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短編小説【記憶】

 沙織は、玄関が閉じたのを確認すると、ハイヒールを脱ぎ捨て、ベッドにそのまま倒れこんだ。
 バッグに入っているスマホは、そんな沙織を怒ったようにブーブー震えている。
―今日ぐらい、いいじゃんか
 沙織は恨めし気にバッグを見つめながら口をすぼめる。
 今日は沙織にとって最悪の一日だった。仕事はどうしても手につかず、意気込んでいたエリートとのコンパでは、やけ酒を飲んでしまい台無しにしてしまった。
 ベッドに倒れこんだまま手だけを動かして、スマホをなんとか取り出す。同僚の麗華からの感情爆発お怒りメッセージと、コンパ相手からの定型的な今日はありがとうメッセージが届いている。今すぐ返事をする気になれずLINEをスクロールしていくと、どうしても後輩から来たメッセージが目につく。

Ayaka
さおり先輩!お久しぶりです!!3月に健ちゃんと結婚することになりました!
先輩にはホントお世話になったので、ぜひ披露宴に来てください!日程は...

 枕元から充電コードを指でたどって、充電器の先を探し、スマホを充電する。
-まさか、健二に先を越されるなんて。あの頃の私は想像もしていなかったなあ。
 ため息をつきながら、沙織はコンパ相手にメッセージを返し始めた。

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「そんなに見ないでよ、読みにくいから」
 そわそわしている健二を睨みつけ、健二が書いたエントリーシートを読み始めた。
 3月。採用情報が公開され、企業にエントリーができるようになった。就活サイトが、これから世界が変わるぞと急かしてきた割に、沙織の周りで変わったことは、今までバイトの愚痴や飲み会で溢れかえっていたSNSが、一部の目立ちたがり屋の説明会や就活イベントに行ってきました自慢が飛び交うようになったぐらいだった。
 そんな自慢に感化されたのか、同じサークルである健二から、食堂でご飯をおごる代わりにエントリーシートを直してほしいと連絡がきたのだ。
「それで、どう思う?」
 まだ読み終えていないのに、健二が聞いてくる。
「あとちょっとだから待って。そんなんだから後輩になめられるんだよ。」
 沙織は落ち着きのない健二にあきれながらも、エントリーシートを読み進めていく。
 健二はサークル内で後輩からもいじられる男で、私たちの雑用係だ。初めのうちは、サークルのめんどくさい業務を健二に押し付けていたが、健二のポンコツ加減に見ていられなくなった沙織が、健二の代わりに業務をしてあげることが多い。
「それで、どう思う?」
 沙織が読み終えたのを確認するとすかさず健二が質問してきた。
「うーん、文章が幼いかな、高校生かなって感じ。」
「えっ、どこが?」
 自分から直してくれといったくせに、驚きながら健二が聞いてくる。
「全部、ひどすぎて書き直したいぐらいだよ。」
 そんな健二の反応が面白くて、少し大げさに沙織は答えた。
「いろいろ直したいところはあるけど、特にひどいのはここ。『世界一の技術に関われることがおもしろいと思いました。』普通はおもしろいなんて使わないよ。」
「そうかなぁ。でも、おもしろいと思ったことをおもしろかったって書いて何が悪いんだよ。」
 健二は不満げに反論してくる。
「そんなんだから、幼いんだよ。おもしろいって言葉は馬鹿っぽいから使わない方がいいよ。例えば、世界一の技術に関われることに興味を持ちましたとか、関心を覚えましたとか、いろいろあるでしょ。」
「むぅ。」
 健二はまだ不満げにしている。沙織がキッとにらむと、エントリーシートを直し始めた。
「なあ、興味を持つと、関心を覚えるって何が違うの?」
「さあ、気分の問題だよ」
 軽く返事をしつつ、スマホをいじる。後輩の綾香からのLINEや、就活アプリからの通知がたまっていた。いまだに就活に実感がわいてない沙織は、企業に対して興味や関心を持つことがあるのか不安になる。
「でも、「興味」を持つのはなんとなく分かるけど、なんで「関心」を覚えるんだろう。覚えるってなんか変じゃない?」
「なんで?」
「覚えるっていうと、漢字とか英単語を覚えるって使うじゃん。それを「関心」につけるのは変じゃん。」
「でも、そういうもんだよ。」
 健二は時々めんどくさい。自分が不思議に思ったものをすぐに声に出しながら考える。だから、健二が疑問を持った時は、全体の進行が止まる。しかし、そのことを健二は気づかない。そんな健二が沙織は少し羨ましい。
「あっ分かった。」
 健二は急に顔を上げて、大きく目と口を開けた。漫画なら、健二の頭に豆電球が光ってるだろう。
「英単語とか漢字を覚えるって、今まで知らなかった英単語や漢字を、自分の中に取り入れて使えるようになるってことでしょ。だから、「関心を覚える」って、今まで関心したことがない人が、生まれて初めて関心した時に、これから関心できるようになるってことなんだよ。関心という感情を初めて感じましたってことが、「関心を覚える」ってことなんだと思う。じゃあ、俺は「関心を覚える」で書くわ。」
 すっきりしたのか嬉しそうに、健二はエントリーシートを直し始めた。
 急に暴走し始めて、勝手に自己解決されて、置いてきぼりにされた沙織は、健二に対して多少むかついたが、いつものことだと諦めて、後輩にLINEの返信をすることにした。

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 窓から日光が鋭く差し込んでくる。布団もかけずに寝ていた沙織は壁にかけられた時計を確認した。6時。まだ眠い。
 眠気覚ましにシャワーを浴びて、朝食のパンを焼く。麗華に謝罪文を送り、後輩からのメッセージを開き返信を考える。
 結局、企業に関心を覚えることはなかった私は、ただあいつに恋を覚えていた。


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カメ
サポートされた暁には、しっかりと喜ぼうと思います。 普段飲む牛乳のランクを一つ上げます