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アナベルさんの思い出(話し手の鎌田洋花さん、聴き手の寺本裕美子さんより)

語り継ぐ私のお産と生き方
https://peraichi.com/landing_pages/view/katari05052021

5月5日にお話してくださる予定だったアナベルさんのこと
の続きです。

🌸助産師のアナベルさんの介助で出産された鎌田洋花さんより

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今回ほんとうに不思議なご縁で、直子さんのイベントがきっかけで、アナベルの膵臓ガンを知りました。

彼女は自宅出産など女性の為にいろいろな活動を30年以上行っていた方で、「矛盾した私たちの社会」に常に斬新に立ち向かっていたような、イメージの人でした。

彼女に助けられた女性は本当に数多くいると思います。

私もその1人で、彼女のおかげで、女性の人生において最も重要な「出産」というイベントに、海外と文化のちがいというハンディーキャップがありながらも、自分の希望通りのやり方で試みる事ができました。

その事実は彼女なしではありえなかったことで、今あらためて心から感謝しています。それとともに、彼女が亡くなってしまったことは、残念と無念な思いがしてなりません。

しかし、彼女はすばらしいチームを残しているので、エッセンスはこれからも受け継がれていくことでしょう。
そして、それを強く願っています。

彼女は最後まで強く生きぬいた方でした。
彼女が自分の死を宣告された後、自分の死と向き合い出した結論は、「死ぬまでの毎日を録画する」という事でした。
私は彼女のお葬式の日に彼女の録画スタッフの方にお会いすることができました。その映像は、来年には出来上がる予定だそうです。

今回「語り継ぐ私のお産と生き方」で話すという貴重な機会をいただき、アナベルから少なからず影響を受けた「私の体験談」を話せたという事は、私自身の人生において貴重な体験になりました。
そして、余命は夏が終わるころまで、との知らせでしたが、先月の5月31日に知らせよりも早く、彼女は旅だってしまいました。

今回、このような機会を設けていただいた事を感謝すると同時に、アナベルに心からのご冥福をお祈りしたいと思います。

ありがとうございました。


🌸通訳・ドゥーラとして入ってくださったスペイン在住の寺本裕美子さんより

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西川直子さん主催のオンラインイベント「語り継ぐ私のお産と生き方」で、5月5日の16時から「恐れでは選ばない。自分で調べ自分で選んだスペインでの自宅出産」というタイトルで、マドリッド在住の鎌田洋花さんが経験談をお話しして下さいました。

彼女のお産に立ち会ったドゥーラのパカさんと、私も聴き手・通訳としてご一緒しましたが、もうお一人、助産師のアナベルさんも出席の予定でした。
当日お伝えするのは控えさせていただきましたが、実はアナベルさんは、末期のすい臓がんと闘いながら、「余命数カ月」と宣告されたばかりだったのです。
そんな彼女の状況を把握していた私たちは、彼女を想いながら、悲しさと悔しさ、いろいろな感情が交差して涙をこらえられませんでした。

その後5月31日に、大好きな家族や友人に見守られながら、「死に方も自分の希望通りに過ごすことができた」と話しながら、彼女は息を引き取ったそうです。
知らせを受けた時、聞いていたより予想以上に早く起こったことだったので、言葉を失いました。そして、直接会ったことはなかったけれど、こちら(スペイン)の助産師さんから彼女の話は何度か聞いていたので、女性の権利のために活動する私にとって貴重な方が若くして亡くなったことが悔しくて悔しくて涙が止まりませんでした。


アナベルさんは女性として助産師として、どのような方だったのか。
まだ起こったばかりでエモーショナルになり、言葉を失い沈黙がありながらも、大切な「家族」でもあったパートナーのアナベルさんについて、共に活動してきたパカさん語ってくださいました。


アナベルさんが助産を学んだ1970年代は、他国同様、まだ助産師の立場は医師より下で、医師の指示に従って働くという、現場での自立性も決定権もない時代。
彼女は、多くの女性とともに自由と能力発揮のために戦いながら、病院勤務の、会陰切開もするテクニカルな助産師から、産婦を静かに見守り、異常を察知し落着きを失うことなく的確な対処ができる助産師、同じお産は2つとない女性にとって貴重な経験で、お産は全てが繋がっているんだと確信する、女性に寄り添う助産師に変革していきました。彼女はよく、「人間はみな平等。お産は、人と人が関係性を築く大切な交流なんだ」と言っていたそうです。

スペインのマドリッドで、自宅分娩をサポートする初めての助産師チーム「Genesis」を開業したのも彼女でした。(スペインに助産院のような施設は数えるほどしかありません。)

家父長制の社会に疑問を抱き、女性とは何なのか、助産師とは何なのか、別の世界の助産はどうなのか。
常に追求し、ヨーロッパの助産、そして日本の助産も見てきました。彼女のパートナーは日本人だったので、一時帰国をしていたのです。
出来る限りの情報をアップデートし、講習やコンフェレンスにも積極的に協力したり、コーチングやセラピーの勉強をしたり。とても勉強熱心で、得た知識は助産師のみならず、お世話する女性とも共有していました。仲間とエンパワーし、多くの助産師にとってお手本となる存在でした。そして亡くなる前には、「生と死について」のテーマを扱う講習にも参加する予定だったそうです。


ドゥーラのパカさんが初めてアナベルさんのことを知ったのは、育成中に、アナベルさんに介助されたお母さんから彼女がドゥーラと働いている、と聞いたことからでした。初めて会ってお茶をした日のこと、その日のアナベルさんの服装も、今でも覚えているそうです。
「なんでドゥーラになりたいの?」
「たとえあなたの家族が死んでも、お産はキャンセルできないよ、それでもやりたい?」

…彼女に質問攻めにあい、自分に覚悟があるのかを試される、面接のようなものでした。
それでもパカさんは、アナベルさんとお産がしたい、と強く感じました。2009年のことです。

アナベルさんはいつも謙虚で、相手の意見をきちんと聴き、話し合いを大切にする方でした。パカさんとの関係には隠しごともタブーもない、お互い欠かすことのできないパズルのピースのような、補い合う関係。
会った時から「この人は気が合いそう」と言うパカさんの直観に間違いはなく、最後まで一度も口げんかになったことがなかったそうです。

「お産の後はよくビールで乾杯したわ。 一度だけ、長ーいお産があった時に、お腹もすいていたし、お祝いにシーフードレストランでお腹いっぱい食べたことがあったわ。たくさん笑ってたくさん食べて。とても幸せな思い出よ。」
パカさんは涙を流しながら語ってくれました。


いつも寛容で、相手を尊重し、すべてをお産に捧げたアナベルさん。助産の仕事が彼女の人生そのものでした。多くの女性に種まきをし、女性が自分の力を信じられるよう多くの場所でエネルギーを捧げました。

70年代のフランス映画で、「美しき緑の星」という作品があります。その映画の中で、次のようなシーンがあります。

助産師:先生、分娩が2件あります!
医師:分娩は僕には無理だ。それは君の仕事だよ?君は助産師だから。
助産師:…は???
医師:分娩は経験がない。僕にできることは、注射と手術、計測と記録そして帝王切開。分娩は知らない。僕は本当は未知の現実と向き合うのが怖かったんだ。わかるだろう?
助産師:いいえ…
医師:君ならできる、大丈夫だよ君なら。ではまたあとで!

…皮肉を込めてコミカルに現代医療を批判したり、助産師を勇気づけるようなメッセージが込められた内容ですが、これがお二人のお気に入りの映画シーンだそうです。


「助産の仕事は、心からやりたいという強い気持ちと覚悟があってこそできる仕事。でも、命と向き合うということは、とてもエネルギーがいる。だからこそ、自分をケアできること、女性同士が支え合うことが、この仕事を長く続けられる秘訣ではないか。」アナベルさんはそう考えていたそうです。

最後に、不思議なご縁でアナベルさんが亡くなる直前からこの1か月間、パカさんと一緒にお仕事する機会が重なった私は、お二人から大切な何かを学ぶことができた気がして、感謝の気持ちでいっぱいです。

そして、アナベルさんへのオマージュに、仲間が彼女のドキュメンタリーを製作するそうです。彼女への愛と感謝を込めた、アナベルの人生を称える、温かい作品になることと信じています。


聴き手:寺本裕美子

[参考]

https://www.nicovideo.jp/watch/sm32424142 映画「美しき緑の星」
https://youtu.be/tmmBcdh7v0A  コリーヌ・セロー監督 上映会記者会見動画 
2019年に日本で上映・DVD販売がはじまりました。

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アナベルさん。本当に、ありがとうございました。

アナベルさんやパカさんの活動
https://www.ancaraperinatal.com/

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