君をのせてオーディションの向こう側へ
昨日の投稿は、僕は今までテレビのオーディションに通ったことがなくその原因は「よくわからない」ことが原因ではないか、という内容だった。
そして僕はごく稀にあるテレビ以外のオーディションにも通ったことがない。
その原因はネタのような「奇抜性」ではなくシンプルに「実力不足」である。
20代半ばのテレビに出始めた頃、初めて舞台のオーディションが入った。
詳細がよくわからないまま会場に行くと、シュッとしたハンサムな男性たち数人とオーディションを受けることになった。
どうやら舞台のコンセプトは「イケメンたちによる時代劇」らしい。
ハメられたと思った。
明らかに僕は周りから浮いていたし、僕のコンパクトな脚も用意された椅子から少しだけ浮いていた。
台本のセリフを読む審査では、僕以外の人はみんな事前に台本を渡されていたらしくセリフをそらで読んでいたが、僕は小学生の読書感想文よろしく朗々と台本を読み上げた。
これでもかというほど恥ずかしい思いをし、ようやくすべての審査が終わるとスタッフさんが「ヒロチョさん、今ネタってできますか?」とハートにとどめを刺してきた。
ただ少しでも自分の得意分野を見せれるならと、携帯に入っていたネタ音源を流しちょっとでも舞台に合うように「ロマンティック織田信長」のネタを全力で披露した。
スタッフさんは終始ニヤニヤしていた。
最近だと、去年社員さんの薦めでミュージカルのオーディションに挑戦した。
元々ミュージカルは好きなので、普段見ることのできない世界を勉強できるならと受けに行った。
当たり前だが会場には僕以外ミュージカル俳優と思わしき人だらけだった。
みんなオーディションが始まる直前まで見せつけるように脚を180度開きストレッチをしたり、「僕こんだけ高い声出ますねん」と言わんばかりに発声練習をしていた(あくまで個人の主観です、悪気はありません)
ダンス審査は講師が振り付けをレクチャーしその後実際にダンスを披露するのだが、そのレクチャーがとんでもなく早い。
1つの振り付けを教えたと思ったらもう次の新しい振り付けに進んでいく。
「この後急ぎの用でもあるんですか?それなら審査は明日でも大丈夫ですよ?」と逆に講師が心配になるくらい早かった。
歌の審査はレクチャーもほどほどに1人ずつ課題曲を歌わせられた。
この時オーディション直前まで発声練習していた男性がいざ1人で歌う時に少しだけモジモジしていたのがかわいかった。
もちろんこのオーディションも落ちたが、自分と違う分野で頑張っている人たちとレベルは違えど同じ場所に立てたのは新鮮な刺激になった。
オーディションに通ったことがない僕がテレビや舞台に出演できたのは、「幸運」であることに他ならない。
たまたま番組スタッフさんがライブに来ていたこと、その番組出演をきっかけに他の番組にも呼んでもらったこと、知らないうちにネタがバズっていたこと。
お笑い以外ではサックスが吹けるということだけでNHKのドラマが決まったり、先述のミュージカルとは別のミュージカルがオーディションもなく決まったりもした(ミュージカルに関しては本当に思い入れが強いのでまた改めて書きたいと思う)
「チャンスをつかむ」という言葉があるが、僕は自身の熱血的な努力によってチャンスをつかんだ自覚がない。
ネタがバズったりミュージカルに呼んでもらうなんてことは、そういう努力や自分の意志ではどうしようもできないことだからだ。
本来なら軽快なフットワークをこなし溢れる情熱を胸に全身全霊のヘッドスライディングを決めてチャンスをつかみ取るのがカッコいいだろう。
僕の場合はチャンスが天空の城ラピュタの飛行石を付けたシータのようにゆっくりと降ってきたのだ。
だから僕はそんなシータを落とさぬようしっかりと受け止め、親方に報告し、朝ハトを飛ばして楽器を吹き、いろんな人たちの力を借りて彼女を全力で守ったのだ。
決して「オーディションなんか通らなくてもいいのさ」と言いたい訳ではない、むしろ今でも「オーディション通りてぇ~」と思っている。
ただ、もしこの投稿を読んでいて僕と同じように壁にぶつかっている方がいたら「1個の壁を乗り越えられないだけで落ち込まなくてもいいよ、壁の無い方には違う景色が広がっているかもしれないから」と伝えたい(ひさしぶりのロマンティック‼)
いつかオーディションを勝ち抜いてみなさんに報告できる日が来たら一緒に唱えよう。
「バルス」と。
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