住宅における ミクスドユース とは
(2018/10/13)
○住宅において、本当の意味でのミクスドユースとは。
よくある、下は店舗、上は住宅など、建物全体ではミクスドユースとみなせるが、結局は空間を分割したに過ぎないものが見られる。
HYPERMIX(北山恒)は、同じ空間がSOHOとして両立する。同じ空間がどちらとしても捉えられ、どちらとしても機能する。
その時に機能とコモンズとが、限定や選択される。
HYPERMIXの場合、
コモンズは選択。ある階以上からは誰でも共用空間を利用できる。また、洗濯機が隔階にしかないなどまたぐ工夫がある。
機能は限定と選択。
コモンズと絡む部分は選択。
カフェやジム/住居と事務所のような限定が行われている。
○ja106を読みながら思う事。
素材や要素を都市から抽出して、住宅に応用する作り方が見られる。
それは住人が住宅利用時に都市の延長として捉えられる事を目的としている。
藤原徹平の集合住宅では都市の部分ごとの形(凹みとか近道とか)を参考に集合住宅の都市と接続する部分(住人以外が利用する部分)において応用される。
これも住宅が都市の延長として捉えられる様にするのが目的である。
いずれにも共通して言える、この時代の思想的特徴のようなものは、「バラバラなものをバラバラなまま受け入れる」という事だろう。
その点において、「何が」バラバラなのか。
「何を」バラバラのまま受け入れるのか。
また応用するのか。
それでどう良くなるのか。
示す必要があるだろう。
○そして、今自分がしようとしている提案
そして、今自分がしようとしている提案、「誤読によって都市と繋がる/都市の一部になる」住宅は「何が/何を/どうなる」の部分をまとめる必要がある。
こう書いてみると、「誤読」による都市と住宅の繋がりは、都市の他の部分をスキーマの一部や主役/脇役の観点から見る視点に落とし込んでいると言えるかもしれない。
都市が背景である(脇役であり、一部応用する要素となる)事は想像しやすい。
そしてそれはきっと建築家たちが実務において実現している事。
その逆としても成立する事に新規性があるかも。
住宅が背景となる。
でもそれって、素材や形、空間的なものの応用をしたものと変わらないのかも?
それらの要素を引用、応用して作られたものは、住人にとっては内部までくまなく使うという点で主役。他に人からしたら脇役。
待って。
主題は「誤読」によって都市と住宅が繋がる事、開くこと。
「繋がる、開く」とは。
「楽しむ」事なんかな?
「繋がる、開く」は「間接的に開く」に凝縮されるように、同じ要素を全く違う見方にする事。それぞれ楽しむ事。
「同じ見方」っていうのはどういう事なんやろう。
住人までもが都市の一部のように見えたらあかんのかなあ。
違う軸がある気がする。。
「同じ見方」って言うのは、機能(用途)が誰から見ても一つに限定されてて、それ以外では使われないように計画されてしまっているもの。
「違う見方」っていうのは、その逆で一つに限定されない、各個人毎に認識が違うようなもの。
「認識が違う」とぼかすのは、用途は一つでも良いかもと、HYPERMIXを見て思ったから。
しかし、使う人によって認識が異なる。
「空間のかたち/形」でそれを起こそうとすると、藤本壮介の最後の木造住宅のような感じになりそう。
しかしこれは週末住宅であり、森の中にあり、住人以外のキャラクターが登場しない点で、都市と繋がってはいない。
「都市の要素を集めた型」
(桃山ハウス、ペインターハウス)
「人が都市に開いていく型」
(乾houseM)
「都市の形を応用→行動に反映型
(藤原徹平 yoyogi terrace)
「近傍都市に応じたキャラクターづくり型」
(高橋一平 casaO アパートメントハウス)
「生活空間の軽快さ(?)」
(長谷川豪 経堂の家)
参照: facebook
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