計算訓練の重要性【全文公開】
いわゆる理系の学問の全ての基礎は計算だ。ただ、計算というものをなめてかかっている受験生が非常に多い。計算というのは、効率やミスを防ぐ工夫などを気にしなければ、ちょっとした練習ですぐに誰でも実行可能になる。そういう意味で疎かにしたい気持ちになるのだろうが、しかし、計算が全ての基礎になるというのは誇張でも何でもない。計算ができるということは、文字で書かれた情報を正しく読み取り正しく処理できるということである。正直な話をすると、こんなもの、全て機械にやらせればいいじゃないかと思わなくもない。実際、計算が正確にできることと創造性という能力の親和性は高くない。だから、生きてゆく世界によっては計算なんてできなくても良いと思う。
たとえば、医学部受験生を例にしてみよう。少なくとも医師の資質という意味では、創造性よりは計算力寄りの能力が求められる。もちろん創造性が必要な場面も多々あるだろうし、他にも求められる能力は様々だ。でも、「必要な情報が何なのか正確に見抜く」「その情報を正確に読み取る」「読み取った情報を一定の基準に従って正確に処理して結果を得る」「その結果を他の誰かに言葉で正確に伝える」といった一連の作業はできなければ話にならない。最も大切なことは正確さである。この手続きの流れのどこかの段階で勝手な思い込み、ちょっとした言い間違いなんかを混ぜてしまうと、何もかもが狂ってしまうこともあり得る。医師に特に正確さが求められるのは、それが場合によって直接的に命に関わるからだ。実際には、正確さよりも判断の速さが必要なケースもあるだろう。ただ、少なくともじっくり時間をかければ、「わからない」ということも含めて確実に診断ができること、それは患者の立場からすれば「医師なら出来て当たり前」と想像する能力だ。そして、計算の訓練を行えば、その根幹に関わる能力を底上げできる。
計算というものを甘く見てはいけない。特に少しばかり頭の良い生徒ほど計算を甘く見る傾向にある。自分の脳のスペックに任せて強引に暗算を繰り返して計算を実行する。結果、一定の確率で起こる人為的計算ミスを減らすことができない。もっと言うと、そもそも暗算などに脳のリソースを割くのは無駄だ。別に暗算を否定しているわけではなく、暗算に特化した訓練でもしているならどんどんやれば良いと思うが、そうでないのなら暗算するのだってそれなりに頭を使う疲れる作業だ。それが無駄だと言っている。頭は、もっと思考することに使わなければならない。問題全体をマネージメントし、自分の過去の経験(類題)の検索を行うことに全力を注ぐべきで、計算は本当にただの機械的作業にまで落とし込んでおくことをお勧めする。そのためには、ある程度紙に式をたくさん書くということも避けて通れない。式ばっかり書くのは疲れるし面倒臭い? そういうことを言っていると、計算ミスを減らすことはできない。ミスを減らすには、ミスを発見しやすいように徹底したルールを決めて作業を機械的に進めること。それしかない。
計算は、一人の人間としての、持てる全力で勝負するような分野ではない。計算は、機械にできるレベルの作業である。であれば、これはシステムで自動管理するのが一番だ。いちいち頭を使うのは無駄。もし、計算ミスが多いという自覚のある人がいたら、あなたはおっちょこちょいなのではない。計算のやり方すら知らない「野蛮人」なのだ。計算訓練の重要性に気づいて欲しい。