シンハラタミル正月を振り返る
スリランカは日本と異なり4月の中旬にお正月を迎える。もちろん1月1日もお正月としてお祝いするのだが、正式なお正月は4月らしい。そのせいもあって、4月は妙にイベントも多く、職場の生徒もソワソワしている。
今年は4月13~14日の日程で、占星術に基づいて年が明ける時間とかご飯を食べる時間だとか、仕事を始める時間だとかが決まっていたりする。ちなみに決まっているのは時間だけでなく方角やその時に着る服の色まである。今年の服の色は青だったのか、14日は青色を着ている人が多かった。
今年の年越しは4月13日の夜9時ごろ。私は訳あってホストファミリーと一緒にラトゥナプラの実家に行くことが出来なかったので、1人家で年越しの瞬間を迎える。年越しの時間が過ぎると、色んな場所から爆竹の音と花火が上がる。何だかんだお正月に爆竹の音を聞くのはこれが初めてかもしれない。私は14日から同じコロンボに住む日本人の知り合い(以下Aさんと記載する)のお家にお招きいただいたので、爆竹の音を聞きながら早めに寝る。
翌日、Aさんが自宅近くまで車で迎えに来てくれた。と言うのも、お正月はバスがほとんど出てないらしく、Aさん宅まで私が一人でバスに乗って行くのは難しいだろうとのお気遣いからだ。確かに日本ならお正月でも公共交通機関は動いている為、あまりそういう感覚はなかった。しかし、12日13日とお正月になるにつれて、どんどん車の交通量が減る様子を見ていると、あながち間違いではないのかもしれない。それを証明するかのように、Aさんの車に乗り込んだ私は今まで見たことないぐらいに空いている道路を見て感激していたぐらいだ。
ミルクの吹きこぼし
Aさん宅に到着すると、早速伝統的な儀式の一つであるミルクの吹きこぼしを行う。都会に住む人間はこういう機会じゃないと火を焚けないので、とても嬉しい。
その後、Aさんの隣に住む親戚のお家で立派なお正月のご飯とお菓子を頂く。
マータラの実家にお邪魔する
翌日Aさんの義妹さんの実家があるマータラにAさんと私と義理の妹さん、旦那さんと一緒に向かう。私もAさんも二人ともお喋りだからなのか、道中の車内でも会話が尽きない。
そうこうしているうちにマータラの義妹のおばあさんの家に到着する。日本のお正月みたいにどんどん親戚が集まってきて、皆で食事をしてお菓子を食べる。
さらに、義妹さんらとご実家周辺を歩いていると、道中にある全ての家に声を掛けて会話している。しかもその度にお菓子だのフルーツだの色々頂いてしまうものだから、ただ付いてきただけの日本人なのに気付けばお土産を沢山貰っていた。その時はお土産もいっぱい貰うし、情報も過多なこともあって、現実に追いつくのに精いっぱいだった。しかし今思うに、理由はないけど色々貰ってしまうことって日本の田舎町とちょっと似ているのかもしれない。
孔雀とか猫とか猫とか
マータラのお寺にて
翌朝、宿泊しているホテルを出発してマータラのお寺を訪ねる。1つ目のお寺では、滋賀に住んでいてたまたまスリランカに帰省している現地人に会った。まさかこんな場所で、滋賀に住んでいるスリランカ人に会うとは思っていなかったため、ビックリして色々お話ししてしまう。ちなみに彼女は来週スリランカで結婚式を挙げるらしい。
その後、2か所目のお寺に向かう。太陽が昇って来て、素足で歩くのがすこし難しくなってくる時間帯。お寺の敷地内で通りすがりの子ども3人ぐらいから「マニーマニー」と言われる。途上国に行くと、こういう現場はかなり多く遭遇すると言われてきたが、乞食の人以外で言われるのは初めてだった。やっぱり首都とマータラでは遭遇する外国人の量が圧倒的に違うからだろうか。
その後、スリランカ仏教特有の白い糸を手首に巻いてもらいに行った。その時もお坊さんから「チーナ?コリア?」と聞かれ、同行している義妹さんには「(私たちみたいな)外国人にもっとお金を出すように話をしてくれ」と言っていたのが聞こえた。その場にいながら、こんな露骨なお願いの仕方するんだなぁ、しかも直接私たちに言うのではなく現地人である義妹さんに言うんだなぁ、と色々考えさせられた。しかし、義妹さんはそんなお坊さんの話を「ちょっと時間が押してるので」と途中で切って、足早にその場から離れた。義妹さんはその後「外国人だからお金を出せなんて、ホンダネー(良くない)」と私とAさんに言った。本当に、現地の人も人それぞれなんだ、と思わされる。
ゴール散策
マータラのお寺を参拝した後は、少し車で移動してゴールフォート内を散策した。念願のイグアナにも会えて、美しい海まで堪能出来て、楽しかったなぁ。
約3日間色んな人に会って、かなりクタクタになったお正月だったが、しっかりとシンハラタミル正月を経験できたことは、とても嬉しかった。特にマータラでの里帰りに同行した時は、皆優しくて自然もいっぱい、その上出てくる若者が全員高学歴という訳分からない状況で(私のホストファミリー宅は血眼になって12歳の娘ちゃんに教育投資が行われている)正直、夢のようなフワフワした気持ちだった。
それでも本当に行けてよかったと思う。Aさん、義妹さん、旦那さん、ありがとうございました。
මම ගොඩක් සතුටු වුනා. බොහොම සුතුතියි.