🎓バブル終焉と失われた30年からの脱皮
もう30年近く前..20代前半若き日にいた企業は、
迫り来る減収減益の影に焦っていた。
付加価値を考えろ
マージンを稼げ
全社一丸で企業努力を
月曜早朝の全社員朝礼でオーナー経営者から、部署に戻ると上長から、あの手この手で若い社員は発破をかけられた。
だが、
得意先と何の信頼関係も築けずビジネススキルも低いお偉いや、サボりに精を出す上司。内弁慶で威張り散らし、ただただ自分の出世ややり易さをひたすら押し付ける管理者面々。それに媚びへつらう社員たち.. 学生時代のバイト代の半分にも満たない安月給と環境に、既に社会の縮図はこんなもんかと冷めた気持ちになった。
「バジェットディスカウント」
なんて言葉すら知らない小僧だったが、
売上ノルマだ付加価値をと宣う横目で、上司の人間性や交渉能力で社内原価や得意先対応の優劣が決まるのは解っていたし、それを棚に上げ若手を洗脳し、企業努力を収益性だと勘違いしている中間管理職たちを見て、会社の先行きや転職を考えるようになった。
若者は見抜けないとでも本気で思っているのだろうか⁉︎不思議だった。
それでも仕事は楽しかった。
見知らぬ得意先や担当と昼夜を共にし、公私沢山の経験や学びを得た。対価を得るには0から価値を見直し、喜んで貰えるアイデアと人間力を磨かないと通用しない事も実感した。
それが若い頃の思い出で、より社会自立心が芽生えた瞬間だった。早くその事を気づかせて貰えた環境には、今思えばとても意義があったのだと思う。
若い頃から30年経って今は、
その頃と全く時代が様変わりした。
電話もFAXもポケベルも写植もゲラも、全てPCやスマホでまかなえる。あんなに苦労した人との連絡やアポイントや交渉もシームレスだ。
今足りないのは、、
イズム教育とコミュニケーションの在り方だ。
繋がりだけが便利になったところで、
人間関係を深めるのには限界がある。
手段効率やデジタル化が幾ら長けたところで、
反面内面的なマイナス要因が噴出し、
それを更に対処法で封じ込めようとする。
人間は感性や五感で生きる不完全な生き物。
人それぞれ価値観や求める幸せも異なる。
成長戦略を前提とした画一的対処法のままでは、失われた30年をいつまでも脱皮出来ない。
社会問題解決にこそ経済学では補いきれない
「文化力」を高める必要があると思うし、それこそ地方が持つポテンシャルでもあるし。
物資的経済格差の根幹に、誰もが知るための情報格差や持続的共生社会への利益共有を見出す知恵が要る。勿論、自立と選択は社会人平等な権利として。
気づいた人たちとまず身近な変革へ、将来核論と行動をしていきたい。
課題解決へは地道で普遍的な足下から