【小説】悲しい太鼓

結婚するはずだったその日に彼女は死んでしまって、悲しい俺は太鼓を買った。

仕事をやめて、アパートを引きはらって、人里離れた山小屋にこもり、太鼓を叩いた。
悲しみを忘れるため、無心で叩いた。
正しい叩き方を知らなかったから、出鱈目に叩いた。

出鱈目に叩くのに飽きたので、いろいろと工夫するようにもなった。
右手左手に加えて、右足左足や頭や尻を使って、いろんな順番で、いろんなふうにして、いろんなリズムで叩いた。
やがて、俺だけの叩き方をみつけた。とってもきもちのよい音がする叩き方だ。
そいつが上手にきまると、天にも昇る気持ちよさだ。

太鼓を担いで山を降りた。
街のみんなに俺の太鼓を聞かせてやりたかった。

大きな駅前の広場で激しく太鼓を叩いた。
通り過ぎる人々は、みんな笑顔になって喜びの声をあげた。
嬉しくなった俺は、さらに激しく太鼓を叩いた。
人々はさらに笑顔になって、さらに喜びの声をあげた。ぶったおれた。のたうちまわった。泡を吹いた。そして、死んだ。

俺は警察につかまった。太鼓はとりあげられ、牢屋にいれられた。
そのころ、戦争がはじまっていた。

ある日、俺は牢屋をだされ、窓のない部屋に閉じこめられた。
部屋には太鼓と貼り紙があった。
貼り紙には、「好きなだけ太鼓を叩け」と書いてあった。
天井からはマイクがぶら下がっていた。

俺は嬉しかった。太鼓を好きなだけ叩いた。夢中で叩いた。
そんな俺の太鼓の音は、録音され、配信され、戦場に持ち込まれた大型スピーカーで、敵国の兵士に向けて流された。
たくさんの兵士が、武器を持ったまま笑顔で死んだ。

やがて、俺の国は戦争に勝ち、俺の太鼓は国の英雄となった。
国旗に太鼓の絵が加えられた。
国会前の広場に、ガラスケースにいれられた俺の太鼓が飾られた。
俺の存在は機密扱いのまま、軍に引き渡され、太鼓のない施設に閉じこめられた。

軍はもう俺が太鼓を叩くのを必要としなかった。すでにたっぷり録音していたから。

国民たちは俺の太鼓の音に恐れながら暮らした。
時折、軍から流出した録音データが、殺人や自殺やテロ行為に使われた。そして、時折、政府により政治のために使われた。

反政府デモがおきた。
政府はすぐに弾圧に乗り出した。
たくさんの人々が集まる場所で、俺の太鼓の音が流れた。
人々は、拳を振り上げながら、笑顔で死んだ。
大統領は手を叩いて喜んだ。

それでもデモは続いた。
絶対に俺の太鼓の音を聞くまいと、人々は、焼けた鉄の棒を耳の穴につっこんだ。
いつしか、この国で、音が聞こえるのは、俺と、政府と軍の連中だけになっていた。

やがて、政府は陥落した。
やっと俺は軍から解放された。

街では祝砲や歓声のないパレードが行われていた。
人々は静かに抱き合って喜びを分かち合い、スマートフォンで喜びの言葉を交わしあった。
たどり着いた国会前の広場では、ハンマーを担いだ若者たちが、俺の太鼓をぶっ壊そうとしていた。

俺は若者たちにすがりつき、最後に一度だけ叩かせてくれと泣いて頼んだ。
さあどうぞ、と、若者のひとりがジェスチャーで俺に促した。
どうせ聞こえないけどね、と、スマートフォンのテキストで俺に言った。

俺は俺のやり方で、思いきり太鼓を叩いた。
誰にも聞こえないはずだから、なんの気兼ねもなく叩いた。
夢中で叩いた。
ふと我に返ると、俺の周りには大勢の人々がいた。
そして、そこにいる誰もが、笑顔だった。
だからって、死ぬことはなく、腹を抱えて笑い転げていた。

なぜなら、俺の太鼓の叩き方があまりに滑稽だったから。

俺がみつけた俺の太鼓の叩き方はひどく人々に面白がられた。
人々の笑いがとまらない。それを見て、さらに人が集まってくる。
たくさんの笑顔と、そして、たくさんのスマートフォンのカメラが俺にむけられる。

空にはヘリコプターがいくつも飛んでいる。
ようやく危険のなくなったこの国に、外国のマスメディアが集まってきたのだ。
カメラや集音マイクを担いだ連中が、こっちに向かって走ってくるのがみえる。

よう、はやくここに来いよ。はやくみんなの笑顔を世界に伝えてくれよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?