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アコギ回顧録 Vol.40 「今後のアコギ回顧録」「S・Tさん」「S.Yairi YD-304」

 ギターを道具(弾くもの、使うもの)として捉え、プレイヤーの視点から見た良いギターとはどのようなものか?その答えを追い求めて50年余り。所有したギター本数も3桁に届くぐらい?!
 その答えと言えるかどうかわかりませんが、過去~現在を振り返って自分なりの考え方をまとめてみようと思いました。アコギ好きの方、興味のある方にとって、少しでもお役に立つことができれば幸いです。

「今後のアコギ回顧録」
 もう何年も前のことですが、神戸の“HIRO CORPORATION”へ行った時の話です。 お店が終わってからオーナーに食事に誘われ久々にゆっくりと話をしましたが、話題はやはりギターの音のこと、セットアップのことになってしまいました。毎回同じような内容の話をしていた訳ですが、話が尽きないのは やっぱりアコースティックギターが大好きということなのでしょう。アコギ好きな方であれば誰しも同じだと思います。ギターの話をするのは楽しい!!

 そんな中、昔の懐かしい話もいくつか出ました。自分がこの店に顔を出すようになってかれこれ35年、人生の半分以上です。いろんなことがありましたが、少しずつ回りの状況が変わってきています。自分自身もずいぶん変わったなと思います。この店に来ていたおかげで出会った人達もたくさんいます。その方々も含め、今後の「アコギ回顧録」はここから“出会い”をテーマに書いていこうと思っています。 ここまでの文章もそうでしたが、もともと日記として書いていたものですから話が重複していることも多々あります。またか!というお叱りもあると思いますが、そこは平にご容赦をお願いします。

ムーンシャイナー1995年11月号に載っていたHIRO CORPORATIONの広告です。今から思えばとんでもないヴィンテージギターのストックでした。あの時、買っておけば・・・。


 ちょっと脱線。
 初めてニューヨークへ行ったとき、マンドリンブラザースへ行くために買った地図が出てきました。ニューヨークに着いてからマンドリンブラザースの住所がスタッテンアイランドであることを知り、慌てて買った地図です。今から34年前、情報も少なかったです。


「S・Tさん」
 中学3年生でアコギを始め、高校進学後は迷わず軽音楽部へ入りました。そこで先輩から楽器屋さんを紹介してもらうことになります。“十字屋楽器店”という店で、京都では一番大きな楽器店だったと思います。そこに「S・Tさん」という人がいるから、何かあったらその人に相談したら良いと言われていました。後で知ったことですが、この人は京都の音楽業界ではかなり名の知られた人で“坂庭 省悟”さんや“城田 じゅんじ”さんもよくこのS・Tさんを訪ねて店に遊びに来ていました。お二人が店の中で演奏を始めて、黒山の人だかりができていたのをすぐそばで見ていたことがあります。
 
 YAMAHA FG-350やS.Yairi YD-304から始まって、最初のMartinであるD-41 1972もこの「S・Tさん」から買わせてもらいました。ギター以外にもPAから録音機材、雑貨に至るまで本当にいろいろお世話になりました。だんだん仲良くなって最後には自宅へ遊びに行ったりもしました。坂庭さんとの会話の中でときどき、「S・Tさん、どうしてるんやろなー」というような話もよくしていました。残念ながらかなり前に亡くなられたことを聞きました。きっと今頃は天国で、坂庭さんと懐かしい話をしているのじゃないかなと思います。

S・Tさんからギターを買ったときのSOLD札(?)です。
よくこんなものが残っていたなと思います。

「S.Yairi YD-304」(このテーマは2回目です)
 17歳の夏、休みの間アルバイトでためたお金を握り締めS・Tさんを訪ねました。そのときに勧められたのがS.Yairi YD-304でした。他にもいくつかの候補があったはずなのですが、まったく覚えていません。とにかくそのYD-304が気に入り、そのバイト代とそれまで持っていたYAMAHA FG-350を売り払って買いました。このギターは今も健在で、友人が所有しています。

 このS.Yairi YD-304あたりから本当に病気(良いギターが欲しい欲しい病)に冒されていったような気がします。この頃から、自分の病気を察してくれたのかS・Tさんはどんな高級ギターも試奏させてくれるようになりました。当時はマーチン、ギブソン、ギルドなどの輸入ギターを弾かせてもらえる人間は非常に少なかったと思います。買えるかどうかもわからない若造が、高級ギターを片っ端から弾かせてもらえる。今思えば古き良き時代でしたね。
弾かせてもらうたびに話のネタができて、友達や軽音楽部の後輩に自慢ができる。そんな日々でした。 しかし、今思えばそのことがさらに病気を進行させたのではないかとも考えられるのです。弾きさえしなければそのうち熱も冷めたかも知れないのに、簡単に引かせてもらえる環境があったばかりに・・・・。

 そして病気は不治の病となっていくのでありました・・・。あれからもう50年、病気は今も治っていません。
 
 でも今と違って、この頃は勢いがありました。社会人になってからも本業以外の副業に精を出し、常に同じ年齢の人の2倍以上は稼いでいました。その代わり自分の自由時間はほとんどなく、体調維持のために何とか睡眠時間を確保するのがやっとで他にお金を使うことがありませんでした。
 このS.Yairi YD-304を買った1年後に、初めてのMARTIN D-41 1972年製を買ったのでした。

そのYD-304です。

 拙い文章をお読みいただき、誠に有難うございます。皆様の感想、ご意見をお聞かせください。
 またアコギに関する相談等がございましたら、どんなことでもOKです。遠慮なくお尋ねください。
宛先 e-mail:mail@acogian.com または twitter(@acogibucho)にお願いします。

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