アコギ回顧録 Vol.15「アコギ漬けの日々」と「D-41を買ったワケ」
ギターを道具(弾くもの、使うもの)として捉え、プレイヤーの視点から見た良いギターとはどのようなものか?その答えを追い求めて50年余り。所有したギター本数も3桁に届くぐらい?!
その答えと言えるかどうかわかりませんが、過去~現在を振り返って自分なりの考え方をまとめてみようと思いました。アコギ好きの方、興味のある方にとって、少しでも楽しんでいただけること、お役に立つことができれば幸いです。
「アコギ漬けの日々」
社会人となり、仕事とバイトに明け暮れる日々が続いていましたが、アコギに対する興味やあこがれはとどまるところを知らず、ますます加熱していくばかりでした。楽器屋さんめぐりからカタログ集め、雑誌や友達からの情報などアコギに関するものは何でも集めました。休みの日は一日中楽器屋さんに入り浸ってはギターを眺める日々。少しずつ店員さんとも仲良くなり、新しく入荷したギターを弾かせてもらったりしていました。おかげで1970年代初期以降のマーチン、ギブソン、ギルドなどの輸入物はかなり弾かせてもらうことができました。国産ギターもだんだん高級化してきてS・ヤイリ、K・ヤイリ、TAMA、YAMAKIなどの最高級機が20万円ぐらいになってきていました。
余談ですが、1070年代に入ってからはギブソンの評価がかなり悪くなっていました。何本か弾かせてもらいましたが、音的にもそれほど魅力を感じなかったし、何より仕上げが雑でした。アリスの谷村新司さんが弾いていたDOVEに憧れがありましたが、徐々にギブソンからは興味がなくなっていきました。
写真のギターはSANTA CRUZ D-45 CUSTOM(今も所有しています)
「D-41を買ったワケ」
D-45を弾かせてもらったのが1973年の夏ごろだったので、おそらく1972年製か1973年製だったと思います。その時は知りませんでしたが、今思えばジャーマンスプルースのD-45だったんですね。
当時の価格は70万円、ちょうど戦後初めて円の為替レートが切り上げされた直後の頃です。(記憶が正しければ、当時1ドル=360円から268円に変わりました。思えばすごい円高になって安くなったのですが、今から思えば超円安。輸入ギターは高価でなかなか手が出せない高級品でした。)高卒の初任給が45,000円ぐらいの時代ですから、普通の人に買えるようなシロモノではありません。D-45は初めから買えるはずもなく、ただ話のタネになればと思って弾かせてもらったのですが、当時の自分には言葉で表現できないぐらいのすごい音でした。それから現在に至るまで48年。未だにこの時以上の衝撃を味わったことがありません。(当然と言えば当然かもしれません。S.Yairiの当時8万円のギターからいきなりジャーマントップのD-45ですから)
勇気を出して言った「D-45を弾かせてください。」「ええよ」。その勢いに乗って、D-45の隣に置いてあった「D-41も弾かせてください」と厚かましくも言ったところ、これにも快く「ええよ」との返事が返ってきました。
そして・・・。
初めて弾いたD-41、またしても衝撃が走りました。「めっちゃええ音やん!D-45よりこっちの方がええわ!」これがこのときの正直な感想です。単に話のネタにしようと思っていただけなのに、ほとんど反射的に「これいくら?」と聞いていました。当時の定価432,000円。「円の切り上げによってだいぶ安くなったよ。」とのことでした。もう正常な判断力は無くなっていて、ほとんど何の考えもなく「予約します。」と叫んでいました。
正直に言うと、この時点ではD-45とD-41の音の違いはよくわかっていなかったと思います。単純に、同時に弾かせてもらってD-41の方が良い音だと感じたということでしょう。(ほとんど舞い上がっていましたので)
後に1969年製のD-45とD-41(どちらもサイド・バックはハカランダ)を手に入れることになるのですが、その2本を何度も(何年も)弾き比べているうちにそれぞれの特徴(違い)が分かるようになって行きました。それは、この時から10数年の時を経た後のことです。
写真はSANTA CRUZ D-45 CUSTOMの続きです。
拙い文章をお読みいただき、誠に有難うございます。皆様の感想、ご意見をお聞かせください。
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