フリーター、西川航平

「俺、フリーターになるわ」

木曜日の昼下がり、顔を合わせればあいさつ、なんとなく世間話をする程度の知人Aはそう言った。

Aは私と同じ大学、同じ学部に所属する男だ。

「え?……まじ?」

この問はいささかどころではなくデリカシーに欠けたものであったと自覚しているが、それだけ私にとっては衝撃的だった。

大学を出て、フリーター。

「何かやりたいことでもあるん?」」

「いや、なんも」

人の人生に口出しするなど馬に蹴られるどころの話ではないかもしれないが、それでも思わずにはいられなかった。

お前はいったい何のためにこの4年間大学に通っていたんだと。

仮に聞いたとして、「知的好奇心を満たしたかった」などという高邁な答えは、授業中にスマホとにらめっこをしていた彼からは返ってこなかっただろう。

私も人のことを言えるような勤勉な学生ではなかったが、少なくともモラトリアムを楽しむことだけが目的ではなかった。

大学のテーマパーク化などというが、ならばこのテーマパークの最大の魅力は大卒でしかつけないような職につけるようになることだろう。

私にとってAの選択は、テーマパークでただ眠って過ごすような無為な時間の過ごし方のように思われた。

「まあしっかりした職に就こうと思えばまたチャンスはあるだろうし気ままにやるわ」


お前は就職における切り札である新卒カードをドブに捨てようとしているんだぞ。

今以上のチャンスはそうそう巡ってこないだろ。

そんなことも思ったが、あいにく彼は私の友人ではなく知人だったので

「そっか、お互い頑張ろうな」

と返すにとどめた。

「工場の夜勤、きつい。眠いわ。サービス残業あるし。やめてぇ」

「プロモ取らないと年金が払えない」


これは明確な裏付け、データがないのであくまで私の主観になるが、競技シーンで遊ぶプレイヤーは、非正規労働者の割合が高いように感じる。

上記のような会話は、頻繁ではないにしろCS会場でちらほら耳にするし、顔の広い友人からプレイヤーの話を聞いてもやはりそういった待遇で働く人は少なくない。

カードゲームは、それを好む人々がどうかは別として、ゲーム、遊びとして非常に魅力的なものだと思う。

かくいう私もカードゲームが大好きで、毎週のように大会に参加している。

でも、そんな私ですら思う。

君たちは、ここで遊んでいる場合かと。

サービス残業、非正規雇用。

この状況に満足しているのか?

もしかすると、今はいいのかもしれない。

そういった環境でもそれほど不自由なく暮らせるのかもしれない。

だが、この先はどうだろう。

5年後、10年後。

その仕事を続けるのだろうか。

アルバイトを続けるのか。単純作業を続けるのか。

では20年後は?

30歳、40歳になった時のことを少しでも考えているだろうか。

30歳を過ぎてろくにスキルもない人間を、いったいどんな企業が受け入れてくれるのだろう。


私は大学1年の夏休み、父に単純労働のアルバイトをするように言われた。

なぜと問う私に、父は「将来のために、今お前が必ずやっておくべきことだからだ」

と答えた。

疑問は残ったものの、父の助言は往々にして正しかったし、父のことは心から尊敬していたので、私はその指示に従うことにした。

そうして始まった私の初めてのアルバイトは、スマホを作る工場で「右から渡されたスマートフォンにUSBケーブルを差し込んで検査ボタンを押し、異常がなければ左に渡す」
というこれ以上になくシンプル極まりないものだった。

1日8時間。立ちっぱなしでその作業を続けた私を襲ったのは、肉体的疲労ではなく精神的な苦痛だった。

誰にでも、ロボットにもできるような作業を長時間やらされる。

これは人の心を恐ろしく摩耗させる。

これが2週間続くのかと思うと、おかしくなりそうだった。

そして私は、同じ日にこの工場で働くこととなった人について思い出していた。

私と同じ学生が1人、20代後半の人が1人、30代が2人。

そして、42歳のおじさんが1人。

短期で働くだけの俺ですらこんなに苦痛を感じる。

では、この人はどうだろう。

40歳を超えて安定した職に就けず、何のスキルも身につかない単純労働を繰り返す日々。

人間としてどんな仕事をするのが偉いとか、そんなことをいう気は全くないが、しかし、もし自分が同じ立場なら耐えられないだろうなと思った。

毎日毎日低賃金で単純作業を繰り返す日々。

そんな未来は想像するだけで気が狂いそうになった。

私は父が私に伝えたかったことを理解した。

なるほど、これは確かに自分で体験してみなければわからない。

これを機に私は、自分のキャリアについて考えるようになった。


その後私は塾講師のバイトを始めたのだが、サービス残業をさせる職場だったのですぐにやめた。

次に家庭教師を始めた。
休憩時間には毎度上等なケーキが出た。

生徒の成績が上がればボーナスをもらったし、家族旅行のたびにお土産をいただき、私が実家に帰省する時には家族にと贈り物までもらった。

自分の好きな本を読みながら、生徒がわからないときに質問に答え勉強を教えて得られる時給は、死んだ目で無為な時間を過ごす工場勤務で得られるそれをはるかに上回った。

同じ私の1時間でも、それをどこで使うかでその価値は大きく変わった。


あなたは、今の職場で働き続けますか?

10年後、その職場で働けますか。あるいはそこで得られたスキルは10年後の自分を助けていますか。

「働き続ければ正社員になれるかもしれない」

それはその通りです。ですが落ち着いて考えてください。あなたの職場で働く非正規労働者は何人ほどで、どれほどの頻度でどのくらい正社員になれていますか。

私が雇用者でも、この制度は導入します。

少数の人間を正社員にするのを見せることで、大勢の非正規社員のモチベーションを上げることができる実によくできたシステムです。

さてあなたは、その他大勢の非正規労働者に大幅に勝る点がありますか?

お互いにどこがどう勝っているのかもわからないような仕事をしていませんか。

おそらくですが、そこにとどまるよりは転職活動を行ったほうがはるかに効率は良いと思います。


公務員を目指すのもおすすめです。

公務員試験は勉強範囲が広いため働きながら目指すのは無理?

そんなことはありません。

自治体によっては、民間志望者も受けられるよう専門の勉強は不要としているところもあります。

最低限の勉強、面接対策で目指せるところもあるのです。

民度が低いなどと言われますが、それはある種仕方のないことです。

安定した生活基盤がなければ、心がすさむのは当然のこと。

そんな社会人プレイヤーたちを見て、学生たちは相手に対する尊敬の念を失っていく。


カードゲームは好きだけどカードゲーマーは嫌いという人は、決して少なくないでしょう。

職場に大きな不満を抱える人は、ぜひ未来のために自分が何をすべきか一度ゆっくりと考えてみてください。

学生の方は、自分がどのように働きたいのかを早いうちからしっかり考えましょう。
教師とすべき人も反面教師とすべき人もいることでしょう。
自分が奮起できるのならば、「ああはなりたくない」という負の感情を原動力とするのもよしです。

将来のため、自分のキャリアをしっかり考えてみてください。


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