卒業設計の中間発表 を終えて


大学の卒業設計では、〔多様性をもつ建築〕の設計・設計論の提唱 と迷いましたが、都市計画研究室に所属していたことと、調査で出会った福井県高浜町の様子、福井市の様子、地方都市の将来への危機感を踏まえ、〔地方都市の住宅街〕の新時代への更新を試みることにしました。

ここでは、住人以外も住宅を使うことを前提にした住宅が建ち並ぶ住宅街を構想した後、〔敷地主義〕の概念を指摘されたことをメモしたものです。


(2018/12/15)

ハピテラスやOM TERRACEの衝撃は、〔敷地主義〕の乗り越えによって感じた豊かさだったと言える。
それは、「溢れ出し」とかにも共通して言えて。

そしてコミュニティセンターやパブリックスペース、集合住宅などに窮屈感を感じたのは、きっとこの「敷地主義」の乗り越えを感じなかったから。

青木淳の原っぱの理論をすぐに内と外との関係に応用できないかと感じたのも、その〔敷地主義〕の乗り越えが欲しかったから。

そう考えると、事例は色々ある。

◯公共施設であるが、建物内に路地が通ってる
◯外の道路などを「廊下」のように捉えるあれ
◯機能の分解と街中での再配置
または既にある機能のネットワーク

HYPERMIXは、「敷地主義」こそ超えていないが、「住居」の括りを「オフィス」との組合せとの観点において劇的に変化させている。

きっと、「住居のくくり」と「敷地主義」は日本においてすごく似ているものなんだろう。

小地方都市も含め、資本原理と同一の制度が重視されたばしょにおいて。
似ているもの「になってしまっている」。
そうなったのはここ何百年のなかである。

「住人のためだけの住宅」の批判は、そのような「住居のくくり」の解体である。

だから、都市に出て活動する豊かさと組み合わせて考えやすい。

さて、そこでこの「住居のくくり」の解体はいかように上手く機能し、いかように暮らしを良くするのか。

そのビジョンがまだ明確でなく、上手く構築できていない。


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