親知らずと口噛み酒
3ヵ月間悩み抜いた結果だった。
いわば彼と僕は一心同体だった。
その彼が医師から『そろそろ限界だ』と通達されていた。
彼は50年もの間『親知らず』と言う名前で呼ばれ続けた。
単に『奥歯』と呼べばいいものを、そんな名前で呼ばれ続けた結果、彼はいよいよ自ら腐りはじめていたのだ。
【奥歯】という漢字は見ての通り両方とも【米】という文字が入っている。
まさに『米をすり潰すこと』を宿命に彼は誕生した筈だったのだ。
お酒にしても麹のない時代は、奥歯で玄米をすり潰して壺に吐きためて造っていた。
そんな兄弟同然の彼を僕は『親知らず』呼ばわりし続けた挙句、丁寧なブラッシングさえ怠ったのかも知れない。
僕は医師に『せめて彼を江戸川区の自宅に連れて帰りたい』と伝えた。
そして浅草の老舗『喫茶マドンナー』で僕は手の中の彼を今日から【(親)シラーズ】と呼ぶ事にした。
【シラーズ】なら、なんだか仏ワインのぶどう品種みたいで世界中から愛されそうな気がするのだった。