言葉を唇に乗せるのは、思いのほか自分の心に負担をかけるおこないなのかもしれない。
家のない生活をしていた頃は、坂爪さんを泊めたい人たちが列をなしているような状態だったそうだ。お会いしてみて、彼らの気持ちはわからない、と思った。それは抜身の刀を脇に置いて眠るような選択に思える。覗き込めば永遠に落ちていくような、真っ暗な穴を見て彼らは正気でいられたのだろうか。いられると思ったのだろうか。
あるいはそれは、彼の中に自身を見ているだけだったのかもしれない。坂爪さんを指して神様のように書いている方の文章を読んだことがある。彼女にとっては光そのものなのだろう。
これを書いている今でさえ、ほんの十日ほど前のことでしかない、当時の印象とはずいぶん違う感想を彼に持ちはじめている。あの日はあんなふうに思っていたのだなと懐かしささえ感じる。
うかつに触れれば人を狂わせる、鈍く光る刃のような人。けれど、重力をかけられて折れるものではない、強靭なしなやかさをも併せ持つ人。
雑談と実務的な話を行きつ戻りつし、好きなバンドはありますかと聞かれた。
おそるおそるGRAPEVINEという名前を出すと、坂爪さんは一瞬目を見開き、くしゃりと笑った。
(続く)
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