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プライドと目標と

 目標に向かって手段を選ばずに努力をしている人に対して、
「プライドがないのか」と批判する人がいる。

 例えば、恋人を作るために出会い系サイトを使う人のことを「そこまでして欲しいのか」と笑ったり、バイトをしながら夢を追いかけている人に対して「いつまでやるんだろうね」と皮肉ったり、テストの点数が低いので先生に対して全力で媚を売りに行っている人を「あいつまたやってるよ」と言ったりしている人だ。

 批判する人の意見を詳しく聞いてみると、
「確かに目標を叶えたい気持ちは分かるけど、そんなことするぐらいなら、やらない方がまだましだ。」
「私だったら恥ずかしくてそんなことできないわ。」
 という声が聞こえる。

 はたして、手段を選ばずに努力することに「プライド」はないのだろうか。

 私が思うに「プライド」はある。
 ただ、批判する人の「プライド」と違う場所に「プライド」がだけである。
 具体的にいうと、批判する人が言っている「プライド」は内側にあり、手段を選ばない人の「プライド」は外にある。

 「プライド」をお金に例えてみればわかりやすいと思う。
 目標に向かって努力するためには、挑戦代として「プライド」を払う。
 失敗したら、「プライド」は失われる。成功したら、「プライド」は大きくなって帰ってくる。
 パチンコスロットのような感じである。 

 大学受験や就職に対して、「プライド」を賭けて挑戦する。志望校、志望会社に合格したとき、「プライド」は大きくなる。失敗した時その「プライド」は、時間をかけた分、失われる。

 大学受験や就職は、合法的なパチンコで設定が公開されている。
 だが、手段を選ばない努力は、闇パチンコみたいなもので、当たればデカいが当たるかどうかは分からない。

 本当にこんなたとえで、あってるのか?
 心配になってきた。
 ニュアンスが伝わってくれることを願う。

 とにかく、目標に向かって手段を選ばずに努力をしている人の「プライド」は、挑戦代としてその台に入っているのだ。
 その台で打つことをやめた瞬間に、今まで投資した「プライド」は無に変える。
 「プライド」があるからこそ、その目標に固執するのだ。


 あーあ、このブログも当たったりしねーかなー
 成功イメージを高めるために、パチンコ打ちに行こうかなー

カメ 


  

 

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カメ
サポートされた暁には、しっかりと喜ぼうと思います。 普段飲む牛乳のランクを一つ上げます