番外編 写真展 「点滅の島」を終えて 前編
今回は2021年2月22日〜3月7日の期間に福岡市天神のギャラリー「アートスペース 貘」(以降、貘)にて開催した錦戸俊康写真展「点滅の島」を振り返る。
振り返るといっても開催前日の搬入と初日のみの在廊だったので本当に短い滞在だった。その分、とても濃密な時間を過ごすことができたので余さず思い返したい。
2月21日15時45分発の天草エアラインにて福岡空港へ。つい先程まで当時からの友人と会っていたので、機内で様々な出来事が脳裏を駆け抜けた。福岡・博多は18歳の時に天草を出て最初に住んだ街であり、思い出が溢れる街だ。2年間写真学校に通った後に、広告写真スタジオに就職もしたので合計5年ほど住んだ。若く多感な時期の日々は振り返るほどに眩しくなっていく。その後、京都や東京へと各地を転々とするのだが、博多は私にとって写真の日々の始まりの場所だと思っている。
天草空港から40分で着いてしまう久方ぶりの福岡空港は、想像以上にガランとしていた。コロナの影響であることは間違いないのだが、普段から人の少ない田舎に暮らしているので、報道通りの有り様に何故だか驚いてしまう。地下鉄に乗り天神へ向かうも車両内は人が少ないという様な印象はなく、以前と違う点は誰もがマスクをしているくらいとしか思わなかった。
すぐに地下鉄天神駅に到着。1番出口の階段を上がって貘のある親不孝通りへ。17時を過ぎた頃にギャラリースペースの隣にある喫茶店「屋根裏 貘」に入る。マスターとママさんにご挨拶。
18歳の時に初めて来店してから大きな変化のない店内を見回し安堵する。変わらない場所があるっていいもんだなあ。昨年の秋頃に展示の誘いを受けて、今回の写真展は動き出した。こちらで展示をするのは7年ぶりであることにまた驚く、時間が経つのが加齢とともにぐんぐん加速している、このお店で色んな人に出会ったなあとまた耽ってしまう。搬入は18時からなのでコーヒーを注文し席についたが、折角のひと息つけるものをふた口で飲み干してしまった。空港からずっとそわそわ浮き足立って高揚している自分がよくわかる。展示搬入直前の色々なものが流れ込んでくるこの感じが堪らない。
前の展示者さんの搬出の鮮やかさに見惚れながら、自分の搬入の進行を再確認。時間ばかりをかけた搬入が好きでないので、並びや高さなど何度も自宅の作業場で想定を繰り返してきた。現場に着かないとわからないことも多々あるけれど、今回の貘は何度も通っていた場所でもあるし、展示も複数回しているので天草にいてもしっかりと試行錯誤をすることができた。
そんな準備をしていても、なかなかしっくりこないところもやはり出てくるのだが、搬入のお手伝いをしてくださった貘の頼もしい名物ママ・律子さんの助言で問題がどんどん解決することがとても痛快だった。こんなに頼りになる人はいないんじゃないだろうかと思いながら2時間で展示搬入は完了。
律子さんが手伝ってくれなければ倍以上の時間がかかったのだろうな。と搬入の合間に屋根裏 貘のメニューで特に好きな「メトロポリタン」を食した。
貘を出てすぐ、私の写真のお師匠である権さんに連絡をする。想定より遅くなったが中洲の川べりで待ち合わせることになった。親不孝通りから中洲まで少し急ぎ足だけど変わった場所、変わらないものを撮りながら進む。
久しぶりのお師匠さんとの対面。緊急事態宣言下なのでお店はどこも開いていない。なので、飲む場所はキャナルシティすぐそばの川のベンチというのか、座りやすい段差のある場所だ。ここの景色はあまり変わっていない様子。お酒とつまみはすぐ近くのコンビニで補充する。なんだか懐かしい雰囲気じゃないの。本当に久しぶりにお会いするのでもう少し緊張するかと思いきや、以前より話せる内容が大きく増えたなと感じれたことがとても嬉しい。
今回の展示のことや天草での月イチ連続展のことなどに始まり、お互いの近況や学生時代の私のやらかしたことの数々などなど話は尽きない。礼儀も常識もなかった私は、この人に出会わなければどんな人生になっていたのだろう。写真のことだけでなく随分と、人間に近づけてもらった恩のある方だ。対岸にあるラブホテルの灯りを、おっさんふたりで眺め話しながら夜は更け、名残惜しいが深夜2時に解散。早く世の中が落ち着いて安心して飲める日が来て欲しい。
久しぶりに深夜の街ってのを歩いているな、と博多に住んでいた当時をまた思い出す。出張の時は気が張っているのか、撮っておかねばと貧乏性が働くのか始終元気だ。貘の近くにとった宿へまた歩いて帰る。濃密な午後だったなあ。
明日はいよいよ展示初日だ。久しぶりの大好きな土地での展示なだけに浮き足立ちっぱなしだが出来る限りのことはしたので楽しみでしかない。
後半へ続く