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第12号 牛深市街地

 天草の南端に「牛深(うしぶか)」という街がある。私はその街の雰囲気がとても好きで、当宿の宿泊プランのひとつ「天草撮影案内プラン」でよく写真好きの客人達を牛深へと連れ出し、その街を歩き撮影することを奨めている。漁師町だけでない牛深の街並みの魅力を今号では伝えていきたい。

・天草撮影案内プラン

 その名称の通り、天草各所を撮影して回るプランであり、案内人は私である。これまでも、福岡・東京・大阪などの写真趣味の方から、本業が写真関係の方々まで様々な人達にこのプランをご利用していただいた。天草の世間は狭いが島自体は広いので案内する場所には事欠かない。中には写真の趣向が似ている知人・友人もいるので、牛深が気に入るに違いないと確信を持って薦めることも多い。案内人と言いつつも牛深で育った訳ではないので私自身もこんな場所があったなんてと驚くこともしばしば。面白い場所はまだまだありそうだ。

・古いものが多く残っている街

 私が牛深を好きな理由のひとつは、少し古い建物や看板が多く残っていることだ。言ってしまえば昭和な雰囲気が好きなのだけれど、この街を歩いていると思いがけない光景に出くわすので、写真学校に入ったばかりの頃を思い出すことができる。知らない街を撮り歩くことが昔から好きなので、歩くと存外に広い牛深の市街地は魅力の塊だ。イワシ漁で急成長した街だったが現在は急激な過疎化が進んでいる一面もある。

・案内人の案内人

 この街は、同じ博多の写真学校「九州ビジュアルアーツ・写真学科」を卒業した吉川恭平くんという後輩写真家の地元でもある。彼は「牛深カメラ」というカメラ屋さんのご子息だ。写真学生の時に撮影した地元・牛深をテーマにした作品で、コニカフォトプレミオの選考に通過した経歴の持ち主。天草内で街を撮りたくなったら牛深へ向かう私は、牛深カメラさんをまず訪ねる。タイミングが合えば生粋の牛深っ子である吉川くんに牛深を案内してもらえるからだ。地元民ならではの奥深い行き先にいつも驚かされてばかりだが、いつも突然お店に伺うので困った先輩と思われているのではなかろうか。吉川くん、いつも素晴らしい牛深案内をありがとう。

・ハイヤ祭り

 年に一度この牛深が熱く賑わう祭りがある。その祭りは「牛深ハイヤ祭り」といって毎年4月に開催される。その時に踊られる踊りを「牛深ハイヤ」と呼ぶ。こちらの踊りが誕生したのは江戸時代の後期だそうでこの頃の牛深は海上交通の要でもある港町であった。様々な海産物を運び込む帆船が多く出入りしており、この船の船乗りたちと牛深の女性たちが歌い踊っていたものが始まりであると伝わっていて、全国のハイヤ系の踊りの源流だと聞いている。この「牛深ハイヤ祭り」の開催日は、鮮やかで勇ましい大漁旗が街のあちこちに飾られ、踊り手や見物客などで普段の牛深からは想像もつかないような人数が市街地に訪れる。私の娘もハイヤ踊りに興味が大いにあるらしく今年から道中踊りに参加してみようかと計画中だ。

・美麗な海水浴場

 牛深市街地から車で15分ほどの場所に「茂串(もぐし)海水浴場」という、なんとも綺麗な海水浴場があり、こちらの海辺はやはり海水浴客で賑わう盛夏の頃がらしさがあって最高の雰囲気ではあるのだが、季節を問わず冬でもその景色の素晴らしさを楽しむことができる場所だ。砂浜は大河ドラマ「宮本武蔵」での巌流島の闘いシーンのロケ地でもある。鋭く隆起した岩場も格好がつく素晴らしい海水浴場で、潮溜まりには小さなエビや小魚がおり、生き物好きにも堪らない。海中でもその透明度の高さから魚の観察が容易な海となっている。

・美味しい海の幸

 流石、漁師町とあって新鮮な海の幸に溢れている。晴れた日には、街のあちらこちらで魚介類が当然の如く干されており、その光景も長閑で面白い。生魚や干物だけでなく海藻やすり身を使った食べ物も抜群の美味しさだ。まだ入店していないお店も随分とあるので開拓することも今後の楽しみである。まだ牛深の夜を体験したことがないので、いつか宿泊して牛深の海の幸とお酒でいい気分に浸りたいと思っている。

・これからも続く牛深撮影

 牛深だけに限った話ではないが、近年より街並みや風景だけでなく「天草で暮らし、働く人々の日常」も私は撮影するようになった。これからも写真とともに、まだ知らぬそれぞれの仕事の世界を覗き見させていただこうと思っている。新たな取材先も決まったので、当宿から1時間弱の距離にある牛深へ行く機会をもっと増やさねば。とても駆け足でまだまだ紹介したい牛深の見所や美味しいものが沢山あるのだが、それはまた次号以降にご期待願いたい。

写真・文 / 錦戸 俊康

※こちらの特集記事は2018年4月15日に発行した
『天草生活原色図鑑 電子版』の再構成記事です。

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