どんな「キャラ設定」するかがすべて
「あなたは何キャラですか?」
過去、小学校のころの先生がそう尋ねてきたことがある。みんなは「いじられキャラ!」「なきむしキャラ!」「モテモテキャラ!」なんて答えていたが、私は自分自身のキャラが分からず黙っていた。
そんなとき先生が、
「ともきさんは、努力家キャラだよね」
という言葉をくれた。『努力』という言葉の意味すら知らなかった当時の私は、ぽかーんといした顔で「ドリョク?」という言葉を発したのを覚えている。
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”役割性格”
心理学用語である。これは、ある役割を与えられると、人はそれに応じた行動や発言をするようになる、つまり、その役割を「演じる」ようになるという現象のこと。
「あなたは努力家だね」という言葉で褒められた子どもは努力家になりやすいし、「あなたは書道家みたいね」という言葉で褒められた子どもは字が綺麗になりやすい。
あなたは何キャラだろうか。愛されキャラ?努力家キャラ?字が綺麗キャラ?料理が上手いキャラ?芸人キャラ?
キャラ設定は、自らの振る舞いを決める。
考えてみてほしい。「自分は怠惰な人間だ」と思い込んでる人が、毎朝5時に起きて勉強するだろうか。スナック菓子の誘惑に負けずに、徹底した栄養管理ができるだろうか。
例えば、自分を『プロアスリート』とキャラ設定した人は、恐らく怠惰な生活は送らなくなる。
「俺はプロアスリートだ」と言って、食事は徹底するだろうし、夜遊びは減って睡眠を優先するだろうし、朝5時に起きて練習もするだろう。
反対に、自分を『大したことない選手』とキャラ設定した人は、大したことないレベルの練習しかしない。このキャラ設定で、果たして成功するだろうか。
"謙遜"であればまだ良い。「大したことない選手」と周りには言っておきながら、自分自身では「まだ成長できる」と思い込むのが"謙遜"だからだ。
"自信が無い"はまた別のものである。「大したことない選手」と本気で思っているのに、試合では活躍したいも思い込んでしまってるのはキャラ設定ミスである。
プロになりたいなら、「自分はプロである」とキャラ設定することがスタートとなる。
少なくとも自分の周りのプロ選手で、「プロになりたくない」と言いながらプロになった人は1人もいなかった。彼らは迷いなく「プロになる」と言葉にし、プロになるための行動をしていた。
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例えば、選抜選手のセレクションで活躍しやすいのは自分自身を"特別な選手"だとキャラ設定しているプレイヤーである。自分は特別だから、どんどん攻めるべきだと考えるし、自分は特別だから、チームを動かそうとよく声を出す。
アメリカバスケはそんな人だらけなのだという。
アメリカに行った友人は、
「あいつら、自分が上手いと思い込んでるから全くパスしねぇ。けど、ちゃんと活躍してるし、アピールできてるわ。そこに圧倒された。」
と愚痴をこぼしながらも、その心の強さを賞賛していた。
「自分は〇〇な人間だ」とキャラ設定し、それを信じ込むことこそが「自信」なのだと思う。それが合ってようが間違ってようが。なにがあっても信じ込む。"自"分を"信"じる。
自信は決して「持つ」ものではない、「する」ものなのだ。キャラ設定も自らがするものなのである。他人に舵を取らせちゃいけない。
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昔お世話になったコーチに「プロじゃなくても、プロのつもりで練習しろ」と言われたことがある。
そう言われてからは、本当にそのつもりで準備するようになった。全体練習ギリギリに体育館来ることはやめたし、お酒を飲んでオールすることも無くなった。
キャラ設定こそが自分の振る舞いを決める。
自分は全くプロではなかったけど、「プロだ」とキャラ設定することで得たメリットは大きかったのだと思う。
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大前提、「キャラ」という言葉は他者には向けるべきものではない。
”いじられキャラ”とか、”ドジするキャラ”と言い続けられた人がみな嬉しいかと言われればそうではないと思う。相手にキャラを強制することは、ひどく相手を傷つける可能性があることを忘れてはならない。
反対に、自分自身に「キャラ」を設定することは問題ない。むしろポジティブなものはすべきだ。誰でもできることである。
まずは自分へのネガティブなキャラ設定をやめる。変えないと。ポジティブなキャラ設定をしなければいけない。たとえ理想とはかけ離れた「プロアスリート」、「誰からでも頼られるエース」というキャラであろうと、それが目標ならそのキャラ設定をしないとスタートラインにすら立てない。
どんなキャラ設定をするかは、各自の自由だ。
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小学校のころの先生は今思うとめっちゃくちゃ大事な話をしてくれたんだと思う。
ちなみにその先生は自分自身を「私はね、幸せキャラだよ」と表現していた。
いっつもにっこにこ。いっつも挨拶が元気。いっつも褒めてくれる。
そのキャラ通り、幸せ全開で愛を注いでくれたことは忘れない。