
「超レア、歴史的価値のあるMartin 続編」
「終活ギター アコギ庵」「アコギ弾き比べサロン アコギ庵」です。
アコギ一筋54年。アコギの終活をやろうというオッサンが、《何かアコギ好きのためにできることはないか?》というところからスタートしました。アコギ好きのための”Support and Assist”を目標に、何かしらお役にたてることがあればいいなと思っています。
そうそう簡単に弾くことができないと思われるギターも、何本か用意しています。初心者の方用、中級者用のギターもあります。とにかく来て弾いていただいて、そこから何かが始まることを期待しております。アコギ好きの皆様とお話しすることを楽しみに、お待ちしております。
「超レア、歴史的価値のあるMartin 続編」
前回の記事で書かせていただいたMartin O-42 1921 Employee model、所有者であるM-factoryの三好さんご本人からこのギターに関するレポートをいただきました。

【要修理箇所】(以下三好さんのレポートのまま)
・ネックジョイントがグラグラ
・指板崩壊(バーフレットにより幾つかの部分で指板が分断)
・トップ割れ
・サイド割れ
・ブリッジはがれ
・サイド穴修理跡の再修理
・ナット/サドル新規作成
・ペグがまともに使えない
【当初の見積】
・サイド穴修理跡の再修理:約10万
・それ以外、約40万
【実際の施工】
・ネックジョイント:ジョイント部強化+リセット
・指板崩壊:指板新規作成、現代のTバーフレットに(今後の交換対応も考慮)
・トップ割れ:修理
・サイド割れ:修理
・ブリッジはがれ:修理
・ナット/サドル新規作成:施工
・サイド穴修理跡の再修理:施工せず
・ペグ交換
計)約40万(税込み)
おそらくですが、当初の状態と見積額を見て、リペアをしようというような奇特な方はいないのではないでしょうか?三好さんは(以下三好さんのレポート)
このまま朽ち果てるのはあまりに可哀相と感じたので、
・自分が引き取って
・楽器として成立するところまで整備して
・売却しよう
金銭的にはトントンか、もしかしたら多少はマイナスになる可能性もあったけど、この楽器をなんとか救いたいと考えました。
大前提として、
・マーチンギターがスチール弦を標準化したのは1928年。
・このギターは1921年製であり、ネックとトップの強度設計は当然ナイロン弦仕様
・現代のライトゲージ(012-052、合計テンション約70kg)を張るなどとんでもない話なので、EXライトゲージ(010-047、合計テンション約46kg)を装着する。
そして
1年半待って仕上がったギターを弾いてみたところ、えっ? えええっ?
音量も低音の出方も、良質のDにミディアムゲージを張った以上の音が、
しかも軽いタッチで出ている。
素晴らしく神々しく、軽やかに、深く、やさしく。
まさに、うちのリビングで、自分の目の前であのオードリー・ヘップバーンが「ムーンリバー」を歌っている。
それ以外に例える言葉が見つかりません。
オードリーの春日ではありません(笑)
そして、特筆すべきはその反応。
ほんのちょっとしたタッチの違いがすぐに音色/音量に直結してしまうので、今まで以上に丁寧に慎重なタッチが求められる。逆に言えば、そういうテクニックを持つ人が弾けば、まさに歌うように音色を操れるということ。
縁あって既に素晴らしいギターを幾つか所有していますが(ソモギー含む)、このギターだけは別格。なぜならオードリーだから。
50年近く、そして仕事柄2000本近くギターを弾いてきましたが、ギターに対する概念が変わりました。絶対に手放さないし、最後に手元に残す1本は間違い無くこの個体になると思います。
余談ではありますが、
どんなに歴史的価値があろうとも、「オリジナル性を守る」を言い訳にして「価値」というか「価格」を保持するために弾けない状態のまま維持することは、自分は楽器(音を出すために存在するもの)への冒涜かも知れない、と考えています。
とはいえ、これが20年代の45モデルであったならば、はたしてこれ程の大がかりな修理、特に指板交換を決断できたのかと言われると、うーん、できなかったかも知れません。 これが42モデルで、更に言うと42モデルとは言えサイド/バックがマホ、すなわち18モデル+アバロン装飾とも言える個体だったからこそ、このような大胆な修理を決断できたのは、返ってラッキーだったとも言えます。
以上が三好さんのレポートでした。ありがとうございます!!
以下はリペア前の写真です。



少し前に三好さんの自宅を訪ねて、このギターを弾かせてもらいました。一番強く感じたのは、"得も言われぬ優しい響き"ということでした。1920年代のMartinを弾いた経験は非常に少ないので、何かと比較するような評価はできません。が、おそらくこのギターにしか出せないサウンドだと思います。
同時に、自分の右手のタッチコントロールの未熟さも思い知らされました。このギターのポテンシャルを、まったく引き出すことができませんでした。普段は、厚めのべっ甲のピックでギターを弾いています。しかもかなり強めのアタックで。7~8年前に腱鞘炎の手術をしてからフィンガーピッキングをやらなくなったこともあり、自分の手から繊細なタッチがすっかりなくなっていました。仕方がないことかもしれませんが、このギターを弾かなかったらそのことにも気づかなかったでしょう。そういう意味でもよい経験になりました。
三好さんのレポートの中に"仕事柄2000本近くギターを弾いてきましたが、ギターに対する概念が変わりました。"という文言があります。これこそが、ヴィンテージギターに対するプレイヤーとしての答えだと思います。どうしようもない(使えない)ヴィンテージギターに高額な費用と時間をかけて、楽器として蘇らせたからこそ出てきた言葉と言ってもよいでしょう。
元のオーナーが「家族はこのギターの価値を知りません。ですので、私が亡くなったら、おそらくガラクタとして処理されてしまうでしょう。」とおっしゃっていました。ひょっとしたらそうなっていたかもしれないギターが、三好さんの概念を変えるほどのギターとして生まれ変わったのです。
業界の常識で言えば、ヴィンテージとしての価値は下がってしまったことになるのでしょう。リペアせずに置いておいた方が価値があるということです。そこにどんな意味があるのでしょうか?
業界の常識、ヴィンテージの常識がおかしいと言わざるを得ません!
拙い文章をお読みいただき、誠に有難うございます。皆様の感想、ご意見をお聞かせください。 またアコギに関する相談等がございましたら、どんなことでもOKです。遠慮なくお尋ねください。
アコギ庵は「ギターを弾いてもらって、ゆっくりアコギの話をする。」そんな場所です。勝手ながら、完全予約制で運営させていただいております。
お手数ですが、まずはメール、もしくはメッセージでご連絡をお願いいたします。
宛先 e-mail:mail@acogian.com または twitter(@acogibucho)にお願いします。
FACEBOOKのページもあります。こちらにメッセージを送っていただいてもかまいません。よろしくお願いいたします。