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internetの向こう側

インターネットに存在している人は別世界の住人である、ということを忘れがちになってしまいます。以下自戒を含めた文章

紺 双葉の思い


漫画「それでも町は廻っている」にこんな話があります。

ある日、主人公の歩鳥は自分の働く喫茶店に有名ミュージシャン「神崎アキト」が来店するという情報を得る。仲良しでアキトのファンである紺先輩に声をかけ、先輩は店に訪れるがアキトの顔を見て少ししたら去ってしまうのであった…

 94話 A・KO・GA・REロンギング より

このときに紺先輩が見たのはミュージシャンの神崎アキトではなくて実家の母親と喋ってる、神崎アキトという名前で活動する普通のおじさんでした。

歩鳥は「憧れている人も親はいる。そうやって考えると自分と地続きで(自分自身も憧れの存在に)なれそうな気がする」と自信を持ちまが、紺先輩は「神聖視している人は、別世界の住人であってほしい」と口にします。

昔であれば別世界の住人であり続けることができました。何故ならインターネットは存在しなかったから…。


それはまるで昭和のアイドル

昭和のアイドルを生で見るとはどういうことか、こちらの本に書いてあります。(モモエちゃんのコンサート)さくらももこも相当の運を使ったはず。

結論から言えばインターネットがない時代、アイドルに関する情報や生で見る機会を手に入れるのはそれはもう大変なことだったわけですね。必然的に秘匿性は上がり、別世界の住人で居続けることができるのです。


会いに行けるアイドル

平成、令和になり別世界の住人はインターネットの急速な発展によって「会いに行けるアイドル」となりました。Twitterで身なりを知れるのはもちろん、お渡し会に始まり生放送や握手会、オンラインでのお話会まで。向こう側の住人を見れる機会は一気に増えました。

けれども別世界の住人にとっては厳しい時代となりました。インターネットの発達によって自らの秘匿性はほぼ皆無となったのにオタクとの距離は一方的に詰められているのですから…。


「会いに行ける。ただそれだけ」のアイドル

例としてyoutubeは非常に距離が近いです。コメントでオタクの感想を知ったり、赤スパチャを大量にすれば名前を読んでもらうことだって可能です。(それを距離が近いと認識してよいのかは別として)すると距離を詰めたオタクは自分も別世界の住人である、と勘違いします。これが一番良くない。アンチ発生の原因、果ては犯罪のきっかけとなります。紺先輩のように別世界の住人だ、と割り切れる人間のできたオタクはそうそういないものです。

例としてはVtuberの潤羽るしあの件でしょうか。オタクが自分たちと一緒だと思っていたら住んでいる世界が全然違った…。哀しい事件ですね。

※筆者は仮に噂が本当だったとしても成人なんだから恋愛の一つ二つ本人の自由であろう、という立場です。


変化のあるモノないモノ

結論ですが時代が移り変わろうと、オタクと別世界の住人の社会的距離に変化はありません。しかし、我々オタクにも希望はあります。いいねにコメント、(動画であれば)再生数の増加、youtubeのスパチャ…別世界の人間であろうと、応援する手段や機会は増えたのですから。

有名になる手段が増えた今、冒頭の歩鳥のように自分と地続きであると考え努力するのも一つの方法かもしれませんね。



それ町の小見川千明、mybest小見川キャラだと思う。



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