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ゲームとことば#48「アルコロジー」

1つの巨大な建物の中で、生活に必要な食料や燃料などがすべて賄える自給自足が可能な未来の施設。それがアルコロジーだ。
アーコロジーともいい、昔から研究されているようだがいまだ実現は難しいく、もっぱらSFの世界のものとして扱われている。

『シムシティ2000』で人口が一定数増えると、このアルコロジーを建設できるようになる。
わずかな区画に何万人もの人間が暮らせるようになるため、町の人口を最大限増やすという本作の基本的方針に従うと、最終的にはこのアルコロジーをひたすら並べていくだけになったりする。
なんだか不気味だ。
まあシムシティの楽しみ方は人それぞれで、景観を重視したつくりにして出来上がった町を眺めるもよし、利便性を鑑みず道路で文字や模様を描いてみるもよし、ではあるのだが。

アルコロジーのような巨大な建築物の中で暮らし続ける未来ってどうなのだろう。
と、考えてみたのだが、そういえば昔そんな内容の本を読んだことがある。
眉村卓さんの『通りすぎた奴』という短編小説だ。
人々は何万階もあるビルで一生を終える未来が舞台で、その未来で普通に生活していた主人公が、ビルを下から歩いて踏破しようとする風変わりな旅人と出会う話だ。
ラストは群衆心理の怖さが描かれていて、初めて読んだときは寒々とした怖さを感じた記憶がある。

シムシティのようなシミュレーションゲームをやっていると、時折無機質な怖さを感じることがある。
人口が数字として表現される世界。それに加えてアルコロジーのような未来すぎて現実味のない施設が現れるとさらに怖い。
いやアルコロジーが実現されたとしても、実際はなんだかんだ楽しく暮らしているのかもしれない。多分そうに違いない。
ただ、この「そうに違いない」はそうあってほしいという気持ちもある気がする。
たとえビルの中で暮らす未来が来るとしても、窮屈に感じない世の中を望む。

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