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エルドラドへ
エル‐ドラド【(スペイン)El Dorado】
16世紀の探検家たちが南アメリカのアマゾン川上流奥地にあると想像した黄金郷。転じて、理想郷の意にもいう。
―小学館『デジタル大辞泉』
穴があったら入りたい。
電話の向こうの明るい声を聞きながら、気が遠くなりかけるのを懸命にこらえていた。
ライブレポを書きます。THE PRESENTSを知ってもらう入口を拡げましょう。そう言ったのは、坂爪さんの仰る「やりたいこと」に沿う手立てを考えたからだ。
やりたいことは、何ですか。一生これだけやっていれば幸せと、思えることは何ですか。問われれば、答えはひとつ。それは、武道館に行くという彼らの目的をすぐに助けられるものではないと思った。
だから、発想を拡げてみた。字を書くことは、比較的、苦しくなくできる。もちろん、書いているあいだは苦しい。でも、1、2時間うんうんうなっていれば、いつの間にか何かが目の前に現れている。書くことは、肉体労働と変わらない。神様を信じて手を動かしていれば、必ずできる。
何事も、まずは勉強が肝心だ。THE PRESENTSの周りに蠢く人びとが、どんなことを書いているかを知ろうと思った。実際に調べる、ということはほんとうに大切で、たとえば女性が多いのかなと思ったら、そうでもない。年齢は、どうだろうか、30代前後の方が目立つ印象はある。
共通しているのは、文字の多さ、熱量の大きさ。とくに坂爪さんが紹介なさる文章には、確固とした一定のトーンが感じられて、実際に接する機会はすくないだろうアーティストとファンが、価値観をしっかり共有できていることに感嘆した。
一方で、不安も大きくなった。これは、裏方仕事をしていた人間ならではの心の動きかもしれない。強い絆は、ときに新参ものを悪気なく跳ね除ける。大量のテキストをていねいに読みこめば、THE PRESENTSがどれだけ素敵なバンドか、彼らのしようとしていることがどれだけわくわくすることかわかるけれど、大好き、を前提としない人びとには敷居が高すぎるのではないかと思った。
それをよしとするのもひとつの道だ。けれど、水面に広がる波紋のように、動きを、思いを伝えていきたいのであれば、金脈を求めてひたすら掘り進めるような方向の今の動きだけでは、足りないように見えた。
降臨、という彼らがたびたび口にする言葉と、それを補強するような説明にも気になるところがあった。今の自分に足りないところがあるから頑張る、のではない。もう完璧で、真から自分を生きていれば、おのずから夢が叶う。その通りと思う。けれど、そこでお金を集めるのは違う、それはTHE PRESENTSの力を信じない失礼なふるまいにあたる、という発想は、わたしには浮かばなかった。
これは、単に表現の違いの問題で、実際に会って話せばかんたんに解消するたぐいのものと思う。
ただ、よしんばそうであっても、この世のエネルギーのやり取りの多くがお金によって介在されている以上、それは必要なものだし、「武道館に行くことは既定事項」だからこそ、がむしゃらにそのための力を集めることはむしろ必要なことのように思えた。かつて、音楽をはじめたばかりの坂爪さんが日に一曲を作られて力を貯めていったように、365日で365通りの営業アイディアを出してとりあえず全部やってみることは、わたしの感覚では遊びで、降臨だ。
悶々とする日がつづいた。
何日目だったかわからない。明け方に夢を見た。
そして、ライブ前の多忙を極める坂爪さんに、とんでもなく長いメールを送りつけた。
たった一度会っただけのミュージシャンに、今のバンドにはこれとこれとこれとこれが足りないと思うと殴り込みをかけるほうもかけるほうだが、よく言ってくれた、ついては僕たちが話し合いの席をもつから司会進行をやってくれないかと応えるバンドもバンドだ。THE PRESENTSというバンドの懐の深さを示すエピソードとして、これは繰り返し語っていきたい。
ふるえながら電話を受けた無礼者に、マネージャーのカムキさんはあくまで謙虚に感じよく、しかし有無を言わせない手管で約束を取りつけた。狐につままれたようなふわふわした心持ちのまま通話を終え、カムキさんが繰り返しラインラインと仰っていたのが気になるけれど、それは忘れようと決めた。曰く、ラインで圭吾さんに送ってくださった文章が、本当にその通りだと思って、僕は、連絡を――あとで見返して自分でもあおざめるほどの長い文を、あんなちいさな吹き出しの中におさめるはずがない。まさかのまさか坂爪さんは、あれをラインで展開したのか。いや、そのことはもう考えない。おそろしいので、一生聞かない。
メンバーの皆さんは優しかった。これからは、西の方角に足を向けて寝られない。
だからきっとあの瞬間は、そんな皆さんの優しさに免じて神様が降りてきてくださったのだと思う。
いちばんお聞きしたかった、降臨とはいかなるものやという話題が一段落し、けれど目新しいひらめきがあるわけではなく、何かを決めるための場ではないとはいえ、このまま終わってしまうのか、と思ったとき。ふと口が動いた。
みなさんのステージを叶えるために、嫌と言われても、自分がいいと思ったことをしたい。
これだ、と思った。これでここにいられる、と思った。
たぶん、ここでは異端でありつづけると、自分にたいして思う。一歩ひいて、経験者ぶって、いやなやつ。あたらしい美しい価値観で挑む人たちに、利口ぶって水差すリアリスト。そんな人がいなくったって、彼らは行くよ、その先に。
そうかもしれない。
それでもいい。
わたしは、わたしの杞憂が役に立つと思う。わたしの直情が空気を動かすと思う。わたしの意志が、いつかかならず助けになると思う。
彼らのではなく、彼らに夢を見させる何者かの。
そしてきっと、それは巡り巡って彼らを助けてくれる。そう思う。
2005年に公開された『妖怪大戦争』の企画が立ち上がったばかりの頃、三池崇史監督が水木しげるさんに「妖怪は、戦争をしないんです」と言われて頭を抱えたというエピソードが好きだ。
タイトルを根っこから否定するこの言葉を、おそらく水木さんはあたりまえのように言われた。戦争映画なのに、戦争なしで決着をつけなければならない。監督の葛藤は、素晴らしい形で実を結んだ。清志郎の歌う主題歌が心底しみて、涙をうかべながら横を見たら、一緒に来ていた母と妹がぽかんとしていたのも懐かしい。
THE PRESENTSのライブは、これからどれだけの人を涙ぐませ、ぽかんとさせるだろう。武道館には、どんな形で降り立つのだろう。坂爪さんとゆ~ほさんは、有名なバンドに拝み倒されてトリを飾る、というようなイメージを口にされていたが、どうせ立つならワンマンがいい。有名なバンドがつくりあげた空間に、ちょっとお邪魔しますよ、みたいなのはつまらない。
そのためにまず、まるごと一日そこで過ごすことを考える。朝は何時に来て、コーヒーを沸かすのはどこで、リハーサルのスケジュールは、開場は開演の何分前か。開演に間に合わなかった人の案内は誰がして、休憩明けのキューはどうやって出す、終演後の面会はどうする。
だってできるのだ。行くのだ。彼らは、わたしたちは。
理想郷は見えている。あとはこの手を動かすだけだ。