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「ギタービルダー塩﨑雅亮さんの話」

 「終活ギター アコギ庵」「アコギ弾き比べサロン アコギ庵」です。
 アコギ一筋54年。アコギの終活をやろうというオッサンが、《何かアコギ好きのためにできることはないか?》というところからスタートしました。アコギ好きのための”Support and Assist”を目標に、何かしらお役にたてることがあればいいなと思っています。
 そうそう簡単に弾くことができないと思われるギターも、何本か用意しています。初心者の方用、中級者用のギターもあります。とにかく来て弾いていただいて、そこから何かが始まることを期待しております。アコギ好きの皆様とお話しすることを楽しみに、お待ちしております。

「ギタービルダー塩﨑雅亮さんの話」
 今回は、前回の記事「マーチンを超えるマーチン Part 2」で紹介したコンバージョン(1950年製のD-28をD-45にコンバート)の製作者である塩﨑 雅亮さんにスポットを当てた内容です。

 今現在、日本国内でマーチンと同等あるいはそれ以上と言っても過言ではないギターを製作できるビルダーは、塩﨑さんしかいないと思っています。マーチンのリペアに関しても、塩﨑さん以上に実績のある職人さんはいないかもしれません。アコースティックギターの製作を始められて、来年で50年(つまりは半世紀!)になるそうです。多くの経験を積み、設計や鳴りについての研究してこられました。自分の知る限り、ここまでマーチン一筋で研究し製作されてきた方はおられません。

 愛媛県南海放送で放送された、塩﨑さんへのインタビュー番組です。もう5年近く前のものですが、塩﨑さんを知っていただくには良いと思い紹介させていただきます。第3話まであります。アコギ好き、マーチン好きの方には、非常に面白いと思います。

 近年のマーチンを見るたびに、「ああ、もう昔のマーチンではないな。」ということを切に感じていました。これに対し、塩﨑さんは昔ながらのマーチンの製作方法でギターを製作されています。それが最もわかりやすいのは、アバロンのバインディングです。現在マーチンはもとより、おそらく世界中のすべてのメーカー、ビルダーはラミネートのアバロンを使用しています。本物の貝を一つ一つ自分で切り出して使っているのは、塩﨑さんただ一人でしょう。下記の写真はどちらも塩﨑さんの工房にて撮影。

何も加工されていない状態のアワビ貝(正式な名称ではないかもしれません)。デカイ!
ある程度加工されて、断片化したアワビ貝

 また塩﨑さんは、ギター製作と並行して膨大な数のヴィンテージマーチンのリペアをしてこられました。マーチンのギター製作の歴史を、自身の肌で感じ取ってこられたと言っても過言ではないでしょう。それぞれの時代の設計と鳴り、それらを自分自身の肌で感じ取りながら研究をし、自身のギター製作に活かされています。
 
 正直なところ、自分自身がコンバージョンのギターを製作するなどということは全く考えていませんでした。自分の中に「ギターは、弾いて買うモノ。」というポリシーのようなものがあったからです。オーダーメイドも同じことですが、完成した時の音がどのようなものかは出来て見ないとわかりません。ある意味賭けと言ってもよいと思います。そのような考え方をするようになったのは、自分自身の過去の経験からのことです。1977年、22歳の時にヤマハのカスタムをオーダーしました。(モデルはLー54)当時ギブソンのDOVEに憧れがあり、サイド・バックが同じメイプルだったのでそれをオーダーしました。

YAMAHA L-54 Cutom 1978 今見ても派手なギターです。
サウンドは、自分がイメージしていたものとは違っていました。まだギターの音を
よく知らない頃の「自分の思い入れ」が強すぎたのでしょう。本当に良い経験になりました。

 どうせ創るのならこれ以上ゴージャスなギターはない!ぐらいの派手なヤツを、と思っていたのでルックスには満足していました。が、肝心のサウンドは自分が思っていたものとはかなり違っていました。悪くはないのですが、どうしても物足りない感覚がありました。かなり弾きましたが、それほどサウンドの変化もなかったように記憶しています。
 このヤマハのカスタムの経験から「絶対にオーダーはしない。ギターは弾いて音を確認して買う。」そう決めていました。当然コンバージョンも出来上がったものを弾いて買う、そういう買い方しかしないと。

 その後何年も経ってから、コンバージョンのD-45を2本手に入れることになります。1本は1960年のD-28を、もう1本は1947年のD-28をコンバートしたものでした。1960年のD-28の方は、おそらくですがボディはもとのままでコンバートされたと思われます。もう何年も前に手放してしまったので、確認する術はありませんが・・・。これに対し1947年のD-28の方は、トップはアディロンダックに変えられ、ブレイシングもプリウォーの仕様でした。サウンドも、D-28では絶対に出すことができないD-45になっていました。この1947年の方が、塩﨑さんの手によるコンバージョンだったのです。
 このギターを手に入れてからというもの、塩﨑さんのギターに注目するようになりました。新しく完成したギターを可能な限り試奏するようにして、そのサウンドを注意深く観察しました。出来あがったギターすべてを弾いた訳ではありませんが、自分の弾いた限りではすべてが高いレベルでした。これはイマイチかな?と思ったギターは1本もありませんでした。自分の中で塩﨑さんのギターに対する評価が上がって行き、「今のマーチンを買うんだったら、塩﨑さんのギターの方が良いのでは?」と思うようになったのです。そして、以前に手に入れていたD-28(1968or1969年製)をコンバート(プリウォーのD-28へ)しようと思い、塩﨑さんに依頼しました。この詳細については、下記の記事をご参照ください。

 この時のポイントは、ブレイシングをどうするか?ということでした。トップの材をどうするか?ということも含めて、すべて塩﨑さんにお任せすることにしました。それで「ブレイシングは、フォワードシフテッドとリア・シフテッドのちょうど真ん中あたり」ということに決定しました。このブレイシングはマーチンにはないもので、いわば塩﨑さんのオリジナルブレイシングです。長年にわたるリペアの経験と研究、マーチンの鳴りを知り尽くした塩﨑さんだからできたスペシャルブレイシングです。結果については上記の記事の中にも書かせていただいていますが、期待を裏切らない素晴らしいものでした。

 前回の記事で書かせていただいたコンバージョンのD-45。これも当初は別のブレイシングで、という計画でした。案として提案されたのは「もしマーチンが1950年代にD-45を製作していたら?」というコンセプトで、ノンスキャロップのD-45を製作しようというものでした。自分としては「それもアリだな。」と思っていましたので、「お任せします。」とお伝えしていました。(まだトップ材の選定もしていない時期の話です。)その後トップ材に使用するジャーマンスプルースが決まったのですが、その時点で塩﨑さんの中で変化があったようです。ご本人に確認していないのでこちらの勝手な推測ですが、タップトーン等を確かめてブレイシングを塩﨑スペシャルに変えられたのでは?(たぶんそれが一番材を活かすと考えられた)と思っています。

塩﨑さんの工房にて、完成したばかりのコンバージョンD-45(From D-28 1950)
大変僭越ではございますが、いっしょに記念写真を撮らせていただきました。

 拙い文章をお読みいただき、誠に有難うございます。皆様の感想、ご意見をお聞かせください。 またアコギに関する相談等がございましたら、どんなことでもOKです。遠慮なくお尋ねください。
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