第103話あとがき
皆さんは、何か作品を楽しむとき、ネタバレってどう感じますか?
私はめちゃくちゃ恨みます。
前情報をできる限り最小限に抑えて臨みたい、と思う派です。
その作品に初めて出会うことを大事にしたい。
その時感じたものを観察したい。
展開を知ってしまった状態で見たくない。
ましてや誰かの考察を聞いてしまったらもうその作品は楽しめない。
という、なかなかのアンチネタバレ過激派なのですが、仲のいい友達にはネタバレをそんなに気にしない、という子もいて、それは一体どうして?と疑問に思っていたわけです。
最近、ネタバレを気にするのは、己の自信のなさ、なのかな?という気がしてきました。
展開を知って予想もしてしまった状態や、誰かの意見を聞いてしまった状態の時に、作品を摂取して、私はちゃんと自分の感想を持てるのだろうか?という部分が不安なのではないかな?と思うのです。
自分が面白いと思ったかどうか、楽しめたかどうかが、とても脆いものだと思うから、せめて前情報のない状態でファーストインプレッションに期待をしたい。手放しに面白いと思える作品に出会い、「面白かった」と自信を持っていいたい。そんな願望があるのかな?と思いました。
私は自分が何を感じているのかが、すぐにわからなくなってしまうので、なんとか、本当は、どう感じているのかが知りたくて、ネタバレを避けているんでしょう。
でも作品というものは「体験」をさせてくれる装置であって、体験するということはその人の唯一無二の経験になるから、展開がわかっていようがいまいが、ジェットコースターは人気だし、観覧車はなくならないのですよね。
ジェットコースターや観覧車に対して
「行って帰ってくるだけじゃん」
というなら、遊園地に向いていないし、多くのものを取りこぼしている可能性があります。
同様に、何か作品に対して
「結局主人公が勝つんでしょ」
というなら、作品を摂取することに向いてないと言えるでしょう。
つまり、ネタバレはしてもいいはずなんです。
ネタバレしちゃっても
「そうか、この人死んじゃうのか」
と思いながらも、どう死ぬのか、なぜ死ぬのか、それでどうなったのか、「死ぬ」以外の多くのことが語られているはずなのです。そしてそれを感じられるはずなのです。
なぜなら、作品とはそういう装置だからです。
だけど不安なのです。
儚い自分の感想を掴みたい。
誰の考察も混ぜたくない。
そこに自分があるような気がするので。
というジレンマを、最近また改めて認識しました。
近況報告でした。
あとがきに参ります。
バーに続き、寿司屋でも働き始めたハルちゃんです。
どちらかというとバーよりも寿司屋にいることの方が多かったように思います。
このバーと寿司屋は、勝手口が向かい合っていて、行き来したりもしていました。ははは、楽しいですね。
そして、エスニックのお店でも働くことになりました。
いやぁ、目覚めてしまいましたね。
パクチーとか苦手だったのが、大好きになりました。
どのお店も本当に美味しくて、大好きなお店でした。
楽しかったなぁ。
オーナーの皆様にはとても感謝しています。
よく考えたら、この漫画は、そもそも壮大なネタバレをしていますね。ハルちゃんは生きてるし、結婚して子どももいる。それをわかった上で作品を体験してくださっている皆様にも、とても感謝しています。
後もう少し、お付き合いくださいませ。
それでは本日はこの辺で!
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追記
私の漫画を記事にしてくださっている方がいました。
すごく嬉しいです!
そしてネタバレにも配慮してくださっている。
ありがたい…
感謝です!
ありがとうございます!
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