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【takashingロングインタビュー】福岡から全国各地へ──DJでぶちかます、その信念に迫る!



福岡を軸に県外各地で活躍しているアニソンDJのtakashing。彼とはアニソンDJパーティー「デルタポップ」をはじめ、様々なところで共演して、切磋琢磨し合っていた仲である。そんな彼がこの度上京するとのことで、せっかくなのでインタヴューを実施。なぜ、全国各地でDJをすることになったのか。幼少期からの人生の話から、気になるDJ公募のコツまで、じっくりと語ってもらった。

取材&文:ニシダケン

【デルタポップ vol.49】

■2024.9.1 Sun
■15:00-21:00
■at 福岡セレクタ
■¥2000-w/1D

くすぶっていた学生時代

ーーtakashingさんは、出身はどちらなんですか。

出身は北九州。今年37歳。

ーー幼少期から中学校くらいまでってどんな子でした?

幼少期は別にみんなと遊ばなくて。一人で遊ぶのが多かったかな。小・中学のときは、部活で剣道をやりよったけど、スポーツも得意じゃなかったね。

ーーアニメも見てました?

あんまりがっつりは見てなかったけど、夕方アニメは毎日見よったかな。でも当時自分が見てたけど、実際は全然みんな見てなかったっていうパターンが多かった。「グリッドマン」とか俺リアタイで見てたけど、周りに見てるやつがおらんやったしね笑。
当時はそういう事ばっかやったし、周りにそういう話ができるのがほとんどいなかった。そういう話ができるのは、5つ上の兄ちゃんくらいだったね。

ーーお兄ちゃんがいたんですね。高校に入ってからはどうでした。

高校は北九州の男子校に進学した。でも大して馴染めなくて。2年の時たまたま深夜アニメを見て。こんなんがあるんやみたいな感じに思って。そっからちょっと友達が増えたりしたみたいな感じ。

ーー高校は厳しいとこだったんですか

校則はゆるくなかった。今思うと厳しかったんかもね。高校卒業して共学の話聞くと、男子校と共学でこんなに文化的な差があるのかって思ってた。俺の高校生活なんやったんってよく思ったもん笑

ーー部活は高校でも剣道部だったんですか?

いや高校も剣道部で入ろうと思ったんやけど、うちの高校って自衛隊の子に高卒の資格を与えるための制度があったとかで。自衛隊に1年おって高卒の資格取るために高校来たっていうのが多ったんよ。それが柔道部と剣道部に集中しとって、剣道部入ったら「これはメンバーいかつすぎて、やべえな」と思って、弓道部に入ったんよ。

ーー弓道部!なんで弓道だったんですか?

理由は剣道部の隣に道場があったから。本当になにも考えてなかった。でも運動神経悪くて、球技がてんでダメやけん、球技は選択肢になかったね笑

ーー世代だと高校ぐらいから、深夜アニメが流行り始めますよね。

そうそうそう。「エアマスター」とか「ぱにぽにだっしゅ!」とか。

ーー周りも見てたんですか。

周りは、「実は見てた」っちゅうパターンを卒業シーズンで知るみたいな感じやね。「お前見とったんあれ」みたいな感じ。でもなんか当時あんまり言い出せない感じがあって。ヲタクはヒエラルキーの下層やったし。男子校でヒエラルキーの下入ったら結構きついんよ。

ーー高校生活はどうだったんですか?

もうほぼ空気みたいな感じだったと思う。全然自己主張せんやったけん。当時の自分のことを思い返すと、おもんなかったもん。やけん高校生が充実しとった人たちは、もう羨ましくて仕方ないね。

ーーなんか今の感じ見ててちょっと意外っすね。学生時代のめちゃめちゃ覚えてる思い出とかありますか

高校のOBがジャパハリネットってバンドなんよ。1回体育館でライブしてくれて、その時に初めて生で音楽を触れたって感じがあった。そこからラジオとかで音楽を聴くようになった。俺の音楽のきっかけはそこなんかもしれなん。

ーー中高まではどんな音楽を聴いていたんですか?

小学校の頃は周りのみんなはジャニーズとか聴きよったけど、5つ上の兄ちゃんがおるけん、隣の部屋から聞こえてくるLUNA SEAとか黒夢とかXとかPIERROTとか、当時のビジュアルのやつばっかり聴きよったかな。小学生の頃、音楽の感性が誰にも合わんかった。

ーー主体的に音楽が聴くようになったきっかけが、そのジャパハリネットですか?

そう。あとその後ラジオで聞いたTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTが好きだった。でも知ったのは、もう解散直前くらい。その時聞いた「エレクトリックサーカス」は本当衝撃だった。

ーー当時アニソンとかも、聞いてたんですか?

結局そのアニメをどうこうってなったのはやっぱ大学入ってからなんよね。大学入って初めてパソコンを手に入って。その頃ってちょうどニコニコ動画が出だしたばっかの頃だから。そっからアニメを狂った様に見るようになったね。

今のスタイルの原型となった大学時代

ーー大学はどこに行くんですか?

大学は、岡山の大学。栄養士を目指してたよ。

ーーなぜ?

病院で働きたいって思ってて。でも病院で働ける頭もないから、じゃあ栄養士になろうみたいな感じで。料理好きやったし。でも結果的に全然やりたいことと合わんで、その道はやめたんやけど。でもただ俺の大学が結構特殊な大学で、栄養士のコースと、音大も兼ねとったんよ。せっかく音大兼ねとんやったらなんか音楽に関することしたいなと思って。でも軽音楽部はチャラいから嫌だと思って。そこで吹奏楽部入った。

ーーまったくの未経験で吹奏楽部に入ったんですか?

そう。でも4年間ちゃんとトランペットやってた。

ーー0からいけるんですね。

中高吹奏楽やってなくて、ブラストバンド部に入るやつとか珍しいんよね。でもそこで人格が形成されたかな。高校時代はちょっと内にこもってた性格だったけど、大学に入ってやっと喋れるようになったみたいな感じ。

ーーそもそもなんで岡山だったんですか?

何個か受かっとって、知らない土地でかつ、なんかちょっと人とは違うことがしたいっていう結局中二病みたいな理由やね。人と違うことをやろうとしてた。でもその大学時代の吹奏楽部の経験がたぶん今のDJに活かされてるんだろうな。

ーーどんな吹奏楽部だったんですか?

いわゆる体育会系ノリやった。金管楽器やったけん、当時運動部くらいトレーニングとかするんよ。結構飲み会やってたし。そこでなんか酒のテンションとかを覚えたよね。でもなぜかそれが肌にあってた。

ーー大学の吹奏楽部って大会とかあるんですか?

大会はないんよね。大会ないけど定期演奏会と地元の公演とか文化祭とか。他の人たちは中高で大会を経験してるけど、俺は大会を経験してない状態だったけん。他の人からすると、「変わった感性だね」みたいな感じだったらしい。

ーー大学の時のアニメってどういうものを見てたんですかね?

2000年代中期やけん。「瀬戸の花嫁」とか「らき☆すた」とか「ハルヒ」とかもその辺やね。大学生なって、俺らが中高の時やりよったやつとか見よったんじゃないかな。

ーーゲームとかもやってました?

一番ハマったゲームは「ヴァルキリープロファイル」。ほかにも「スターオーシャンシリーズ」とか「アークザラッド」とか。RPGは一通り。ドラクエもFFも高校の頃とかにやりよったし。

ーーなるほど。

あとは大学時代にニコ動がサービスが始まったんよ。黎明期から見てた。「ニコニコ組曲」とか。あとはもう音MAD系の動画。ああいうやつばっか見よったね。バイトの通勤中聞く音楽も音MADやったくらいどハマりしとったな。

ーーそこからボカロも流行り始めますよね。

ボカロも入ってくるね。supercellとかwowaka。あと家の裏でマンボウが死んでるP。初期のボカロは、アゴアニキの「ダブルラリアット」とか「初音ミクの消失」とか。ニコニコ動画一通り見てるって感じだったな。オタクとしての人格も、そこで幹がガッツリできてる感じがする。

ーー当時のめちゃめちゃこれ聞いてたみたいなアニソンはありますか?

「瀬戸の花嫁」のキャラソンがすげえかっけえかったんよね。当時それが相当衝撃やった。「らせん」っていう曲がめちゃくちゃかっこよくて。その頃から趣味で音源掘りをやるようになったんよ。家の近くにレンタルショップがあったけん。そんな品揃えよくなかったけど。毎回行ってると増えてるみたいな。

ーーそこから大学を卒業するんですよね。

そうそう。ただ俺らの世代ってリーマンショックが起きた時やけん、就活がめちゃくちゃ大変な世代だったんよ。それに新卒市場主義やったけん。「新卒で働かんと人間じゃない」みたいな時代やった。とにかく新卒で就職せないかんみたいな時代やった。

ーー就職はどこにするんですか?

岡山のデパートの地下。デパ地下にテナント出してる会社があってから、そこで3年。食品系に行ったね。でも給料めちゃくちゃ安いし。休みもないけん結構しんどかったね。3年目で店長になっとったのに、「バイトの40代のおっさんの方が給料高い」って社長が飲み会でポロッと言ってしまってから。「もうやめよう」って思って、そっから福岡市に転職したね。

ーー地元の北九州ではなく、福岡市の方なんですね。

北九州には戻りたくなかったんよ。地元最高みたいなマイルドヤンキー文化が強いけんね。それで市内に引っ越してきたね。

ーー岡山時代、アニソンDJとかに触れていたんですか?

岡山におった時、アニソンバーに月1、2回くらいで行ってた。でもそこは、カラオケが歌えるガールズバーみたいな感じだった。で、「今やってるアニメの話」とか「当時何見よった?」みたいなことを話してた。
でもそこで初めて小さいアニソンDJイベントをやりよってね。たしか女性のDJだった。で、いぬさんのリミックスとかを流してたのを覚えてる。そこで「アニソンでやるDJっていうのがあるんやな」ってその時知ったよね。

福岡でアニソンDJパーティーとの出会い

ーー福岡に引っ越してきてからはどうでした?

自分が25、6くらいの歳だったかな。まず岡山でもアニソンバーに行きよったけん、「福岡 アニソンバー」で検索したんよ。そこで引っかかったのが、LEEDAR(デルタポップの元レジデントDJ)が店長やってた「ANIME TRIVE(通称:アニトラ)」ってお店。一番最初に行った時にLEEDARに会ったときは、細身やったけどすげえ雰囲気あるなと思いよった。アニメとか、the pillowsの話とかしたんよね。まあ、その2ヶ月後くらいにそのアニソンバーは閉店してしまったけど笑

ーー僕もその頃くらいにtakashingさんに出会ったんですけど、当時は「アイマス好きです」みたいな印象でした。

いまはアイマス全然追えてないけどね。社会人になって、アニメのアイマスを見て、「アイマスってこんないい話やったん!」ってなったんよ。それで7周年のライブのブルーレイを買って見て、「すげーこのエンターテイメント!」って感動したんよ。当時は、ライブのブルーレイ普及活動もしよったな。それでアイマスの音源とか持っとったけ、アイマスのオンリーイベントも出たことあったな。

ーー福岡ではじめてアニソンDJイベントに行ったのは「デルタポップ」が最初ですか?

そうそう。アニトラにおったときに、LEEDARから「アニソン詳しかろ?俺今からDJなんやけど、なんかセット考えてくれん?」って言われて。それでLEEDARが持っとったCDで、「これとこれはこうやったらいいんじゃないですか」って話しよって。それで「ええやん!じゃあ一緒にいこう!」って当時Early Believersでやってた「デルタポップ」に行ったのが最初。それがめちゃくちゃ楽しかったんよね。

ーー良い話。takashingさんって、その頃から自分から結構コミュニケーションとるタイプでしたよね。岡山からいきなり福岡にきて、たくさん友達作る行動力がすごいなと。

高校時代は誰ともしゃべってなかったけど、大学からサークルで培われたコミュニケーション能力が芽生えた感じやね。
デルタ初めて行って以降は、「デルタポップ」以外の他のイベントにも行くようになった。そこから福岡のクラブ、Selectaに通うようになって「ニジカル」とかによく行ってた。当時は毎月やりよったし。平日にやりよるのにめっちゃ人おるし。今考えるとすげえモンスターイベントやったね。でも当時Selectaの人たちとはそんなに絡んどった感じはなかった。シンプルにお客さんとして行ってた感じ。本格的にその辺のお客さんと絡み出したのって、俺がDJ始めてからじゃないかな。

ーーDJってどこから始めたんですか

アニトラで練習させてもらいよったんよ。そこからかな。その後は、ASOBIBAってヲタクバーみたいなところがあって、そこでもDJの練習しよったね。で、CD集めてある程度機材に慣れとった2014の秋くらいに、しばふさんから「sky up!」ってイベントと「badmoon」のコラボをやるから、「イベント出てみらん?」って誘われたんよ。

ーーいよいよDJデビューですね。

そう。それで、DJ始めてしばらく経った時LEEDARから「デルタでDJやってみらん?」みたいな感じに誘われたんよ。最初はスタッフだった。そのあと、ゴールデンウィークの時にキースでデビューやったと思う。当時は名義も「タカシン」。「takashing」に名義が変わったのは、デルタ入ってから、tomokiさんが酔っ払いながら、後ろに「Nの後にGつけたらいいんじゃない」「それめっちゃいいっすね」って話して、今に至るまで「takashing」。

ーーそこから「デルタポップ」以外のイベントにもDJでどんどん出ていきますよね。

そうそう。ありがたいことに、DJで呼ばれるようにはなったんやけど、なかなかスキルが上がらなくて伸び悩んどったね。DJ始めて2年くらい全然上手くいかなくて。「本格的にまずいぞ」って思って一念発起して機材買ったんよね。当時は人から借りたgeminiのCDJで練習しよったけど、読み込みめちゃ遅かったし練習にならんかった。そこからXDJ-RXって機材を買って、そこから幅が広かったんじゃないかな。あとは、伸び悩んでた時期に、他のイベント行くようになって、それで親富孝通りのedenってバーでやってたイベントで、yuzenとかと知り合った。

ーーそれくらいの時期で印象残ってるDJとかいますか

Selectaでやってた「オタクール」ってイベントのゲストは毎回すごかったの覚えてるね。結構県外から、いろんな人が来てた。当時は、主催のタクヤさん(TAKUYA the bringer)さんがするオファーが本当にすごくてね。ただ2017年になって、俺が転勤になるんよ。

ーー転勤?

そう。1年間熊本に転勤になったんよ。でもその時は「デルタ」のレジデントやったけん、イベントある時は福岡に帰ってきて、「花太郎」に泊まって、翌日帰るみたいな生活しとったもんね。ただ熊本時代はクラブとかも行ってなかった。その間は、1年間ずっと「キュー打ち」をしよったよね。もうすることもないから、その時にひたすらひとりで音源に向き合ってた。その経験が今に生きてるってのがあるね。

ーーDJ MIXとか、当時録ってなかったんですか?

当時は福岡に住んでないけど、イベント行くのも月1あるかないかの時やったんよ。で自分の足で、何か手に入れんといけんと思って、それから「DJ公募」のイベントに「俺のDJ聴いてください!」ってミックスを提出するようになった。一番最初は2016年末の「今日アニ(今日のアニメ)」のやつかな。今聞いたらとても人に聞かせられるようなクオリティではないんやけど。そのくらいからMixcloudで人のミックスを聞くようになった。

公募ハンターtakashing


ーーいまや、あらゆるDJイベントの公募に出しまくってますよね。

そうそう。それから広島のじゃくとがやってる「やばきゅーぶ」の公募に出した。1回目は落ちたんやけど2回目で受かって。そこで初めて県外のDJもやった。その当時は福岡DJの時もちろん、広島も縁もゆかりもなくてから。知ってる人もおらん状態だったんよ。でもその時スタッフ達が盛り上げてくれて、それでゲストで初めて広島行ったのに、俺も他のDJの時間も一緒になって盛り上げて。そこから広島の人たちが「おもしろいね」みたいな感じで言ってくれたんよ。そこで初めて県外の友達ができた。自分にとっても自信に繋がったね。

ーー県外でも全然友達作れるからすごいですよね。

まあ、そうやね。それで2018年に転職して、熊本から福岡市に戻ってきた。そこからSelecta以外でもやるようになったよね。他の箱で回すようになっていってからは、スキルも上がっていった気がする。

ーーある時期から、「takashingさん公募ハンターみたいになってるな」って思ってたんです。なんで公募にたくさん出していくようになっていったんですか?

いろいろ自分でやるようになっていったんやけど、自分が中堅くらいのポジションになっていくようにつれて、「これでいいんかな」って思うようになったんよ。せっかくやるなら、勝ち取っていきたいと思ったね。俺はもっといろいろなところで戦っていくようにしよう、みたいな感じで出すようになったね。

ーー高校時代の話聞いてると、部活とかじゃなくて、全然大会とかもなかったのに、いまや勝ち負けの世界にいるのがおもしろいですよね。

社会に出てDJやるようになってから、新たな青春みたいな(笑)。まあ合格ってのはやっぱ難しいもんやけどね。

ーー福岡って土地柄的に、県外の人というか東京のゲストをすごくありがたがるところがある気がしていて。

確かに。でもあるとき、Take-Btzさんって先輩が「どうせなら自分で県外に出てかました方がかっこいいやろ」って言ってくれて、それの言葉がめちゃくちゃ染みたんよ。だから、いま俺はいろいろ自分で考えてやってるかな。

ーー公募用のDJ MIXってどういう風に作るんですか?

1個のイベントに対してMIXは1個。それも1発撮り。最初の頃はよくやってるつなぎとか、思いついたことをやるみたいな感じだったけど。だんだん回数重ねていくうちに「このイベントはこういうイメージやけん、こういう曲でやって、こういう風に終わったらイメージに合うよな」みたいな感じで作るようになった。自分がこのイベントに出たらこんな感じでやってするよなみたいな。口では表現できんけど、イベントのイメージに合ったものをミックスで表現できるようにしてる。

ーーイベントの雰囲気とかも意識するんですか?

そうね。もちろん行ったことないイベントだったらSNSのタイムラインとか見て「俺やったらこんな感じでやるよな」って想像して作る感じ。それで試行錯誤してる。

ーーDJで意識してることはありますか?

グルーヴのキープかな。フロアリーディングを常に心掛けてる。事前にセット組むってのは、ほとんどやらんし。現場では一期一会の感覚でやってるかな。ミックスはさすがにセット決めるけどね。そうじゃないと一貫性がなくなるから。昔はミックスもその場のノリでやろうと思った時期もあるけど、それやるともうガチャガチャになるけん。ちゃんと起承転結の構成で考えて、ミックスは作るようにしようかな。

ーーなるほど。

あとは音で繋いでいくかな。金管楽器メインとかブラスサウンド系のやつやったら、そういう音のやつに繋ぐし。ピアノ系やったらピアノ系のやつに繋ぐし。ストリングスやったらストリングスに。そういう感じでそういう感じで歩いてると。結構ある程度グルーヴができてくるし、そこから緩急つけて別のやつにもいける。

ーー先日「アニ武者」の企画で公募の審査員もやられていましたよね。

あれは大変やった。64本×30分のミックス聴いたもん。


ーーシンプルな疑問なんですけど、30分聞いて良いミックスって分かるもんなんですか。

わかるね。俺は起承転結で考えるんよ。良くないミックスは、音の残し方ができてないとかもあるし。なんでこれこれにいったんとか意図がわからんやつとかは減点だったな。何を表現したいのかが全然伝わってこない唐突に脈絡のないことやるのは、個人的にあんまり好きじゃないかも。

ーーtakashingさんが考える、良いミックスってどういうやつですか?

良いミックスは気づいたらもう終わっとったみたいな時間を感じさせないやつ。イベント中やったらグルーヴとかノリとかお客さんのやつもあるけん気にならんかもやけど。でもミックスはもうそうもいかんけん。割と繊細な音の処理とか求められるから。ガチャガチャした不協和音とかかやったら、個人的にはあんま聴いてられない印象なるね。

ーー実際いろいろ出てみて、takashingさんのなかで印象が大きかったイベントは?

東京でやった「アニソンインデックス」かな。やっぱり秋葉原のMOGRAは憧れの箱やったし。「アニソンインデックス」は、公募に初めて出した時に、主催から1位もらっとったんやけど、それでもやっぱり合格にはならんやったんよ。あの時は各DJから平均的に1位が多かった人が受かるみたいな感じだったけん。でもそれがあったけん、呼ばれるきっかけになった。だから受かりはしなくても、ちゃんと続けていればオファーに繋がるってのを感じたね。

ーー「アニソンインデックス」当日はどうでした?

当日は、配信もあったから失敗は絶対許されないと思った。でも俺あの時機材トラブル起きてから、PCが読み込まなくなってなったんよ。かなり焦った。予備のUSBでなんとかやれたって感じ。1曲目と2曲目だけは決めとったから、すぐそっちに行ってなんとかやった。わかる人にはバレとったみたいやけどね。でも他にも京都の「アニメメメ」とか、「ANISON COMPLEX」みたいな老舗イベントにも出られるようになった。やっぱりいろいろ県外に向けて活動を続けとったけん、呼ばれるようになっていったってのもあるやろね。

ーーこれから上京するそうですけど、東京でもDJはされるんですよね。

やるよ。「かっこいいアニソンがかかるイベント」っていう俺が一番出たかったイベントに呼ばれた。そこの10周年のオファーが来たけん。そこも公募出しとったときに、ベスト5にも入ったんよ。あと、そのそのときベスト8に、九州のDJがたくさんおってそれが個人的にアツかった。


ーー九州のDJの熱、今きてますよね。

最近やっとそのムーブが来たって感じ。もっと県外で。「地方だけでくすぶらずに県外に出よう」っていう考え方が自分だけじゃなくなってきた気がする。若手が、県外の友達ができるようになって、DJでカマせば友達が増えるっていうのを知ったんやと思う。

ーーtakashingさんが思う中で、すごいなと思う若手のDJはいますか。

1人が福岡でやってる若手のtlem(https://x.com/po_la_ri_s_)。もう1人が長崎のQlar(https://x.com/gun_flame_qlar)。そしてもう1人が福井県の佑(https://x.com/yu_key_show)。


ーーその3人はどこが魅力だと感じますか?

グルーヴと選曲。あと音の処理の仕方。一貫性もあるしかつ緩急も入れるから、聴いてて楽しい。福井の佑くんは「ANISON COMPLEX」で一緒になった。tlemは何回も一緒にやってるし、Qlarは客としてよく会ったりはしよったけどちゃんとDJ聴いたのが、この間長崎で出た時は初めて。的確に綺麗にミックスしよったから、それは相当びっくりしたね。

ーー若手以外ですごいなと思った人はいますか?

南こへびさん(https://x.com/snakeaniki)かな。あとはデルタポップの主催の魚住(太郎)さんはやっぱすごい。選曲が的確よね。あと、この間デルタの17周年あった時に、LEEDARがめちゃくちゃ久しぶりに遊びに来たんよね。LEEDARがデルタを抜けるとき、当時は色々とモヤモヤした思いがあってぶつかってしまって。それが原因でLEEDAR抜けることになったんやけど、俺もそれに対して責任は感じてとって。それでこないだLEEDARが客で来てたんよ。で、魚住さんのDJのときに途中機材トラブルがあって、そのときにLEEDARがMCに入って、めちゃくちゃ盛り上げてくれたんよね。「うわ、この人やっぱすげえ!もう持っとるわこの人」って思ったね。いま俺はありがたいことにMCを褒められることが多いけど、その原点はLEEDARなんよね。それにそのとき最近気づいた。

ーー次回が上京前の最後の「デルタポップ」への出演になります。最後に意気込みを聞かせてください。

まあデルタをやめるわけじゃないからね。とはいえ、福岡を離れる一区切りのイベントとしてデルタに出れるのはやっぱり相当嬉しい。自分をいろいろ形成させてくれたイベントやから、やっぱり盛り上げてやっていきたいかな。そしてもうもうだったら、俺も一区切りやけん、普段来てない人とか初めての人とかも来てほしい。なにかのきっかけになってくれたら、嬉しいかなと思うよね。


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