自分の指針にしたがう
おはようございます。
今朝、いつものようにツイッターにカードリーディングを載せたのですが、今日の言葉は私自身のものではなく、ある方の言葉からインスパイアされたものです。
そして、私のポンコツの頭でちょっと考えてみたのですが、自分をあきらめて神様に身を任せきるというのは中世までの生き方、頑張って努力するのが産業革命後と考えると、納得するものがありました。
でも、頑張って努力するだけでは満足しなくなって、昨今スピリチュアルが流行っているのかなーと思います。
人類の気づきのひとつかもしれませんね。
でも、スピリチュアルの考え方には現実的な行動が伴わないケースもあるので、フワフワしてしまったり、現実がうまく動かないこともあると思うのです。
チャック・スペザーノさんの本は読んだことないのですが、「わたしたちは自分のすばらしさを恐れている、恐れているからこのもので自分は特別なんだと思おうとして身を守っている」というようなことを言っているようです。
最近、なんとなくわかってきたのが、特別なんだと思おうとしているこのものとは、、わかりやすくは地位や美しくなることや学歴であり、また、こだわりだったりするのかもしれません。
こだわりって、スピに対するこだわりも入る気がします。例えば、自分は先を読む力があるとか、霊感があるとか、人の気持ちが分かるとか。
しかし、、本当のあなたの価値はそこではない、のです。
そこにこだわることも、承認要求に近い感じがします。
わたしたちのなかにある深い指針って何なのでしょう?
うまく言えませんが、本来の自分に戻ると天も味方してくれるようなそんなことのような気がします。
自分をあきらめないって難しいですが、ガツガツ努力するとかではなく、ほっとする気持ち、あー、自分は自分で良かったという気持ちで行動をすることだと思います。
他人に認められたいという気持ちが入り込む隙がないくらいの。
天とか神とか宇宙とか、、大いなる存在と私達は、実は密接な関係があるような気がしています。本来の自分に戻ること、ゼロになることで、そこにつながるのではないかしらん、、と。