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憧れの体育祭
2008年
3年A組 西村 彰
僕の架高生活で一番の思い出は、三年間打ち込んだ弓道と、その総決算の体育祭です。
中学生の頃、この高校を受験すると決めた時から、受かったら絶対に弓道部に入るぞ!と意気込んでいました。
理由は、体育祭の三年生競技の花形、「部活対抗戦」です。当時、架高のスゴい伝統行事として僕ら一中の男子の間で有名で、学校の毎年のブログ記事を読んでは、そのあまりの凄惨さに、皆で興奮したものでした。
弓を始め、日々の練習で目的としていたのはもちろん、弓道の公式大会ではなく、部活対抗戦でした。
僕は弓道としては落第生で、あまりの早気に先生からは嫌われていましたが、猛暑の時も吹雪の日も、ただひたすらに速く、多くの矢を射ることを目標に、部活に打ち込んできました。
最後の大会は、個人戦は12射の7中で地区予選敗退、団体はレギュラー落ちでしたが、それからも僕は練習を重ね、秋の体育祭を迎えました。
僕たち弓道部の三年生は全部で二十五人、僕は腕を買われて、なんと西棟屋上の最前列に並ばせてもらえました。
号砲と共に雪崩れ来る集団に、矢を番えては打ち、番えては打ち。憧れの舞台にテンションは最高潮で、僕は夢中で弓を引き、クラスメイトを迎え撃ちました。練習の成果もあり、一緒に西棟にいた六人の中では、仕留めた数は僕が一番多かったように思います。
ですが、いつの間にか近づいてきていた山本君に左手首を落とされ、後は逃げてばかりで終わってしまいました。でも、あの時の矢の風切り音、頭蓋骨を穿つ鈍い音、糸が切れたように崩れ落ちる身体の、しなやかな動き。そして僕自身が腕を斬られた時の、瞬間的で原始的な興奮の高まり。
全てが期待以上で、この経験は僕にとって、高校生活を通して何よりの宝物です。もう弓道はできなくなってしまいましたが、参加できて良かったと、心の底から思っています。
三年間、本当にありがとうございました。