何の思い出もない、あの海
2020年の夏。取りつかれたように、同じ場所で写真を撮っていた。
6月から8月にかけて、何度も同じ海へ通っていた。自宅から車で、片道1時間ほど。2日連続して行く日もあれば、2週間に一度の日もあった。平均すれば、一週間に一度は足を運んでいたと思う。
その海に通うようになったきっかけは、やはりコロナだ(今年は何をやるにもコロナの影がじっと横たわっている)。住んでいる地域の緊急事態宣言は5月中頃に解除されたものの、必要のない限り県外へ行ってはいけない雰囲気が漂っていた。実際、県外から来ているナンバーに対し地元住民が注意喚起をする、そんな全国ニュースも耳に入っていた。
かといって自宅周辺から出ずに過ごせば、徐々に気が滅入ってくる。そんな状況でふと、「県内の海へ行ってみよう」と頭にイメージが浮かんだ。それが赤い塔のある、あの海だった。
◇
その海に、印象的な思い出があるわけではない。訪れたのは、これまでの人生で2回しかなかった。一度は、その近辺へ仕事ででかけたとき、道に迷った挙げ句にたどり着いた。その時は特に感想も持たず、「へえ、こういう場所があるんだ」と思い、その場をあとにした。
もう一度は今年の2月。冬の海の風景を写真に収めたくて、おぼろげな記憶を頼りに再び行ってみていた。
それら記憶をかき集め、改めてネットで正確な場所を調べ直し、2020年6月の晴れた日に車を走らせた。助手席に、ハッセルブラッドという古いフィルムカメラを乗せて。
◇
久しぶりに訪れたその海は、自分のなかのイメージのままだった。平日の夕方だったけど、港には漁師の姿がいくつもあった。防波堤から、釣り竿を投げる釣り人がいた。自分の背丈より大きな玉網を持った小さな子どもが、海面に光る魚影を睨んでいた。
以前に海へ来たのが、記憶にないくらい昔に思えた。だからか、目の前にあったのはどこにでもある港の風景だったけど、居心地の悪さと緊張感を感じていた。
車が行き交う海沿いの県道から、海に建つ赤い塔が見えた。まずは一枚撮ろうと、肩に掛けていたハッセルブラッドを両手に持ち、ファインダーを開いた。ファインダーに、海とそこに浮かぶ赤い塔が収まっている。
クランクを回してフィルムを巻き上げ、フィルムマガジンに差し込んである遮光板を抜いた。ファインダーに備えてあるルーペをセットし、手動でピントを合わせる。ハッセルブラッド特有の撮る前の動作をやり終え、息を止めながらシャッターボタンを押した。
ハッセルで写真を撮ったとき、いつも空気の匂いまで閉じ込めた思いになる。もちろんシャッター幕が上がったとき、フィルムに残るのは光だけ。匂いは記憶されない。そういう気がするというだけの話だ。
◇
写真を一枚撮ってから折りたたみ式のファインダーを戻していると、県道から3メートルほど見下ろす位置にある海沿いの道から声を掛けられた。地元民らしきおじさんが、こちらを見上げていたのだった。
「…はい、何でしょうか」とぼくは答えた。
そういえばマスクをしていなかった、と気づいた。外で写真を撮るだけと思って、用意していなかったのだ。しかも乗ってきた車のナンバーは、(県内とはいえ)その地域のものではない。てっきり、何かしら注意されるのかと思った。
するとおじさんは予想に反し、ニコニコしながら「写真を撮ってるんですか?」と尋ねてきた。
「そうです。ここの海の写真を撮りたくて」
「そうか。ここもいい場所だけど、あっちにはもっと景色のいいところがあるよ。よかったら行ってみなさい」
そう言って、手を振りながら歩き去っていった。その後、おじさんは自分の車に乗って、戻ってきた。車の運転席の窓を開け、「ここはいい場所がたくさんあるから、写真をどんどん撮ってください」と笑顔で言った。
お礼を言うと、おじさんの車はどこかへ走っていった。体にまとっていた緊張は、いつの間にか解けていた。
◇
そうして多いときで週に2回ほど、その海に来ては写真を撮るようになった。時間にして1時間ほど。
ハッセルブラッドは、フィルム1ロールにつき撮れる枚数が12枚。海ではだいたいフィルム1本か、良い場所を見つければ2本を撮りきるくらいだった。たくさんの写真を撮れるわけではない。フィルム2本使ったとしても、枚数はわずか24枚だ。
自宅から往復2時間かけてまで、何度も訪れたその海。そうまでして、ここに来ていた理由は何だったのだろう。引きこもりの日々に飽き飽きしていたのか、写真を撮りたい欲求がそうさせたのか。
ともかく同じ海へ通い続け、2ヶ月くらいが過ぎていった。
例年にないくらい肌寒く、「夏は来るのだろうか」と不安な気持ちにさせた7月が終わると、場面が転換したように激しく暑い夏が急に訪れた。酷暑のなか、昼間はとてもじゃないけど海へ行く気にならず、日が傾きはじめた16時ごろになって車を発信させた。
海へ着くのは17時前後。それでも太陽の熱は衰えておらず、重いクラシックカメラをぶら下げて歩きまわっていると体中が汗だくになった。
歩くルートはその日によって、変えていた。入り江から撮る日もあれば、海岸だけで過ごす日もあった。港のそばに建っている建物の様子を、丹念に撮ることもあった。
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