歴史が好きなだけのライト審神者がその後『映画刀剣乱舞』に触れた話
注意
本記事は、『映画刀剣乱舞』のネタバレを含んでおります。というか実況としてそのまま垂れ流しているも同然です。
「感想は熱いうちに打て」を盾にして、相変わらずライターのくせに誤字脱字乱れた文章になっているかもしれませんが、どうかご容赦ください。
皆さん、その後、いかがでしょうか。私は今、初めての江戸城を楽しく脳死周回しています。先ほど南泉くんを回収しました。
さて、6月20日、『映画刀剣乱舞』がアマゾンプライムで見放題の対象になりましたね。
私はアマプラ会員ではないので、「ほーん」とお知らせを聞いていました。まあ、見たいときは円盤を買うまでいかなくとも、レンタルという手も……。
ああああああ、今のPCにはディスク類を読み込む機能がない!!
しかも、ちょうど21日、ずっとずっと欲しかった物吉くんが鍛刀で出たんですよ。松を使いましたけど。
これはもうアマプラで見るしかない。今日がその運命だったんだ。そう思った私はさっさと会員登録したのでした。
ちなみに、映画については刀ステの役者さんが出ることと、刀ステのあとに見ると癒されるくらいの知識しか持たないで出発。お守りどころか刀装もろくに持っていない状態なので生暖かく見守ってください。。
またお前か、本能寺
開始。あれ、デジャブ……。
また本能寺が燃やされるらしい。何度目だナウシカ。織田信長、日本の時代劇史上で最も殺されている男のような気がするような。ついでに私の推しの弟たちもその都度死にます。
って、信長、山本耕史!? え、ガチで? そんな人連れてきたの?(ここの驚きで予備知識のなさをお察しください)
いや、まさかここで山本耕史の信長を見るとは思わなかった。大河かな。
最初からクライマックスで呆然とするなか、いつものように蘭丸がやってくる。坊丸と力丸は出たらラッキーなので、はい。
同時に、本丸では三日月と審神者の会話で、時間遡行軍という概念の説明。完璧な導入ですね。
そして、御簾越しの審神者(美しい概念)の口から放たれたのは
「信長は正しく死ななければならない」
「正しく死ななければならない」――まさに歴史改変ものならではの言葉。こんなの、このジャンルにしか登場してはいけない。
「正しい死」、実に後世の人間らしい傲慢な言い方ですよね。言ってしまえば、時間遡行軍の今回の動きだって、信長が天下統一前に死んだという歴史を共有している我々しか困らないし。
当時の人々、ましてや信長からしたら「知らんがな」なわけで。令和時代の人々だって、いきなり現れた未来人に「そういうわけで正しく死んでくだされ」とか言われて「はい、そうですか」とはなりませんでしょう。
そんなことを考えていると、展開は早いものでもう出陣。ステを見ていた人間からしたらお馴染みの面々……あ、日本号さんは違う!
ここの本丸の施設は結構面白い。住みたい。審神者の背景の屏風とかじっくり見たいし、隅々まで見て回りたい。
一方、本能寺では信長が討ち死にするという歴史を改変するために、颯爽と時間遡行軍が登場します。
刀ステではここらへんで私の情緒が完全に壊れたのですが、その後修復と手入れを施した結果、以前より強度が増しました(おそらく)。
しかも、今回はクライマックスではなく出だしから本能寺が燃えていることもあり、刀ステ初見時に比べると心は静かなものです。(でも日本号さんのセリフがすっごくかっこいい。ここだけ1億回リピートしたい)
不動くんも今回かなり情緒安定しているし、安心安心。今回は一貫して刀剣側に感情移入できそうですね。刀ステを先に履修しておいてよかったかもしれない。
とか思ってたらさあ、信長のアレ、なに? 「大義であった」?
今、蘭丸が、援軍が来るかもしれないって言ってたじゃん? 最後まで希望を捨てずにいようとしたじゃん?
あそこでこのセリフ残酷すぎないか。止めて止めて、ここで大魔王しないで。
この瞬間、蘭丸の戦う目的が「信長を死なせない」じゃなくて「信長が自刃するまで食い止める」に変わったじゃないですか。悲壮感が増し増しの増し。
油断するとすぐに隙を突いてくるから、この脚本は……小林靖子さんですね! さすが!
蘭丸はその後も奮闘し、不動くんの名前が出た瞬間、あっさり私は陥落しました。無理。今すぐ歴史を変えよう。
ここまででだいたい1700字くらい書いているんですけど、この時点でまだ10分経ってないんですよ。どんだけよ、本能寺。
やっぱり時間遡行軍の応援うちわ作ろうかなと思ったところで、三日月登場。三日月の信長への言葉遣いが新鮮で、ちょっとびっくり。
で、自刃前の信長に向かって「この状況での落ち着き、笑い、解釈の一致~」「介錯なしの切腹辛いよね~」とか言いながら机をバンバン叩くわけですが、まだ開始してから12分という。
炎上している本能寺を前にしんみりしている織田ゆかりの刀たちや帰還の演出見たら、もう私の心はエンドロール5分前くらいなのに。
でもやっぱりまだ12分経ってないんだよね~。ナレーションは正しいはずなのにこの詐欺感。
それで秀吉登場。え、八嶋さん? ここで何してるんですか? 八嶋秀吉をここで出す?
と激しく混乱する私。キャストくらい、最初から頭に入れておけばよいものを。
こんなに豪華なのか、映画刀剣乱舞。本物の歴史に刀剣男士たちが自然に入りこんでるみたいじゃないですか。(時代劇と歴史の区別を忘れた人間)
秀吉がコントかなってくらいに勢いよくローリングしてるけど、確かこの男、水攻めの最中である。
今さらすぎて失礼だけど、演技がうまい。表情の変化に見入ってしまう。
信長と蘭丸で情緒ぐちゃぐちゃになるはずの本能寺が、秀吉に持っていかれた気分でした。
本丸が違うからこそ感じる「そういう運命」
大包平のいない鶯丸ってこんなに落ち着き払った大人だったっけ。本丸と役者さんの違いかな。大包平が傍にいなければこんな人だったのか。いや、私の本丸にも大包平いなくて鶯丸が待ちぼうけなんだけど。
と思いながら、引き続き鑑賞。余談ですが、まだ刀剣乱舞始まって一年目くらいのとき、「審神者=大包平なんじゃないか」説を唱えていた人がいて、その話が面白かったことを思い出しました。
不動くんと日本号さんは明るいし、長谷部が長谷部なのに、どこか辛気くさい。鶯丸が大包平の相棒とは思えない(失礼)ほど、なんかシリアス背負ってる。もしや、今すぐ大包平を投与しないと危ないのではないか、この本丸。
本丸の違いを感じさせるといえば、ここの三日月は刀ステよりも感情が豊かな気がする。同じ役者さん、同じ役なのに、別人だ。刀ステで感じた底の知れなさ、諦観の中にまだ残っているわずかな希望が、こちらの三日月にはない。
特に、日が変わってからのシーンでは、それが顕著。この役者さんの三日月でも、こんな顔をするんだとびっくりした。びっくりして、信長生存にうっかり反応できなかった。(自分の状況把握からの、戦況や光秀の動向を尋ねる切り替えの早さはさすがだった)
この物語にステのような設定がないのと、おじいちゃん審神者の存在が大きいのでしょうか。この本丸の前日譚とか全然知らないけど、この三日月、おじいちゃんのこと大好きでしょう。
いちいち悲しそうな顔をしたり、ごまかすように笑ったり、やっぱり寂しそうだったりと、飄々さがなくて人間くさい三日月がなんだか面白い。
でも、何か事情を背負っているのは一緒らしい。そういう運命なのか、三日月宗近。でも、不安を直接でなくても共有できる存在がいる時点で、なんか安心できる。
ここの本丸は、三日月が孤高ではなくて、もう少し他の刀に近しい位置にいる。
そして三日月を気遣う鶯丸がやっぱり知的で、大包平の存在を忘れていないか心配になるレベル。(何度目かの失礼)
再び天正10年へ行く刀剣たち。「歴史とは守らなければならないのか?」と問うのは、やっぱりまだ顕現したばかりの骨喰なんですよね。他の刀には当然のこととして沁みついている感覚が、彼にはまだない。
ここで、刀剣たちは歴史が変わって困る立場なのかを改めて考える。人間よりもずっとずっと長い時間を生きている彼らだけど、人間の都合と一致した価値観を持っているのだろうか。わざわざあちこちに遣わされて歴史を守る理由が、2205年時点の日本や審神者にあるのか、数百年(時には千年)重ねた時間の方にあるのか。
とりあえず前半でわかったのは、多分ここの審神者は有能だということ。
大河じゃないのにこの大河感
情報は素早く求めるけど、機が熟すときまで待つ理性のある信長。絵面的に、時間遡行軍と結構相性いいですね。ただ、猿猿言ってないで、他の家臣のことも思い出してくれたらもっとかっこいいんだけどな。(圧)
刀たちが歴史問答している間に日は暮れ、信長の光秀狩り。光秀からしたら、殺したはずの相手が得体のしれない連中を従えてこんばんはと来たわけで、死ぬほど怖い。
そして、ここでの信長のセリフがいちいちかっこいい。山本耕史の正しい使い方。代わりに光秀はなんだかしょんぼりな扱いに見えるけど、まあいいか。
ついでに、三日月が謎の離脱をして、他の刀たちが「あいつ、マジわかんね」的な会話をするけど、刀ステを通ったばかりの私は「あ、そうだったんだ?」と我に返る。
奥に信長を映して、三日月は口元だけ見えるシーンなんて、あれすごく良くないですか。いろいろな感情が詰まってませんか。
伏線が節分の豆のように大放出される中、突然始まる秀吉のサービスシーン。尻まで見せてくれます。
私、記録上の秀吉はそこまで好きじゃないんです。秀次事件とか、晩年のイメージが悪くて。でも、創作世界で描かれる秀吉は魅力的であってほしいんですよね。
例えば、人たらしだけどどこか冷徹で、狡猾なのにどこか憎めず、一度に複数の感情を見せてくれて……。
つまり何が言いたいかというと、この秀吉最高! ここ数年、こういう秀吉が私の中で大ブームなんですよ! ありがとう!
長谷部たちと話しているうちに雰囲気が変わるんですけど、一瞬あのいい人そうに見えた笑みが交じるんですよ。やっぱり演技が上手い。
長谷部の悲痛な声に応える笑顔とか冷たさと朗らかさが合わさって最高だし、その翌朝の生き生きっぷりはこれだけで45分番組が作れるくらい痛快。よし、このまま大河やろう。
本当、「秀吉はこうでなくっちゃ」と浮かれるくらい、いい秀吉。
安土城では、上記シーンを挟みながら、信長と三日月が「正しい歴史」問答をやってたんですけど、この物語における「正しい歴史」が判明するタイミングが神すぎる。
私にとってはこれが既に本能寺IFなのもあって、この信長を生かしたいという気持ちは湧かなかった代わりに、清々しい気分になりました。
まあ、信長はちょっと割を食ってしまったかもしれない。
そういうところが山本耕史の演じるキャラな気がする。偏見。でも損な役どころを演じる山本耕史はどこか可愛い。よし、このまま大河をやろう。
この信長は、孤高じゃなくて孤独なところが面白いですよね。メタな都合は置いておくとして、せっかく生き延びていながら彼の周りには誰もいない。物悲しさばかり。これは結局、本能寺で死んだも同然だったのではないかと。
記録と真実と歴史と
この物語は、観客の中に共通して存在する「織田信長は本能寺で自害した」という「史実」を逆手に取った。それをここで突き付けられるわけですが、歴史を扱う作品として王道、一番おいしいところを見事な形で描いていて、さすがの脚本。
歴史を語るとき、つい「史実」という言葉を連呼してしまうことがありますが、特に近現代以前の史料は、たとえ一次資料であってもバイアスを考慮する必要があります
日本は、大陸のように国も支配民族も丸々入れ替わる事例に乏しかったとはいえ、それでも勝者側に都合よく書かれたもの、敗者側を必要以上に貶めるものはいくらでもあります。
一見、詳細でありがたい史料でも「この筆者、明らかに特定の相手のことだけ個人的な感情で書いてない?」という例も存在します。この記事だって偏りまくりのように。
記録に書かれていることが真実とは限らず、別の真実が闇に葬られている可能性は常に存在します。
歴史とは、多くの人が信じてきたものの集合体と言えるかもしれません。あやふやで、歪で、隙間だらけで、すぐに全部を信用するわけにはいかなくて、どこまでを真実とするかが難しい。
だからこそ、歴史は面白い。
この物語の種明かしは、「ああ、そう来たか~」と気持ちよく手を叩きました。後からはなんでも言えるわけで、とりあえず私は気持ちよく騙されたいし、騙されると嬉しい。
「なぜ三日月が、それを?」の理由も、三日月宗近だから納得しちゃう。これが天下五剣。すごい。
そして、三日月の口から「歴史とは」の答えが語られます。信長に、骨喰に。
私が物語の前半で抱いた疑念に、三日月としての答えをきちんと提示してもらえました。震える。
この三日月宗近は、あくまでも実在する刀剣を元にしたキャラクターです。けれども、今は東京国立博物館に所蔵されるあの刀が過ごした長い時間の中に、人間へ抱いた愛情を探してしまいたくなる。この本丸の三日月はそういう存在でした。
今日も明日も歴史のうち
追い詰められた刀剣男士を見ていると、「そろそろ、はだけタイムかな?」と思ってしまうのは、刀ステの影響が強すぎるからですね。
ピンチからの援軍は、何度やってもいい。結局はだけてないけど、もはやどんなピンチが来てもわくわくしてしまう状況です。
完全に刀たちに意識が向いていたところで、かっこいい信長公がまた出てくるのがずるい。刀の名を呼ぶところも含めてずるい。
安土城燃えちゃうのはやっぱりちょっともったいないと思ってしまう。背景だけで1時間くらいは映してほしかったのに。
新手が登場して伏線が回収されたり、秀吉が秀吉だったりと、物語の収束が近いと悟ると少し寂しくなってしまったものの、遠征組も勢揃いの最後のシーンは胸にきました。
ここ、短刀たちの動きがちょっと大きめでかわいくないですか?
ぜいたくを言えば、屏風をもう少し単独で見ていたかったけど。
最終的に、ここの本丸の三日月は、本当に主を慕っていて人間を愛しているのだなあと感じながらエンドロールを眺めていました。私、三日月のこと、人間味がないくらいでちょうどいいくらいに感じてたのに。
刀が主役の物語のはずが、気がつけば人間について描かれ、語られていた。だから、ここの三日月はちょっと人間らしさが感じられたのかもしれない。
私はネガティブな人間なので、この本丸の新しい始まりを見つめながら、いずれはまた今回のような区切りが訪れるのだと想像してしまいます。同時に、それでも彼らは同じように繰り返していくのだろう、とも。
人の一生はとても短いけれど、刀たちはこれからもずっと存在しつづけるんだなあ。これまでもそうだったように。
人の手によって生まれ、人よりもずっと長い時間を与えられ、人の都合で動かされるモノ。本来、こちらの理屈に合わせる必要はなくても、それでも人に寄り添ってくれるのは、すごく尊いと感じてしまった。人にとって都合がよすぎる考え方だとしても。
設定上、過去に焦点がいきがちですが、未来を作っていくのも歴史を守る行為のひとつなのですよね。
博物館の役割は、「収集」「保存」「調査研究」「展示・教育」といったものが挙げられます。過去の遺産に触れる場所と思われることもありますが、モノや記録を現在から未来の人々へ受け継ぐための存在でもあるのです。
別のところでも言ったかもしれませんが、一介の博物館好きとしては、この刀剣乱舞を含む歴史を扱ったコンテンツの近年のヒットはありがたいと思います。人々の関心は、未来に残せるかどうかでとても重要になってくるので。
そんな風に、自分にとって身近なトピックに置き換えてみると、過去を思うことは未来を思うことにもつながるのだとより実感できますね。
この令和時代を生きる私たちもまた未来へ続いていく歴史の一部であり、美術品や文化財は未来の人たちへの預かりもの。
と、気づいたら博物館学を楽しく勉強していたときの心構えを反芻してしまっていました。
未来に生きる誰かが過去の遺物に触れたとき、自分と同じように、楽しいと思ってくれるのであれば、それはとても幸せなことだと思うんです。
歴史でも美術でもその他の分野でも、私は詳しいとかオタクだとかそういう名乗り方は一生できる気がしません。沼が深すぎるし、調べれば調べるほど自分の無知に気づかされるばかりです。
唯一自分から言えるのは、「好き」という自分の感情だけ。これだけが、私にとっての事実でしかない。
歴史上の人物たちのパブリックイメージは、私が子どもの頃に比べるとだいぶ変化したと実感しています。思わぬ形で知名度を伸ばした例もあります。
歴史は、まだこれから出てくる「新事実」とやらがあるでしょう。そのたびに「今まで認識していたものはなんだったんだ」と呻くし、また自分なりの考えを再構築する羽目になるでしょう。
それでも、記録の隙間や裏側を想像で補完し、時には思い切った解釈をしながら、楽しんでいきたいと思っております。
今回の「歴史」の描かれ方は本当にテンションが上がりました。素晴らしい作品をありがとうございました。
おかしい、確かに刀ステの急速投与よりは穏やかな鑑賞になったはずなのに、何かを鋭く、深く削られた気がする。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?