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「火花」の書き出し1文を読んでみた。

大地を震わす和太鼓の律動に、甲高く鋭い笛の音が重なり響いていた。

「火花」又吉直樹

好きな小説をあらためて読む。なぜこの1文から始まったのだろう。

まず初めに祭囃子の様子が書かれている。
太鼓の低い音と、笛の高い音がそれぞれ目立っているのだろうが、「大地を震わす」なんて大げさな表現が良い。
いや、すぐそばで演っている漫才がかき消されるほどだから、このぐらいダイナミックな音なのだろう。
かき消されたところで誰も気にしない悲しい漫才なのだけれど。

イマイチうだつが上がらない漫才師が主人公の本作は、最後までうだつが上がらない漫才師だった私にもバッチリ刺さった。
ただし、漫才をやめてかなりの時間がたっていたからこの本を読めたのかもしれない。
現役の時や引退してすぐであれば、手に取る気すら起こらなかっただろう。
多分、悔しさを感じていたはずだから。自分の気持ちだけど遠い過去なのでこれは推察だ。

だが、聞いてもらえない漫才をした経験は私にもあるので、この時の主人公の徳永の気持ちはなんとなくわかる気がする。
漫才師は漫才をしているときもしていない時も楽しいものだ。
もちろん、うけている瞬間が一番快感である。そして舞台袖で出番を待つ時間は緊張で死にたくなる。
でも、うけていなくても漫才師としての人生を楽しんでいるんだなと、徳永たちが感じているその空気感が強く伝わった。それは作品を通して良く分かった。

冒頭のシーンに話を戻す。
徳永たちの漫才は祭り会場の端になんとなく用意された場所で行われていて、お客はこれから始まる花火の方が気になっているという状況だ。
漫才の出来としては、文字にして読むとそこそこ面白いと思う。
「飼っているセキセイインコがしゃべったら嫌な言葉は」というネタらしい。
小説なので実際にどんな声色で、声量で、テンポで演じられたのかが分からないから何とも言えないが、私としてはシンプルで好きなフレームワークだ。(ちなみに映画版は見ていない)
でもまあ雑に断じるなら、その場ではすべっていたのだろう。環境も良くない。

ただ、大きな舞台や賞レースでないのであれば、すべった漫才はかき消してもらってちょうどよいのかもしれないな。
大地を震わせるほどでかい太鼓の音は、オーバーキルじゃないかと思うけど。
大げさに響く低音と高音の圧が漫才をかき消すには十分すぎて、風情があるけど漫才師には容赦ない書き出しだと思った。

≪前回取り上げた小説≫


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